第2話

それから私は先生といろんな話をするようになった。

母親の迎えが遅くなることも増えたことも関係していた。


先生と仲良くなるにつれて、変化したことがある。

それは、先生が私に期待するようになったことだ。

両親に認められたいと思っていた私は塾に入る前からそれなりに勉強は頑張っていた。

だからテストの点は悪い方ではなかったが、先生は私に厳しかった。

学校の定期テストが終わると、必ず先生に呼ばれる。


「何点だった?」

そして自分が担当している教科の点数を聞いた。

「86点です」

「見せて。…これなら90点は取れただろ」

「でも前よりは上がりました」

「先生が教えてるから当たり前だ」


私が良い点を取ったときは、笑顔でこう言う。

「次は100点取れるな」

その笑顔は、生徒に期待をする先生というよりは、いじわるをする同級生のような顔だ。


テストの点が低いときは「ふーん、こんくらいか」と突き放すようなことを言った。


褒めて伸ばすような優しいタイプではなかったが、私は嬉しかった。

100点を取っても「そう」としか言わない母親とは違う。

いつも息子のことしか考えていない父親とは違う。

先生は私を見てくれている。期待してくれる。


その期待に応えたいという気持ちは私の中で徐々に強くなっていった。



中学2年生の冬。

高校生の兄が反抗期になり、母親にきつく当たるようになった。

兄のことが大好きな母親は、それだけでよく涙を流し私に言った。

「ねえ、お母さんって可哀想?」

私はその度に、心臓が変な音を立てているような気がした。

聞こえないふりをして、何も答えない私。

でも、心の中ではずっと言っていた。


なんで兄のことではそんなに悲しむの?

あなたの子どもは兄だけじゃない。私もいるじゃん。

私はおかあさんのこと大好きなのに。どうして私を見てくれないの。


心の中はざわざわとうるさいのに、口から言葉は出てない。

本心を言う勇気もない。

黙って母の言葉を聞いていた。


先生に、その話をした。

先生はいつだって私がほしい言葉をくれる。

「…って言われたんです。

お母さんやっぱり可哀そうですかね?」

気付けばへらへら笑いながら話していた。

母の言葉に傷ついたことを隠すように、軽い調子で話す。

そんな自分が虚しくなった。


先生は真剣な顔で私の話を聞いた。

「おまえはなんて言ったの?」

「なにも。何も言えなかったです」

「おまえは優しいもんな」

「ううん、違います。

ほんとは心の中で思ってたんです。

私がいるのになんでそんなこと言えるの?って」

「それを言わないなんて大人だよ」

先生の言葉に、かぶりを振る。大人なんかじゃない。優しくもない。

私の心の中はもっと子どもで幼稚な欲求でいっぱいだ。

「大人じゃない。その後すぐに思ったんです。

私も自分のことしか考えられない人間だって。

お母さんと同じ。

そんな人間だから、お母さんも私のこと見てくれないのかもって」


吐き出すように言った言葉。へらへら笑っている余裕は、いつの間にか無くなっていた。俯いていた顔をあげると先生と目があった。

真っ黒な目はいつも何を考えているか分からない。


「お前のことは褒めにくいよ」

「…え?」


唐突に言われた。

どういう意味だろう。

私が子どもだから、褒めるところがないってこと?

そんな私の思考なんて読んだかのように先生は言った。


「褒めるところがないとかそういう意味じゃないよ。

ただ、お前は言葉の裏を考えるから。

その言葉を言った人が、次は自分に何を望んでいて何を期待しているのかを考えて期待に応えようとするから褒めにくい」


先生の手が私の頭を撫でた。

体温が高いのか先生の手はいつも温かく仄かにたばこの匂いがする。


「でも、敢えて言うね。先生はお前のこと誰よりも期待しているから」

先生は泣くのを堪えてぎこちない笑顔の私の頬をひっぱった。

「…痛いです」

「はは」


いじわるな笑顔がどこまでも温かく感じた。

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