初恋の先生は誰よりも最低な人で。

反野 奏

第1話 

学生の頃の恋愛は、夢中になる。

それはきっと学生はお金や仕事について考えなくていい分、恋愛に自分の持っている時間も労力も費やすことができるからだ。

だから学生の頃の恋愛を大人になってから思い出すと「あの時の恋愛はよかったな」と思えるんだ。


でも、私の場合は違う。

思い出しても、恥ずかしいけど甘酸っぱいそんな気持ちになんてならない。

苦いなんて言葉では言い表せない。

私の初恋はぐちゃぐちゃだ。


私の初めての恋は中学生。塾の先生を好きになった。


「生きるの楽しそうだね」

当時中学生だった私はいつもにこにこ笑っているせいか、同級生たちに能天気だと思われていた。

でも、本当は能天気とは程遠い性格をしていた。


兄と比較されながら育っていた私は、劣等感の塊。

心配症でネガティブな性格のせいで、中学生になる頃には『ある癖』ができていた。


塾で勉強していると、職員室の電話が鳴る。

その音をきっかけに頭が想像を始める。


「○○さんのお母さんが事故に合いました。すぐに来てください」

警察からの電話。急いで私を呼びに来る先生。呆然とする私。


扉の方を見た。

もちろん、私を呼びに来る先生なんていない。

電話も警察からじゃない。


分かっているのに、なぜか毎回そんな想像をしてしまう癖がついていた。


救急車の音が聞こえたとき、電話が鳴ったとき、両親の帰りが遅いとき。

いつも母親か父親が事故合う姿を想像してしまう。

両親ともに事故に合う想像をしないのはきっと、不仲の両親が2人で一緒にいることが想像できなかったからだろう。


初めは何にも思ってなかった。でも、毎日のようにそんな想像ばかりしてしまうようになると、悩むようになる。


なんでそんな想像ばかりしてしまうんだろう。

よくないことなのに。

まるでそれを願っているかのように何度も何度も。

…もしかしたら私は本当に願っているのかもしれない。

両親に事故に合ってほしい、いなくなってほしいって。

ううん、そんなわけがない。

両親のことは好きだ。だから、死んでほしいなんて思ったことはない。


でも、好きだったからこそ兄と比べ自分を見てくれないことを恨んでもいた。


ぐるぐる悩んでも答えなんて出なくて、悩みは深まるだけだった。



そんなある日。

塾の授業が終わり、お母さんの迎えを待っていた。

宿題も終わりやることがなくなった私は、職員室にいる先生と世間話をしていた。

中村先生。二十代後半の先生で、地味な見た目で、授業もおもしろい冗談とか言わず丁寧に進めていくタイプの人。

見た目も話し方も親しみを感じるような人ではないけど、実際に話してみればどんな話でも聞いてくれる。

たまに塾の友だちと先生に話しかけることがあった。

でも、その時は友だちも帰って私一人。


今思えば、その時初めて先生と2人きりで話した。


いつもみたいに他愛もない世間話をしている途中に、電話が鳴る。

「ちょっとごめん」

先生は受話器を取った。


先生が電話で話しているとき、私の頭はいつものように勝手に想像を始める。

自分の両親の不幸を知らせる電話なんじゃないか。


そう思い、耳をそばだてると電話相手の声が僅かに聞こえた。

女性の声。生徒のお母さんだろうか。

私の想像は現実にはならなかった。

ホッとするようながっかりするような気持ちになる。


いつの間にか電話は切れていた。

まだ半ば想像の中にいた私は先生に話しかけられて顔を上げた。

そして先生に言った。


「最近、へんなことばかり考えてしまうんです」

「変なこと?」

「うん。今みたいに突然電話が鳴ると、お母さんが事故に遭ったとか家が火事だとかそういう不幸の電話かもしれないって。

そういうことばっかり想像してしまうんです」


先生に言ったのは気まぐれだった。

たまたまここに先生がいたから言ってみただけで、彼からの明確な答えを期待していたわけじゃない。


先生は私の話を聞き終えると、にこりと笑った。

「お前は妄想好きなんだな」

「もうそう…?」

「そうだろう?起きもしないことをずっと考えているんだから。

想像力豊かなんだな」

「…妄想か。そうかも。」


気付けば笑っていた。


今までずっと悩んでいたことは、単なる妄想だったのか。

私がそれを望んでいるとかじゃなくて単に想像力豊かなだけなのか。

妄想好きなだけなのか。

そう思うと、悩んでいたのがバカらしくて笑えた。


「私って、妄想好きだったのか~」

笑ながら言う私に、先生も笑った。

「また何か妄想したら教えてよ」

「分かりました」

これが私が先生と仲良くなったきっかけだ。

私は人に悩みを話すのが苦手だった。今までも誰にも悩みを話してこなかったから、「能天気」だと思われていたんだと思う。

先生は私にとって、初めて自分の悩みを話した人になった。


それからまた数カ月経ったある日。

先生に相談したくなるようなことが起こる。


うちの家は「女は結局家庭に入るんだから」と考える家庭だった。

両親に頼んで塾に通うことは許してもらっていたものの、勉強を頑張ってもあまり褒められない。

そんなある日。

「女が勉強をやったって無駄」と、直接言われた。

私はその言葉に、ショックを受けた。

そしてその日。たまたま先生と話す機会があった。


私は先生に聞いた。

「女は家庭に入るから勉強をやっても無駄かな」

誰でもいいから否定してほしかった。

塾の先生だったら否定してくれるだろう。そんな気持ちで聞いた。


「誰がそう言ったの?」

「うちの親」

「…先生はそう思わないよ」

先生の言葉に安心した。

「両親の言うことだからって、全部受け止めなくていい。

違う人間なんだから、考えが違うなんて当たり前なんだよ」

親の言うことを聞いて生きてきた私には、その言葉は新鮮だった。

「でも、両親と意見が違うからと言って真っ向から否定もしなくていいんだ。

『あなたはそういう考えなんだね。私は違うけど』

って少し離れたところで見たらいいよ」


もやもやしていた私の心にすっと入ってくる。

見上げると、先生と目が合う。私はしっかり頷いた。

先生の言葉は、小さな世界を広げて私を生きやすくするだけの力があった。


その日を境に、先生は私にとって、「心を許せる大人」になった。

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