第192話

***頼信⑪***


『島に集まるワレラのことで、話がある』


 ドドルはそう切り出したのだが、そこまで言って、口をつぐんでしまう。


 珍しいことに目も逸らしているので、よほど言いにくいことだと察した。


「島の中で、なにか問題が?」


 こちらから問いかけると、ドドルは牙を剥く。


 けれどそれはこちらへの敵意ではなく、ドドルがドドル自身に向けたもののように見えた。


『今、島にはたくさんの仲間が集まってきている。ジレーヌにたどり着くワレラの仲間は、本当に様々な土地からやってきている』


 自分がうなずくと、ドドルは呻きながら言葉を考え、続けた。


『そのことで、問題が起こりつつある』

「それは――」

『勘違いするな。同胞が島に来るのは歓迎だ。今回のこのバードラのことも、ワレは感謝している。早急に対処して欲しいことのひとつだった。どこの土地からであれ、ジレーヌにやって来る同胞の中には、何十年もつけっぱなしだった手枷の跡が消えていない者たちだっている。オマエのおかげで、ワレラがあの憎きノドンの支配下で夢見ていたことの一部が、実現されている。その点には感謝しかない』


 ドドルはやけに早口に語り、それから、息を吐く。

 大きな体が、三割くらい小さくなったような気がした。


『いや、あるいはこれは、ワレの考え過ぎなのかもしれぬ。だが……』


 ドドルは呻き、覚悟を決めるように、言った。


『ヨリノブ。オマエがもたらしてくれた新たなる魔法と共に戦う話は、ワレが夢見ることさえなかったような話だ。ワレラの力が、邪悪な魔法使いどもを蹴散らす要になるというのだからな』


 バダダムはクルルと二人で、恐るべき魔導隊を部隊丸ごと血祭りにあげた。

 そのどちらもが、ほんの数か月前まで、ノドンのような者たちにさえ勝てなかった。


『そのために、ワレラの仲間をジレーヌにどんどん集めようという話も、ワレはどう表現していいのかわからぬ昂りを覚える』


 自分は気圧されるように、相槌の意味で頷く。


『ワレラの仲間も多いに期待している。バダダムからクウォンでの戦いの話を聞き、小童までが尻尾を膨らませている。すでにバランなる魔法使いに前衛として鍛えてもらおうと、大勢が押しかけていると聞く』


 それは容易に想像できるし、こちらとしても望むところ。

 そしてドドルこそ、こういう事態を期待していたはず。


 ドドルの言葉には確かに感謝と興奮の語彙が溢れているのに、その顔に喜びがまったくなかった。


 自分の視線から、ドドルはこちらの疑問を察したようだ。


 けれどドドルは一貫して、この件を話しにくそうにしていた。


『ワレラの仲間を、島に呼び込むのはいい。ワレラの力を、役立てるのももちろんいい。オマエの理想をもはや疑いはしないし、その手腕もそうだ。だが――』


 島の中で獣人たちの代表格を務めるドドル。

 ノドン時代は、人間の支配を打ち倒そうという急先鋒だった。


 そのドドルが、言った。


『その後のことはどうなる?』


 若干の、空白。


「その、後?」


 戸惑う自分に、ドドルは身を乗り出した。


『鉱山の仕事は無限にあるわけではない。だからワレはお前の話に興奮する仲間たちを見て、懸念を覚えたのだ。戦は常にあるものではないし、あって欲しいと願うものでもない。もちろん、ワレラの名誉を守らねばならぬ時、ワレラは戦いに赴くことをためらいはしない。だが、戦で傷つく者もいる。帰らぬ者もいるだろう。ましてや』


 ドドルは、大きく息を吸う。

 ものすごく苦いものを、口にしたような顔で。


『戦うことだけを常に考えている群れは危険だ。いいや、皆まで言うな。ワレがどの口で言うのか、というのはわかっている』


 恐ろしげな牙を剥いて、ドドルが言う。

 ただ、それはやはり威嚇ではなく、自戒のもの。


 ドドルは粗野に見えるが、決してそんなことはない。


『ワレは危惧しているのだ。ワレラがこの島にどんどん集まり、しかし目標が戦しかないという事態を』


 自分が息を呑んだのを見て、ドドルが少しだけ安心したような顔をした。


『オマエが来る前までは、確かに戦いを望んでいた。ワレラの運命をワレラの手に取り戻す戦いをな。だが、いざそれが本当に目の前に降りてきそうになって、ワレは思ったのだ』


 ドドルは息を吐き、わずかに間をおいて、続ける。


『戦いこそが栄誉となれば、戦うモノと戦わぬモノとで、大きな軋轢が生まれるだろう。すでにそういう予兆があるのだ。すべてがすべて、戦いを望む性格ではないし、戦える体でもない。老いているモノもいれば、過酷な労働で腕が動かなくなったモノもいる。おかげで、鉱山でも険悪な空気になることが出始めている。オマエは戦うモノか、戦わぬモノか、とな』


 自分はドドルの目を正面から見ていた。

 その目の奥深くに、理知的で心優しい感情がある。


『戦わぬモノにはその理由があるし、なにも臆病だからというわけではない。ダレが鉱山を採掘するのか、ダレが畑を耕すのかという問題がある。黙々と働くモノたちは、戦うモノたちと比べて役立たずなのか? 戦いに名誉を求めるだけの集団は、確かに勇ましいかもしれない。だが、そういう群れでは、戦わぬモノ、いや、もっと言えば、戦えなくなったモノたちの居場所は……』


 ドドルの視線が逸らされ、その横顔に痛ましいものを感じた。


 おそらくだが、ドドルはツァツァルとたくさん話したのではないだろうか。


 ツァツァルはおとぎ話の英雄ではなく、実際に冒険の世界に生き、そして、辛くも命をつないだ経験を持つ獣人である。

 戦いの結果、ツァツァルは視力を失い、片腕を失い、まともに歩くことすら難しくなった。


 戦いというものがどんな結末をもたらしうるのか、その現実をツァツァルは体現している。


 一方で、クウォンから戻ったバダダムたちによる、帝国の魔導隊を楽勝で打ち破ったという話だ。


 しかもその戦術のために獣人の力が広く求められているとなれば、獣人たちの興奮は、ドドルが語った以上のものだろう。


 けれど、最も血気盛んなはずのドドルが、その騒ぎには加わらなかった。

 彼はその先を見据えていたから。


 島で獣人たちをまとめているドドルは、次々と島にやってくる同胞と、彼らが初めて見る希望と、この島が示そうとしている道の行く末を、冷静にじっと見つめていたのだ。


「……すみません」

『ん?』


 自分は、ドドルの前で頭を下げるしかなかった。


「その点を、まったく考えていませんでした」


 帝国の横暴な者たち。

 あるいは帝国を陰から支配しているかもしれない魔物たち。


 それらと戦うためには、死神の口戦術を用いて優位に立つ必要がある。

 そのために、獣人たちを増やすほかない。


 だからその増やした人口を支えるために、ジレーヌ領を作り替える必要がある。


 まるっきりシミュレーションゲームのように考えていたし、冷静なつもりだった。

 健吾からの戦の提案だって断った。


 しかし、前を向いているだけでは足元が見えなくなる。


 ましてや走り抜ける中で転んだり躓いたりする人のことなど、まったく考えていなかった。


「日常……そうですよね。戦いの後には、長い日常が続くはずですから」


 アニメや漫画ならば、戦いに次ぐ戦いで、日常回は箸休め程度にあるほうが、盛り上がりを維持できるだろう。


 しかし、現実はそういうものではない。


 ましてや物語の主人公たちのように、ズタボロの大怪我からいつも無事に回復できるわけではないのだ。

 この世界に魔法はあるが、回復魔法は未だ見つかっていない。


 医療技術も未発達だから、よくある骨折でさえ、うまく骨が戻らなくて二度と以前のような動きをできなくなるのが普通なのだ。


 そうなると、戦いを社会の中心目標として掲げることは、容赦のない人生観を生み出すだろう。


 戦う者が一番偉い社会は、戦えない者に価値を見出さないのだから。


『ヨリノブよ』


 ドドルの言葉に、背筋を伸ばす。


「はい」

『戦いには、独特の魅力がある。ワレがノドンの時代、それに囚われていたように。そしてオマエのもたらした可能性は、ノドンを倒そうという話などとは比べ物にならぬ輝きがある』


 この野蛮な世界で、絶対に反撃不可能と思われた面々に、仕返しできるかもしれない。


 死神の口戦術とはそれほどのものであり、クルルもその魅力に囚われている感があった。

 力があるのだから使いたいし、使うべきだと。


 でも、自分たちが本当に気にかけなければいけないのは、戦いそのものではない。


 戦っている時以外の人生の大部分を占める、日常のほうだ。


 命を懸けて戦うのは、その平和な日常のためなのだから。


「自分もあくまで、戦はジレーヌ領を守り通すため、と考えています」


 まずそこだけをはっきりさせてから、少し考えて、言葉を繋げた。


「そして獣人の皆さんには、戦だけでなく、その戦を支えるための重要な担い手として期待しています」


 ドドルはじっとこちらを見つめているが、口を挟まないのは続きを促されているのだと思って、言葉を続けた。


「このジレーヌ領を帝国から守るには、物量が必要です。そして物量をもたらすには、経済を発展させる必要があります。外交でどうにか帝国と上手に付き合っていく可能性がなくもないと思いますが、クウォンで対峙した魔導隊の傍若無人さから、あまり期待できないと思いました」

『それは、賢明な判断であろうな』


 ドドルなりの冗談だろう。

 自分も軽く笑い、うなずく。


「発展の根底には、人口の増加があります。そして増えた人たちを養うため、たくさん畑を耕し、食料を生産し、あらゆる道具をたくさん作る必要があります。力仕事は、無限にあります」

『力仕事以外は?』


 ドドルはやはりただの脳筋ではない。


 それに先ほどドドルは、戦に関してこう言った。


 戦えなくなったモノ……。


「獣人の皆さんが従事する仕事の幅も、できれば増やしたいと思っています。誰にでも向き不向きはあって、獣人の皆さんの中にも器用な人たちがいることや、恐るべき頭脳を有している人がいるのはわかっていますから」

『……ゼゼルのような変わりモノが役立つとは、ワレも思わなかったがな』


 ドドルの鼻の頭にしわが寄っているのは、自戒の意味かもしれない。


「今は町の人たちが独占している職人の仕事も、皆さんに開放したいと思っています。組合の反対はあるでしょうが……」

『オマエらに逆らうほど気骨のあるヤツがいるとは思えんが』

「ドドルさんを除いて?」


 自分の軽口に、ドドルは嫌そうに鼻を鳴らした。


 ただ、そもそもバードラの土地を確保したのには、既得権益のない新しい町を作り、獣人たちに自由をもたらすという意味合いもある。

 本来ならば、バードラの町の一角を買い上げるとかでもよかったのだから。


 問題があるとすれば、バードラに新しい町ができるのはしばらく先なことと、それから――。


「ただ、問題は残り、ます、ね」


 自分の歯切れの悪さに、ドドルが不思議そうな顔をする。


『オマエとあのイーリアがいるのだ。できないことなどあるのか?』


 このあたりの感覚は、資本主義どっぷりの現代世界からきた自分たちのほうが鋭敏だ。


 自分は言葉を選んで、説明したのだった。

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