抽選に纏わる

そうざ

The Episode about lottery

 ショッピングモールに長蛇の列が出来ている。抽選会場である四階イベントスペースから延びたそれは、長い通路を越えて階段へと続き、三階通路から二階通路へ、二階から一階へ、今やエントランスの外まで食み出そうとしていた。

 モール内で税込み千円以上の買い物をすると漏れなく抽選権が与えられるというので、俺は一も二もなく売り場に走った。

 目的は一等景品の最新型ゲーム機。発売直後あっと言う間に完売し、早くも幻の呼び声が高い機種だ。悪質な高額転売や模倣品詐欺が問題化したのも記憶に新しい。

 軽く小一時間が過ぎ、俺は漸く三階通路の途中まで来ていた。

 吹き抜けから下階や上階が見渡せる。俺は、未だ延び続けている後尾を眺めては、暇な連中だねぇと揶揄し、遅々として進まない先頭を見上げては、一等を当てた奴は殺すから、と毒突いた。

 上階の方から時折、当選を知らせる鐘が聞こえて来る。その度に、苛立ちと退屈とを抱えて列を成すが仰ぎ見る。そして、二等以下が当たっただけと知り、ほっと胸を撫で下ろす。

 一等籤はたった一本。誰かに引き当てられたら、長時間の順番待ちは水泡に帰す。

 俺は、手にしたぐるみを固く握り締めた。猫をモチーフにしたモール独自のマスコットキャラクターらしく、ピンク色の胴体に着けた赤い腹当てに〔キャッティー〕と記されている。勿論、欲しくて買った訳ではない。一等景品と参加条件とを知ってこれは一刻を争うと思い、手近なワゴンに山積みになっていた此奴こいつを素早く手に取った迄だ。行列を見渡せば、その手にちらほらと〔キャッティー〕がぶら下がっている。

 俺の短くも長い人生に於いて、抽選なるものは縁遠かった。そもそも不確定要素の大きいもの――競輪、競馬、パチンコ、宝籤に至るまで、まるで興味が湧かない。元来、ああいうものは損をするように出来ている。もっと言えば、ほんの一部の人間が得をする為に、多くの人間が生贄として捧げられる不毛なゲームなのだ。

 子供の泣き声が響いた。もう何人もの幼気いたいけな心が傷付けられている。係員が謝る声とたしなめる親との声が交互に吹き抜けを吹き抜ける。我が儘な子供に社会的試練を与え、人生の機微を知らしめ、いつまでも全能感を有していては大人にはなれない事を教える良い機会になるだろう。俺は泣き顔で擦れ違う子供に、この先、君にはまだまだ未曾有の試練が待ち受けているぞ、と密かに反語的エールを送った。

 ようやく、あのお馴染みのガラガラと回す形式の抽選器が視界に入る位置までやって来た。が、二時間近く立ちっ放しで、足が棒になり、膝が笑いそうだ。おまけに膀胱も大腸も心配になって来ている。先頭の方を見ると、一際高い位置に目当てのゲーム機がガラスケースに入れられ、国宝のように光り輝いていた。その後光ごこうに当てられ、思わず緩みそうになる肛門括約筋を締め直す俺。

 俺の番まで残り数人。

 俺は呪術を信用したくなった。前の人間が抽選器を回す度に、ハズレろっ、急用を思い出せっ、突然死でも良いぞっ、と念じ続けた。呪術師デビューも夢ではないくらい順調に敗者が生まれ続ける。

 お決まりの半被はっぴを着た係員が事前に購入品のレシートを確認し、俺が正当な抽選権保有者である事を認めた。ちょっとしたVIP気分である。

 そして、遂に抽選器が俺の眼前に鎮座した。

 逢いたかったぞ、と思わず撫で回したくなる欲求を押さえつつ、ハンドルに手を掛けた。ハンドルが妙に生温かいのは、数多の敗者が残して行った情念の証拠あかしだろう。

 ガラ、ガラガラガラ――コンッコロン。金色の玉が転げ出た。

「うぉっっお!」

 思わず奇声を発してしまった。

 古今東西の文明が珍重し、我が手にせんと目の色を変えて東奔西走し、時には略奪も辞さぬ欲望の権化となって追い求めたところの原子番号79の輝きであるからには、一等当選を指し示している事に微塵も疑いの余地が入り込む隙はないであろうところの――。

「五等で~す」

 若い女性係員が黄色い声を張り上げた。金色の玉なのに黄色い声とは、是如何これいかに。俺は母国語を解すし、聴覚はすこぶる正常だ。それとも係員が俺に一目惚れをし、後藤ごとうです、と自己紹介したのか。

「おめでとうございま~す、〔キャッティー〕が当たりました~」

 よく見ると、背後の壁に当選一覧表なるものが貼り出されている。一等の枠に、景品がゲーム機である事と示すと共に白い玉の絵が描かれている。二等は赤玉、三等は青玉、四等は黄玉、そして五等は金玉――。

 俺は、そこで気が付いた。

 この抽選会は、ショッピングモールを隠れ蓑にしたシンジケートだかコンツェルンだかの陰謀に違いない。〔キャッティー〕に依る世界征服か、または〔キャッティー〕の在庫一掃を目論んでいるのだ。景品の中にまで〔キャッティー〕を忍ばせている事実こそが、誰の目にも明らかな動かし難い証拠である。

 係員がも貴重な品であるかのように〔キャッティー〕を差し出した。

「要りません」

「そう仰らずに――」

「もう持ってます」

「一つは保存用として――」

「要りません」

 例え膀胱、大腸の二重苦の真っ最中でも、ここまで来て彼奴等きゃつらの策略に屈してなるものか。

「一旦お持ち帰りになってから、如何様にも処分なさって構いませんので――」

「提案があります」

「はい?」

「事前に購入した〔キャッティー〕を別の商品に代えます」

「えっ」

「税込み千円の別の品物に交換したいと言ってるんです」

 周囲の係員達が、やれやれ、クレーマー様だ、と顔を見合わせている。

「そうなりますと、ご購入された売り場に戻って頂き、そこで対応させて頂く事になります」

「……解りました」

 怒髪天を衝き掛けながらその場を離れようとすると、係員が説明を付け足した。

「その場合、もう一度、最後尾からお並び頂く事になります」

「はぁ?」

「大勢のお客様が順番を待っていらっしゃいますので、抽選の進行を遅らせる事は出来兼ねます」

 俺は、背中に刺すような視線を感じ、振り返った。列を成した連中が、さっさと消えろと言わんばかりの形相で俺を見ている。

 マニュアル世代め、不寛容社会め、似非えせ民主主義者め――俺の膀胱と大腸とが限界を迎えようとしていた。


 もう日が暮れ掛けていると思うが、モール内では確認が出来ない。漸くまた行列の中程まで進んだ俺に、屋外を確認しに行く隙があろう筈もない。

 図らずも一旦は彼奴等の忌々しい野望に屈する事になった。下半身に雑用がなければ、誰が唯々諾々と並び直したりするものか。

 しかしながら、再び一等獲得の千載一遇が与えられたからには、この一念、必ずや成就させねば、死んだ両親や御先祖に如何な顔向けが出来ようか――いな、両親は故郷で健在であった。結婚の予定はないのかと時代錯誤の要らぬプレッシャーを掛けて来るくらいピンピンしている。

 それは兎も角、幸いにして俺の呪力は未だ渇していなかったようで、悔し顔や泣きべそ顔が次々に傍らを通り過ぎて行く。

 閉店時間が迫っている為、行列の長さは一度目のそれよりは短く、再び先頭まで進むのに然程の時間を要しなかった。

 間近に控えた男性係員に、改めて購入した商品のレシートを見せる。係員が俺の顔を二度見した。先程のすったもんだを知っているからこその反応だ。俺はニヤリと笑って見せた。

 相変わらず女性係員が抽選器の前で対応を続けている。不意に俺と目が合った瞬間、軽く舌打ちをしたようだった。ここでも俺は口角を上げて見せ、おもむろに抽選器を回した。

 ガラ、ガラガラガラ――コンッコロン。また金色の玉が転げ出た。

 抽選器内に充填されている玉の中で最も多いのが五等である事は百も承知で、確率的にそれを引き当てる可能性が高いのも必然に過ぎない。一等を引き当てるとか引き当てないとか、希少なゲーム機が何とかんとか、そんな事はもうどうでも良い。今の俺を突き動かしているのは、もっと大いなる存在の意思に依るものなのだ。

 俺は、間髪を入れずに言った。

「提案その2」

「はい?」

 係員が眉根を寄せた。

「五等景品の〔キャッティー〕は要りません」

「……であれば、館内の燃せるごみ用のごみ箱に破棄して頂いて構いませんが」

 係員は顔を引き攣らせながらも、引き下がるつもりはないらしい。流石、秘密結社だか犯罪組織だかの構成員だ。しかし、唾棄すべき想定内の反応に過ぎない。

「俺はもう〔キャッティー〕を持っていますから」

 俺が後ろ手にしていた〔キャッティー〕を開示すると、構成員は声にならない声を上げた。悲鳴に近かった。

 解説しよう、俺は最初に買った〔キャッティー〕を返品し、改めて〔キャッティー〕を購入し、そして改めて列に並び直したのである、解説終わり。

「景品の〔キャッティー〕だけを持って帰ります。購入した方の〔キャッティー〕は返品します」

「先程も申し上げましたように、ご購入品を返品されますと抽選権自体が失われまして――」

「たった今、俺は五等の景品〔キャッティー〕を引き当てました。つまり、俺の抽選は既に終わっているという事です」

「……はい」

「その後に購入品の方の〔キャッティー〕を返品したからと言って、時間を遡って既に行使した権利を剥奪するなんて出来るんでしょうか? もし殺人が合法の社会で後にそれが違法化されたとして過去の殺人者を殺人罪で逮捕、送致、勾留、起訴、裁判、判決、処刑し得るのでしょうか!?」

 構成員達が、正真正銘のクレーマー様だ、否、前後不覚のクレージー様だ、と顔を見合わせ、抽選会のルールについてごにょごにょと確認作業を始めた。

 閉館時間が迫っている。俺の後ろで哀れな愚民共が未だ目を吊り上げながら下らない抽選の機会を今か今かと待っている。この状況を鑑みれば、構成員同士でいつまでも揉めている場合ではなかろう。

 やがて、構成員が如何にも冷静を装った風に言った。

「直ぐに対応致します……」

 俺は、抽選会場の隅で〔キャッティー〕を返品し、支払った金を取り返した。遂にアナキズムだかナショナリズムだかに完全勝利したのだ。

 要件が済んで持ち場に戻ろうとする構成員を呼び止めると、まだ何か、という顔をされた。

「抽選会は今日だけですか?」

「一等が出るまでは継続します」

「では、また明日来ます」

「……ど、どうぞ奮ってご参加下さい」

 近年稀に見る何とも言えない清々しい心持ちだ。この世のあらゆる災禍を敵前逃亡させたような全能感が、全身の毛細血管から末梢神経に至るまで巡り巡り、雄叫びを上げている。

 反共団体だか共産主義だかに勝とうが負けようが、本来的にはどうでも良い事だ。両親がいつまでも健在であればそれで良い。

 景品の〔キャッティー〕をプラごみ用のごみ箱に捩じ込んで意気揚々と凱旋帰宅しようとする皇帝おれさまの背後で、一等当選の鐘が高らかに鳴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

抽選に纏わる そうざ @so-za

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説