第11話 不吉な予感


 厄介事の気配をイーノックは感じていた。


 今朝、宿を出る時ときはカラスの大群が鳴いていた。ギルドに着くまでは二回も黒猫が横切った。こういう日はろくでもないことが起こるに決まっていた。


 今、イーノックはギルドの酒場にいる。


 今日はめぼしい依頼もなく、昼食と時間つぶしを兼ねて酒場でだらだらと過ごしていた。

 何もなくてもギルドにいる時間を増やす、というのは冒険者として重要だ。

 美味しい依頼を真っ先に受けられる可能性や、他のパーティから依頼の協力をもちかけられる可能性もあるからだ。

 真っ昼間なだけあって酒場にいる冒険者の数は少ないが、イーノックはその面子から不穏な予感を抱かずにはいられなかった。


 リヒターがいるからである。


 リヒターは若い冒険者で、痩せぎすな体躯とチンピラっぽい風貌をしているが、このギルドでは一二を争う腕を持っている。

 しかし、その評判は芳しくない。端的に言えば協調性に欠ける。冒険者は全てライバルであると見ているのか、相互利益があるような内容であろうとも絶対に協力はしない。


 過去にそれをたしなめようとした冒険者がいたのだが、注意をした翌日からその冒険者の行方がわからなくなった。

 以来リヒターはギルド内では腫れ物のように扱われているが、リヒター本人は全くそれを気にしていない様子ではあった。


 イーノックはここ一週間ほどで嫌な噂を耳にしていた。

 リヒターがリティシアに嫌がらせをしているという噂だ。


 噂の内容はリティシアが依頼書を取ろうとしたところを横取りしただの、受付に並んでいる時に割り込みをしただの、内容は稚拙だが明らかに意図してやったものだと考えられるものだった。


 察するに、リヒターはリティシアの存在が面白くないのだ。リヒターは腕以上にプライドがあるタイプだ。


 リティシアが現れる前ならば、このギルドで最も腕の立つ冒険者は誰かと聞かれれば、ギルドの面々は嫌そうな顔をしながらリヒターだと答えたことだろう。

 しかし、最近は事情が変わっている。


 リティシアとガロンの登場だ。


 このふたりは、今まで受けた依頼を内容に関わらず全て達成している。おまけにリーダーであるリティシアは、このギルドでは最年少だ。

 ギルド内での評判も上々で、リティシアに至ってはファンじみたやつまで出始めており、あらくれたちのアイドルになりつつある。


 リヒターとしては面白くない。最年少で自分より腕がたつ「かも」しれないやつが出てきて、ギルド内でも人気者になっているのだから。


 それでちょっかいを出しているのだ。

 以上はイーノックの予想ではあるが、それが間違いでないことには賭けをしても構わない程度の自信があった。


 今までリヒターを昼の酒場で見かけたことはほとんどない。

 見かけるとすれば早朝か、夜か、あるいは依頼帰りの報告時がであり、こうしてただ昼にいるというのは珍しいを通り越して不気味ですらある。


 リヒターは昼食をとっているわけでもなく、入り口付近のテーブルに陣取ってつまみを食いながら滞在している。トラブルの気配を感じさせるには十分であった。


 そこに、リティシアが現れた。


 依頼を受けたあとなのか、リティシアはご機嫌な様子で昼食が乗ったトレイを持って、いつも座っている奥まった席へと向かおうとしていた。


 リティシアがリヒターの横を通ろうした瞬間、リヒターがリティシアに足をかけた。


 子供かよ。そう思うイーノックの位置からはリティシアを助けようがない。

 バランスを崩したリティシアは倒れかけたが、危ういところでバランスを取って体勢を立て直した。


 リティシアの動きを見ていたイーノックとしては何か騙されているような印象を受けた。確実に倒れるはずだったのにそうはならなかった。肉体的な能力では回避しようがない転倒を覆した違和感、たぶん魔法を使ったのだろう。


 リティシアは体勢を立て直してトレイを脇のテーブルに置き、リヒターをにらみつけて言った。


「何するんですか」


 リヒターは笑う。


「そっちこそ何するんだ、おれの足を蹴っ飛ばしやがって」


 リティシアが背中の杖に手をかける。酒場にいた全員に緊張が走った。


「なんだ? やる気か?」

「売られた喧嘩は買います。冒険者ですから」


 リティシアはいつになく毅然な態度で言った。


 イーノックの不吉な予感は当たった。

 なぜならマスターも、酒場にいる数少ない冒険者も、皆がイーノックの方を見て「なんとかしてくれ」という顔をしているからだ。

 これでもイーノックはこのギルドでは結構な古株である。そして、古株には古株の仕事がある。


 ため息。


 覚悟を決めて立ち上がり、ふたりの間に割って入った。


「はいはいおふたりさん落ち着いて。冒険者同士の喧嘩はご法度ですよ」


 ふたりが邪魔するな、という顔でイーノックをにらんだ。

 リティシアとリヒターの視線を受けてイーノックはひるむ。

 それでも、イーノックはリヒターの方を向いて言った。


「あっしは見てましたよ、あんたが足をかけたのを」

「見間違いだろ」

「なんでもここ最近お嬢ちゃんに嫌がらせしてるそうじゃないですか?」


 リヒターは悪びれる様子もなく、


「知らねぇな」

「とにかくお嬢ちゃんも引いてください。この件はあっしからもギルドの方に言っておくんで」


 リティシアは杖を握ったままだ。眼にはまだ戦意が漲っているのがわかる。


「冒険者同士の喧嘩はご法度って言ってましたよね?」

「冒険者同士の喧嘩は最悪ギルド除名までありますよ。ほら、その物騒な杖をしまって」

「何か他に決着をつける方法ってないんですか?」


 思いのほか武闘派な発言にイーノックは天を仰ぐ。勘弁してほしい。リヒターはそれを聞いてゲラゲラと笑っている。


「冒険者同士で揉めた時はまあ、特定の依頼をどちらが早く達成できるか競うというのが一番多いですよ」

「じゃあそれで」


 リティシアはもう火がついたようになっている。


「本気か?」


 こういった展開を狙ったであろうリヒターですら驚いている。


「逃げるんですか?」

「上等だ」

「あの、お嬢ちゃん、ちょっとそれはやめた方が……」


 老婆心からイーノックは止めようとしたが、もはやイーノックなどいないかのような扱いでふたりの話は進む。


「じゃあ依頼はおれが決める。そっちが全部決めるって話はないだろ?」

「いいですよ」


 リティシアとリヒターは掲示板の元へと向かった。

 リヒターが掲示板左上にある最も古い依頼を指さす。


「これだ」


 リヒターが示した依頼はグリフィンの討伐であった。


「まさか逃げないよな?」

「逃げませんよ」

「じゃあ条件を確認しようか。早く討伐した方が勝ち、手段は問わない。そっちが勝ったら何を求める?」


 リティシアが、断固たる口調で言う。


「正式な謝罪を」

「わかった。こっちはそうだな、しばらくタダ働きでもしてもらうか。向こう五つ分の依頼報酬をもらう。それでいいか?」

「構いません」

「じゃあ成立だ。いつも一緒にいる男も協力してくれるといいがな」


 そう言ってリヒターは気味の悪い笑みを残して冒険者ギルドを出た。

 イーノックは大きなため息をついて首を横に振る。


「お嬢ちゃん、あっしは止めましたからね」


 リティシアは半分泣きそうな顔をしていた。


「イーノックさんはわたしたちが勝てないと思ってるんですか?」

「思ってますよ、だってお嬢ちゃんはすでに依頼を受けてきたんですよね? どうするんですかそれは」

「え、と…… それは……」


 リティシアはいつの間にか握りしめてくちゃくちゃにしていた契約書を、初めて気づいたような目で見ている。


「それにガロンの旦那に協力してもらうつもりなんですよね?」

「それは…… そうですけど……」

「あっしは見てたんですがね、昨日の夜リヒターがガロンの旦那に飯をたらふくおごってました。今日のこれを見た後だと、あれはもう確実に一服も二服も盛ったに決まってますよ」


 リティシアの血の気が引いたように見えた。

 リヒターはこのギルドでは一二を争う腕を持った冒険者である。それはイーノックも認めるところだ。そんな腕を持った冒険者が考えなしのバカであるということはあり得ない。性格は悪いかもしれないし、幼稚な嫌がらせもするかもしれないが、絶対にバカではない。

 

 たぶんこの件に関してもそれなりに周到な計画は練ったはずだ。喧嘩を売ったのも昨日ガロンを封じる何かをしたからであり、リティシアが依頼を受けたのを確認したからだ。それ以外にも空振りだった罠があったかもしれないし、気付かぬ罠もまだあるかもしれない。


 だからイーノックは止めたのだが、リティシアは聞く耳を持たなかった。普段はおっとりしたリティシアがああも熱くなるのは意外だったが、これも若さなのかもしれない。


「早く旦那の元へ行きなさい。忠告しておきますがね、ガロンの旦那が一緒に行けないようならこの勝負、手を引きなさい。リヒターが負けたら出て行けと言わなかったのはギルド全員を敵に回そうとは思ってないからです。みんなお嬢ちゃんが気に入ってますからね。リヒターは自分が嬢ちゃんより上だと何かの形で証明されれば満足するんですよ。命をかけるような勝負じゃありません」


 リティシアはひどく消沈した様子であった。


「わか……りました……」


 そう絞り出すように言ったリティシアを見て、イーノックは何か悪いことでもしてしまったかのような気分になる。


 予感はあたった。


 やはり厄介事が起こった。

 

 

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