第12話 昨晩はお楽しみでした


 リティシアとは午後から合う約束になっていたので、呑気にもガロンは昼寝と洒落こんでいた。


 いつもの宿で朝食をすませ、その後は何をするでもなくベッドでごろごろと過ごしていつの間にか眠り込んでしまった。いい気なものである。


 そんなガロンの惰眠を破ったのは騒々しい足音だった。

 大きなノック音、続いてほそいが力強い声。


「ガロンさん! 大丈夫ですか!?」


 返事をする間もなくドアが開けられた。

 上半身を起こして見ると、血相を変えたリティシアと目があった。


「大丈夫ですか!? 体調とか、おかしくないですか?」

「いったいどうした?」

「毒とか…… 今日リヒターって人と喧嘩になっちゃって…… それでガロンさんが……」


 何もわからない。


「落ち着いて話してくれ」


 リティシアは大きく深呼吸をして、それからできるだけ落ち着いた様子で説明を始めた。


 何度か嫌がらせをしてきた男に対してキレてしまったこと。決闘代わりにどちらが早く依頼を達成できるか勝負になったこと。すでに別の依頼を受けていること。それに、ガロンが毒を盛られたのではないかと心配しているとのことだった。


 そういえば昨晩は親切な男が晩飯をおごってくれた。それも結構な量を。それに加えて酒もそこそこ飲めたので昨晩は大いに楽しめた。

 おごってくれた男の名前は曖昧だったが、リヒター、という名前を聞いてみると確かにそんな名前だったような気もする。


 毒を盛られていたか? ときかれてもガロンにはわからないとしか言いようがない。竜には人間に対しての毒などまったく効果はないし、そもそも自分に対して効果のある毒がこの世に存在するのかも知らない。


 結果、ガロンとしては単に晩飯をおごってもらい楽しんだという認識しかない。もし昨晩のアレが毒であったならば毎晩盛ってもらっても構わない。こちらからお願いしたいくらいだ。

 そんなガロンの考えとは裏腹に、リティシアは心配そうにガロンを覗き込んでいる。


「からだは、大丈夫なんですね……?」

「まったく問題ない。それで勝負というのは何の依頼なんだ?」

「フィーゲル山にいるグリフィンの討伐です」

「別の依頼というのは?」

「商人の護衛です。幸いフィーゲル山の手前の村までになるのでそう遅れは取らないと思います」

「ということはもしかして、今すぐ出発か?」

「できればそうしたいんですけど……」


 気乗りしない話ではあった。

 ガロンはまだ昼飯を食っていない、が、リティシアを見るに飯を食いたいと言い出せる空気でもなかった。


 それにリヒターという男についてもガロンは悪い気がしていない。リティシアが嘘をつくとは思えないので実際にリティシアは嫌がらせをされたのだろう。それについては腹が立たないわけでもない。ただし、それは想像しかできないものだ。


 昨晩おごってもらった晩飯はおいしかった。晩飯は想像ではなく現実である。ガロンの中ではどうしても晩飯をおごってくれたいいやつという、実体験にもとづいた印象がぬぐいきれなかった。なんとか手打ちの手段はないのだろうかとも思うが、もはやそれは手遅れなのだろう。


 ガロンは覚悟を決めた。


「じゃあいくか」

「はい! 急ぎましょう」


 こうしてガロンの少し慌ただしい一日は始まった。



*



 馬車の旅はなかなかに楽しかった。

 二千六十八年生きてきて、ガロンは生まれて初めて馬車というものに乗った。


 ガロンとリティシアは荷馬車に乗っている。


 ゆれは存外激しく、乗り心地はお世辞にもいいとは言えない。が、荷台でうしろの風景をのんびりとながめながら道を行くのはそれなりに新鮮であった。


 天気は素晴らしく、交易路のまわりを占める草原は、夏の到来を予感させる瑞々しい緑で溢れている。草原の香りをいっぱいに吸い込む。空気も最高と言いたいところだが、荷台の空気はとても悪い。


 リティシアがだんまりを貫いているからだ。


 わかる話ではある。

 リティシアの気配は、焦燥と後悔と不安が入り混じっている。

 何か話しかけようとも思うのだが、よくよく考えてみるとガロンの側から話題を振った記憶はあまりない。

 気の利いたドラゴンジョークでもかまして場の空気を軽くしたいとも思ったが、人間には通じないかもしれないという懸念から口に出すのは憚られた。


「あの、ガロンさん、すいません……」

「ん? 何がだ?」

「巻き込んでしまって、わたしが勝手に怒ったのに」

「気にしてない。それに依頼は依頼だろう?」


 リティシアは申し訳なさそうにして、


「そうなんですけど…… 考えてみるとわたしってガロンさんに助けられてばっかだなって」

「助けてもらってるさ」

「え?」


 ガロンは不敵に笑い、


「最初に合ったときを覚えているだろ? あのとき声をかけてもらってなかったら、おれは今でも無職の文無しだぞ?」


 リティシアが目をぱちくりとさせてから急に笑い出した。


「そうですね、そうかもしれません」


 リティシアの気配が普段通りに戻ったのを感じた。


「仲がよろしいのですね」


 御者台にいる商人だった。


「うるさかったか? すまない」

「いえいえ、仲がいいのはよろしいことですよ。冒険者には色々な方々がいますが、あなた方みたいなほうがなんだか安心できます」

「色々、とは?」

「仕事だけと割り切ってろくに話さない方だったり、仲が悪そうな方々だったり。始めはあなた方もそうかと思いましたが、どうやらそんなことはないようですね」

「なるほどな」

「そういう方だと私も話やすいんですよ。旅の道中って暇ですしね」


 それから商人とは色々な話をした。

 天気の話から政治の情勢の話、商人の旅の掟やどういった冒険者と出会ってきたか。


 カラス。


 草地にある岩の上に一匹のカラスがいた。

 魔物ではないごく普通のカラスだが、なんだかこの場にいるのは少し不自然な感じがした。


「今日はずいぶんとカラスが多いですね」


 リティシアが岩の上のカラスを指さしながら言った。


「街でもいつもより見かけた気がします」


 岩の上にいたカラスが「カア」と一声鳴いた。

 ガロンは、人間はカラスを不吉の前兆と捉えるという話を思い出していた。



 

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