目が明く青色

@enoz0201

目が明く青色

「ん…」

 けたたましく鳴り響くベルの音で、目が覚めた。

 目を閉じたまま、手探りで音源を探す。自分が頭を乗せた枕、その真横に、小型の目覚まし時計は置いてあった。

 その音を、裏面のスイッチを切り替えて消す。と同時に、静寂の中で二度寝をしてしまわないよう、身体を起こして目を開ける。窓から漏れる光から室内の状態を把握して、次にはベッドを降りた。歩を進める先は、洗面所。未だ半ば眠っている脳みそを叩き起こすために、水場へ向かっていく。

 だが、辿り着いてすぐ、蛇口を捻って冷水を出して両手で掬って顔面に叩きつける前に、私の意識は衝撃にはたかれて覚醒した。いつも通りの光景なのに、鏡を通して見た自分の青白い顔は特別変なところはないのに、相も変わらず驚いてしまった。

「…青い」



 洗面所で歯磨きやらなんやらを済ませて、部屋に戻って制服にも着替えてから、リビングに顔を出す。隣接している台所では、お母さんがお弁当を作っていた。

「お母さん、おはよう」

「おはよう。今お昼作ってるから、少し待ってね」

 既に準備万端の私を見て、お母さんは少し手を動かす速度を早める。のんびりと起きてきた私の朝の支度がしっかり者で早起きなお母さんより先行しているのは、なんだか不思議だ。お母さんの手元を覗き込むと、思わず「わっ」と小さな声が出るほどボリュームがあった。

 どうしてこんなに……あ、

「そっか」

 私は朝は食べない派だから、お昼はなるべく豪華なものにしようとしてくれてるのか。昨日「朝はめんどくさいしいい」なんてワガママを私が言ったから、お母さんなりに工夫をしてくれているのか。

「…」

 でも。「ちゃんと食べなさい」とは、言ってくれない。言うより早く、お母さんは妥協している。

 少し、自分の中を巡る血液が冷えたような気がした。

「……青い血は、きっと元から冷めてるか」



 お母さんから弁当を受け取って、「行ってきます」を言って、家を出る。住宅が立ち並ぶ通りから、最寄りの駅へと歩いていく。田舎に住んでるわけじゃないからそう時間はかからずに、地下鉄へ続く階段が見えてきた。やたら長いそれを降りて、外気から遮断されたホームで電車を待ち、数分でやって来たそれに乗り込む。

 車内は、通勤や通学のために乗っている人達でいっぱいだった。

「…うぐ」

 おしくらまんじゅうのように潰され、さらに電車の揺れにも晒され、少し頭がくらくらする。別に体調が悪い訳ではないけど、人の多いところは苦手だ。はやく学校の最寄り駅について、この苦しみから解放されたい。

 …と。

「あの、すみません、席座りますか…?」

 そんなことを考えていると、どういうわけか、望み通りに救いの手が差し伸べられた。声のする方、目の前の席に座っている優しそうなお姉さんが、こちらを心配そうに見つめている。

 はて、老人でも妊婦でもないのに席を譲られるとは。私はそんなに辛そうな顔をしているのだろうか。だとしたら問題だけど……。

 でも真相は、そんな深刻なものではなかった。

「顔、すごく青いので。気分悪そうで、大丈夫ですか?」

 むしろ、とても単純でありふれた解答だった。

 …なるほど。

 そうか。そう、か。そう、だよね。

 そりゃ、何も知らない人からは、優しい人からは、私の顔色はそう見える。

「…えーと」

 しかし、困った。私は、何と言えばいいのだろうか。

「そ、そうですよね。青いですよね、顔」

 とりあえず、適当に同意だけしてみた。



 校門をくぐり抜け、長い階段をひいひいと上り、やっと自分の教室にたどり着く。電車の中の騒動(?)への対応もあってか、まだ学校は始まってすらいないのに、心身はすっかり疲労していた。正直このまま家に直帰したい気持ちもあったがそういうわけにもいかず、ため息をついてから教室の中に入る。

 ……そもそも、この学校が好きじゃないんだ。ぼろいし、汚いし。

「おはよー」

「おはよう」

 ただ、入るなり笑顔で挨拶をしてくれた友人の存在もあって、入ってしまえば意外と億劫な気持ちは感じなくなっていった。彼女の隣の席に座り、適当なおしゃべりをしていると、心身が楽になっていく気がする。公立高校故のぼろい壁や床も、ギシギシ言う木の机も、なんだか愛嬌があるように思えてくる。

「友達って、すごいね」

「えどうしたの急に」

 思わず呟くと、彼女は怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでくる。同時に、言った私自身も一歩遅れて驚きと恥ずかしさが追いついてくる。

 どうしたんだ、急に。

「いや別に」

「そんな小学校の道徳の教科書みたいな台詞言うキャラじゃないでしょ。いや情緒不安定だし言わなくはないか……?」

 情緒不安定て。まあ否定はしないけど。

「しかし、うーむ、これは相当な検証が……」

 友人はそのままの流れでうんうんとうなり始めてしまった。こうなると彼女は納得するまで帰ってこない。

「おーい」

 やはり、声をかけても返事は皆無だった。

 私が言いそうか言わなさそうかなんて、そんなことに悩んで時間を消費するのは究極の無駄だと思うけど、それが彼女なのだから仕方がない。諦めて、机の横にかけたリュックを漁る。教科書を取り出して、ノートも開いてシャーペンも手に取って、次の授業の予習をしようと、

「あーあ。今日も来たよ、青女。見てると寒気してくるから来ないで欲しいわ」

 何か、聞こえた気がした。

「っ、」

 大丈夫。大丈夫だ。大丈夫、なはずだ。あれはもう、解決したはずだ。先生に言って、謝ってもらって、和解してもらったはずだ。あの時怒ってくれた彼女も反応してないから、だから今のは、ただの幻聴でしかないはずだ。

『あーあ。今日も来たよ、青女。見てると寒気してくるから来ないで欲しいわ』

 うるさい。

『あーあ。今日も来たよ、青女。見てると寒気してくるから来ないで欲しいわ』

 うるさい。

『あーあ。今日も来たよ、青女。見てると寒気してくるから来ないで欲しいわ』

「……はは」

 うるさいな。

「なんだよ、青女って」

 思わず、笑いが出た。



 車の走行音が、やけに耳障りだった。

「……」

 被害妄想じみた幻聴に苛まれ、吐き気まで催して、学校に来るなり早退を申し出た、そんな惨めで不毛なある日の帰り。学校から駅までの道のりを、ゾンビのような足取りで進んでいく。学校は割と都会にあって、だから歩道の横では何台もの車がめまぐるしく往復していて、排気ガスとエンジンの駆動音が感覚に触れる。熱を伴った身体に、刺激のひとつひとつが騒々しく突き刺さる。

『おはよー』

 ──信号が赤だったので、足を止める。

 ふと、さっき別れたばかりの彼女の顔が思い浮かんだ。私が来るなり弾けるような笑顔を見せてくれた、彼女の顔。主に自業自得でクラスから浮いてしまっている私を友達だと思ってくれている、はっきり言って物好きで、変わり者で、でも救いになるような、彼女の存在。

『今お昼作ってるから、少し待ってね』

 ──信号が青になったので、横断歩道を横切っていく。

 ふと、お母さんの顔が思い浮かんだ。これまでずっと、私を育ててくれた人。今朝もお弁当を作ってくれた人。ワガママを聞いてくれたことに一方的に距離を感じてしまったけど、でもそれも私の思い込みでしかなくて、本当はもっと感謝すべき人。お弁当を食べられなかったことを、帰って謝らないといけない人。

「……え、」

 ──なのに、横から大きなものが迫ってきている気がする。

 いや、本当は、謝ることはもっとある。感謝することは山ほどある。こんな私を育ててくれてありがとうって、こんな私と友達になってくれてありがとうって。色々迷惑かけてごめんなさいって、愛想悪くてごめんって、あと、

「あ」

 ──大きくて固い何かが、物凄い速度でぶつかった。

 死んじゃったら、ごめんなさい。



 朦朧とする意識の中、目を開ける。身体は動かないので、視線だけで状況を把握する。

 私は、横断歩道のど真ん中に倒れていた。信号無視して突っ込んできた車は見当たらないので、どうにも私を轢いたままどこかに逃げたらしかった。

「……い、や」

 いや。

 そんなもの、本当は見ちゃいなかった。もっと別のところに、視線は吸い寄せられていた。むしろ、それこそが私の全てなんだって、それほどまでに憎しみを込めて、見つめていた。

 黒い道の上に飛び散った私の青い血を、見つめていた。

「あ、え、おい、」

 今更ながら、不思議になってくる。かつて医者から説明を受けた時の、まだ幼くまともな思考もしていない頃であるにも関わらず焼き付いた困惑の記憶が、百パーセントの精度で蘇ってくる。

 どうして、生まれつき私の血は青いのか。特別な血液と言ったって、血が赤いのにも理由があるのに、同じ人間で青いなんて許されるのか。そんな、出来の悪い小説みたいな設定があっていいのか。

 生で見つめることで、馬鹿らしさと嫌悪感が強くなっていく。

「は、は」

 青。

 青。

 青。

 一面に飛び散った、目に悪いまでの、青。

「は、えふっ、ごふ、」

 ──否。こんなものは、こんな気持ち悪くて、いじめを引き起こして、他人にも気を使わせるようなモノは、青いなんて言えない。そんな綺麗な表現は、こみ上げるような拒否反応に似つかわしくない。

 ああ、そうだ。

 この血の色は、青いというより薄汚い。汚らしくて、汚らわしい。

 そんな結論に至った途端、死に至る病にかかったかのように、意識が落ちた。


『あ、だ、大丈夫ですか!』

 ……。

『そうだ、救急車呼ばないと……!』

 ……うるさいな。

『呼びました、だから、助かりますから!』

 助からないよ。特殊な血液だから、輸血なんてできないから、どうせ出血多量で死ぬんだよ。

『しっかり、死んじゃだめだ!』

 だから助からないんだって。もういいから、もう諦めてるから、そんな叫ばなくていいんだって。

『く、まだなのか、はやく……!』

 本当に、うるさい。騒がしい。もう、静かに眠らせて欲しい。

『生きて、』

 ……でも。

『生きて、』

 でも、少し。

『生きてください!』

 顔も知らない誰かに惜しまれるのも、悪い気分じゃないかもしれない。



「わっ!」

 今のは、どちらの声だっただろう。ベッドから跳び起きた私の第一声か、傍らでそれを見ていた彼の驚きの反応か。私はまともに声が出ないから、きっと後者に違いない。

「あ、お、起きた……よかった……!」

 私は、白い部屋の中で、白いカーテンに囲まれて、白いベッドの上で眠っていた。どこか聞き覚えのある声で、小柄な身体と少し長めの髪を揺らして喜んでいる彼は、ベッドの横の椅子に座っていた。

 ……えっと、この状況は。

「あ、え、」

 ダメだ、声が出ない。恐らく彼は、横断歩道のど真ん中を突っ切って私を介抱してくれた、そして救急車を呼んでくれた、さっきまで夢の中で聞いていた声の主だ。見ず知らずの私にそこまで、目が覚めるまで横にいてくれたことに、感謝の言葉を伝えないと。

 なんだかんだ言いつつ、最後には嬉しいと、思ってしまったわけだし。

「あ、大丈夫です! 多分声出ないし身体もガタガタだと思うんで、無理しないでください!」

 痛む身体を無理矢理動かそうとする私を見て色々わかったのか、彼は両の手をこちらに向けて優しく声をかけてくれる。それでますます申し訳ない気持ちが加速するけど、実際問題まともなコミュニケーションはできそうにないので、仕方なく身体から力を抜いた。

「お医者さんによると、なんか偶然血液のサンプル? があったみたいで、なので輸血できたそうです」

 私がベッドに横たわった、しかし最後の抵抗で目を閉じようとはしないで彼の目を感謝を込めて見つめていると、彼はこちらの気になってそうなことを色々話してくれた。私が助かった理由、彼の素性、学生だったのになんであの時間あそこにいたのか、暴走車の行方にいたるまで、体調を伺いながらも丁寧に説明していった。

「すみません、赤の他人なのにこんなとこまでついてきちゃって。救急車を呼んだ手前、ついていった方がいいのかな……みたいな。ほんとは、心配で心配でどうしても、ってのもあったんですけど」

 説明し切った後に、彼は頬をかきながらそんなことを言った。そんなことない、ありがとうと言いたかったけどやっぱり言葉は紡げなくて、彼の少し恥ずかしそうな表情だけが、意識と感覚を捉えていく。

「あ、お母さんが来たみたいです。じゃあ、僕はこれで失礼します」

 と、恩を着せるような形にならないためか、病室のドアが開いたのを見て彼は椅子から立ち上がる。こちらに会釈をして、立ち去っていく。

「ほんとに、よかったです」

 彼がカーテンの向こうへ行く、その前に。最後の最後に彼が見せた微笑が、私のどこかにそっと触れた気がした。

「有紗……?」

 入れ替わるような形で、お母さんが視界に入ってくる。その顔は普段の私くらい青ざめていて、心配をかけた自分が情けなくなってくる。

「起きてるのね……無事、なのね……」

 私と一度視線を交わすと、お母さんは崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。青白い顔も、一気に安心したように、緊張の糸が千切れるように、涙と嗚咽に濡れた。

 私も横になったまま、しばらく泣いた。



 しばらく経って、二人とも落ち着いてからの、一幕。

「そういえば、私と入れ違いで出ていった子は……有紗のボーイフレンド?」

 違う!

 の意味を込めて、首をゆっくりと横に振る。動き自体はどうしようもなくスローだけど、否定の強さが伝わるように祈りながら、凄みと迫力を演出する。

 しかし、お母さんには伝わらなかったようで。

「有紗、顔青いわよ」

 私の顔が青いというのは、血が顔に上っているということ。一般的には、怒りか恥ずかしさを感じている状態になっているということ。

「あー、じゃあ、ほんとに青いじゃない」

「……」

 何が青いというんだ、お母さん。

「青春ね」

 ……もしその青なら。薄汚いとは、私は思わなくなっていた。

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