第14話 冒険者の資質


 魔族が口を開く。


「あなた、いったい何なのかしら?」

 

 魔族はガロンと対峙して、ろくに構えもせずにガロンをただ見ている。

 魔族らしい青白い肌に、黒い外套はコウモリを彷彿とさせる。

 魔力の気配から上級に分類される魔族であるということは理解できた。


 ガロンは応える。


「何、とは?」


 野良の上級魔族というのは野良のドラゴンと同じくらいあり得ない。

 野良のドラゴン、とガロンは自分の状況を思い出して笑う。この世には何があってもおかしくないのかもしれない。


「ずいぶんと余裕なのね」

「どうかな」


 魔族は基本的に下級、中級、上級の三つに分類される。下級は珍しいものではなく、中には人間と交流を持つものもいる。けれども中級魔族になってくると話は違って、人間と敵対していないものはまずいない。


 中級の強さはと言えば熟練の冒険者が複数人でようやく勝てるかどうかといった程度だ。しかし、冒険者が魔族に関わることはほぼないと言って良い。対魔族関係の討伐は国の治安機関の仕事だ。


 そして上級魔族はと言えば、強さで言えば幻獣と同等かそれ以上なのは間違いない。上級魔族が本格的に動いた場合、専門の討伐隊を結成するか、それでも無理なら守護竜に助けを請うのがふつうだ。


 人間に変身して魔力を極端に制限されたガロンは、人間の中で最も強い部類と同程度の強さしかない。

 まともに勝つのは難しいかもしれない。


「魔力の流れでわかるわ。強いのはわたし。それでもあなたはとても落ち着いている。なぜかしらね?」


 なぜ上級魔族がこんなところにいるのかは極めて疑問だ。考えられる理由はガロンを調べに来たという線だが、それもどこかしっくりこない。


 いまの対応にしても、すぐ襲いかからずに対話をしようというのは実に魔族らしくない動きだ。


 それでも考えられる可能性は、何か変わった気配を感じたのでちょっかいを出してみた、というのが濃厚に思えた。上級魔族のきまぐれさを考えると十分にあり得る話だ。


 呼んでしまったからには尻拭いをしなければならない。


 リティシアの存在が脳裏をよぎる。

 もし、竜の姿に戻るような事態になったら、それが縁の切れ目なのだろう。

 山頂に突然竜が現れ、その後ガロンが平気な顔をして姿を現す。どう考えてもおかしい。


 たぶん、そうなった場合は今までの関係ではいられないだろう。


 ガロンは言う。


「強い方が勝つとは限らないだろう?」


 魔族は本当に愉快そうに笑った。


「あら? まさか、勝てる気でいるの?」

「勝てないと思うのか?」


 魔族の戦意が爆発的に高まるのを感じる。

 それに合わせ、ガロンの口にも獰猛な笑みが浮かぶ。

 

 言う。 


「まあ、殺し合おうか」




 

 なぜこの女は自分を助けようとするのか。リヒターには理解できなかった。

 リヒターからすればリティシアは敵のようなものであり、リティシアから見てもリヒターは敵のようなものでないとおかしかった。


「はい、痛むでしょうけどこれで応急処置は終わりました」


 リヒターが逆の立場だったら間違いなく見捨てる。ざまあ見ろというやつだ。それなのにリティシアはリヒターを助けることを迷いもしない。

 頭がおかしいのか、器が広いのか。狂人か、聖人か、リヒターには判断ができなかった。


 こんな状況になってもお礼の言葉をためらう自分に腹が立ち、リヒターは怒りを振り切るように口を開いた。


「その……助かった」


 場違いにも思える少女の笑顔が、今のリヒターには重かった。

 リティシアの笑顔は自分に向けられてはいけないものである気がした。


「どういたしまして、立てますか?」


 動こうとしてみたが、手も足もこれ以上動かすのは難しそうだった。

 苦痛の声が出てしまったことでリティシアは心配そうな顔をして、


「無理しないでくださいね。ガロンさんが戻ってきたら手伝ってもらえますから」


 そこでようやく魔族の存在を思い出した。


 恐ろしかった。


 魔族から逃げようとした瞬間に四肢に激しい痛みが走り、まともに動くこともできなかった。

 もはや助からないと覚悟を決めたとき、魔族は一言「逃げなさい」と言ってリヒターを逃した。


 アレに勝てる人間など存在するのだろうかと心底疑問に思う。

 あのガロンという男がどこまでやるのかわからないが、人間である以上は到底敵うと思えなかった。


 もし敗れたならば、次は結局自分たちの番なのかもしれない。


 一筋の光明が照らそうとした先が、すべてを飲み込む奈落だったような絶望が押し寄せてきた。

 

 なぜこの女は自分を助けようとするのか。


 この女は自分の命までかかっていることを理解しているのか。


 冒険者の仕事を、前衛の後ろから眺めているだけの遊びだと勘違いしているのではないか。


 聞こうと思った。


 普段のリヒターなら絶対にしないことではあるが、死を実感するからこそ後悔はしたくないと考えた。


「なぜ助けた?」

「え?」


 リティシアは本当に不思議そうだった。


「なぜ助けたんだ? おれはお前を攻撃した。おれはお前を疎ましく思っているんだ。お前だっておれが嫌いだろ?」


 リティシアはうーんと唸って少し考え、


「わかりません。あのときはわたしだって怒りましたけど、今こうしていると嫌いかはわかりません。ただ、傷ついてるあなたを見て、助けたいと思ったから助けてるんです」

「おれに構ってここにいれば死ぬかもしれないんだぞ、わかっているのか?」

「わかってます、冒険者ですから」


 口先だけではなんとでも言える。

 

 話は変わるが、グリフィンは春から夏にかけて産卵する。

 巣を作るのはメスで、つがいとなるオスを呼び寄せるためにわざと山頂の目立つ場所に巣を作る。


 空から飛来するグリフィンに先に気づいたのはリティシアだった。


 リティシアが突然山道へと飛び出した。


 リヒターはリティシアが開けた山道へと飛び出したことで、ようやく二匹目のグリフィンの来襲に気づいた。


 冒険者にとって素早い判断が極めて重要な資質であるにも関わらず、リヒターは全て後追いで気づいた。


 グリフィンが飛来したこと。我々を狙っていること。リティシアが山道へ飛び出した理由。


 グリフィンの襲来を凌ぐのを目的とするならば、山道へ出ずに逆に木々の中に逃げ込んだ方がグリフィンの動きを制限できるはずだ。

 にも関わらず山道へと飛び出した理由はひとえにリヒターをかばうためにある。リティシアは自らが目立つ場所に出ることによってリヒターの危険を減らす選択をした。


 グリフィンはリヒターが万全だったとしても簡単ではない相手だ。依頼の勝負を持ちかける際も、様々な要素を天秤にかけた結果、多少のリスクは冒すべきであるとの判断からグリフィンの討伐を対象にした。グリフィンならばトチ狂った冒険者が手伝ったとしても関係がないからだ。なにせふつうの冒険者では手も足も出ないのだから。


 ましてや、補助術師が単独で対面するなど正気の沙汰ではない。


 口先だけではなんとでも言える。リヒターは口だけは勇猛なくせに、いざ依頼を受けるとなると日和る冒険者を幾人も幾人も見てきた。

 本当の危機に一切迷わず動ける冒険者がいったいどれほどいるというのか。


 少なくとも今、目の前にそのひとりはいる。


 助けたいという意思があるのに、それに反して動けない体に歯ぎしりをする。

 グリフォンの鉤爪がリティシアに襲いかかる。


 見たくなかった。

 このときになってようやく、リヒターはリティシアに死んでほしくないと考えている自分に気づいた。


 目はつぶらなかった。

 自分を少しでも生きながらえさせてくれた少女の姿を、最後まで見ていようと思った。

 おそらく、自分もすぐにその後を追うことになるのだから。


 リティシアが飛来するグリフォンに向けて杖を構え、攻撃に備える。

 グリフィンが降下してリティシアへと襲いかかった。


 鉤爪は当たらなかった。


 鉤爪がリティシアを捉えようとした瞬間、鉤爪が勢いをなくし、リティシアは滑るように身をかわした。


 グリフィンは羽ばたきながらしつこく鉤爪を振り下ろすが、いくらやってもリティシアを捉えることができない。


 グリフィンが遅いわけではない。リティシアが早いのだ。


 リヒターの目から見てもグリフィンの鉤爪は力強く、まともな防御を許さない勢いなのは確実だ。凡百の冒険者なら十秒と待たずに天に召されるのは間違いない。


 リティシアがグリフィンを翻弄している。

 とにかく動きが早い。


 リティシアの動きは洗練された動きという感じではない。体術としてみたら褒められたものではないのだ。それでもリティシアはグリフィンの鉤爪をかいくぐって生存し続けた。


 補助術師が自分に術をかけて動いている。それは動きの質と速さの不一致から納得のいく理屈ではあるが、それにしても早すぎる。


 グリフィンの咆哮は威嚇というより思い通りにいかない不満を吐き出しているようであった。

 グリフィンの猛攻を凌ぎ続けるリティシアを見て、リヒターは気づいたことがある。


 リティシアの呼吸が激しい。単に激しい運動を続けたときにする呼吸ではない。


 消耗している。


 リティシアが何をしているのかわからない。が、あまり長く続けられるものでもないのだろう。


 同時に、リティシアが何かを狙っているというのもわかった。動きからひたすら逃げ続けようというわけではなく、何か反撃の機会を狙っている気配がみて取れる。


 リヒターは右手を小指から順に握って拳を作った。開いて閉じてを繰り返し感触を確かめる。

 大丈夫、動く。右腕に走る激痛を無視して腰のベルトからナイフを取り出して構える。


 隙を作る、なんとしても。


 投げナイフで何かしらの外傷が与えられればそれで良し、そうはならなくともリヒターの存在をグリフィンが意識すれば良しだ。


 たとえリヒターに危険が及んだとしても。


 冒険者は命を張るのが仕事だ。


 苛立ちが頂点に達したのか、グリフィンが空高く飛び上がった。

 空から加速をつけて一気に勝負を決めようと考えたのは明らかだった。


 リティシアはそれに対して構えた。引きつけて避けるつもりなのか、それとも他に何かあるのか、リヒターにはわからなかったが、逃げない以上無策なはずはない。


 グリフィンの急降下が始まる。


 その速度は殺人的で破壊的だ。


 グリフィンの巨体がリティシアに迫り、リティシアは自分の目の前で杖を左右に二回ほど揺らした。


 不思議なことが起こった。


 グリフィンがリティシアにぶつかる手前で、何かに阻害されているかのような妙な減速が起きた。


 狙った。右腕に叫びだしたくなるような痛みが走る。


 リヒターの投げナイフはグリフィンの左目を貫いた。

 複数の不可解な出来事にグリフィンは混乱し、金切り声ともとれる鳴き声を発しながら地面へと落下した。


 リティシアの動きは迅速だった。地に落ちたグリフィンの頭部に杖を突きつけた。


 グリフィンの動きが鈍る。まるで急速に眠くなってしまったかのように。


 最後の力を振り絞るように翼を動かそうとするグリフィンであったが、翼の力も尽き、そのまま動かなくなってしまった。


 リヒターは見た。


 倒れたグリフィンの前で佇むリティシアの姿は、神聖な何かのようであった。

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