第191話
***頼信⑩***
契約締結後、すっかり丸め込まれたバードラの領主と、領主の仕事をきちんとこなそうとするイーリアが、新しい町の予定地を並んで歩いている。
その様子は、いかにも権力者同士の和やかな会談の場めいていた。
実のところ今回の件で一番の割を食ったのは、いきなり詐欺めいた計画を伝えられ、その契約を任されたコールかもしれない。
だからクルルにはだいぶ強めに、晩餐の際はコールをイーリアの近くに座らせてあげるように、と言っておいた。
さてこれで一件落着、となるはずなのだが、日も暮れかける頃。
自分はバードラの町を小走りに、待ち合わせ場所に向かっていた。
領主の屋敷に明かりがともり、楽師たちによる楽器の演奏が始まる頃だろうが、まだ仕事があるのだ。
会社の飲み会も嫌いだったので、もてなしの宴会に出ないでよい口実はありがたかった。
それにこのバードラについては、ノドン追放後もずっと、解決しないといけないと思っていた問題があった。
『ヨリノブ』
待ち合わせ場所にいたのは、ドドルをはじめとした数人の獣人。
それから商会の営業を終えてから駆け付けてくれた、ヨシュや商会の面々だ。
「ヨリノブ様。バードラの商会と漁師の皆様は、すでに集めてあります」
「ありがとうございます。時間も遅いですし、なるべく早く片付けましょう。この町は大きな鯖の煮込みが名物らしいですし」
食事の話をされて、ヨシュは腹の虫を鳴かせていた。
顔を赤くするヨシュに、ドドルでさえ少し笑っていた。
こうして自分たちが向かったのは、バードラの港沿いにある小さな酒場だ。漁港組合みたいなものに所属する人たちのたまり場だという。
酒場の外にも人がいて、こちらに気がつくといささか剣呑な視線を向けてくる。
敵意とまではいかないが、彼らが自分たちに好意的でない理由はわかっている。
バードラとジレーヌの間には長年くすぶっていた問題があり、ここ最近、それがより顕著となっていた。
バードラを訪れたこの機会に、その問題を解決する必要がある。
特にチャンスだったのは、新しい町を巡る計画によって、バードラの領主がなんだかんだ上機嫌だから。
そこに問題の話を持ち掛け、領主からはほとんど白紙手形をもらっている。
町の人間は万事ヨリノブ殿の要請に従うように、なんて証書を受け取った。
その証書で自信を得た自分は、ドドルたちを引き連れて酒場の扉を押し開ける。
途端にこちらに向けられる厳しい視線にはやや怯みつつ、自分はこう言った。
「この町に流れ着く獣人の皆さんを巡る問題について、解決すべく参りました」
ここはジレーヌに向かう者たちが集う港町。
それは救いの地を求めて旅をしてきた獣人も、例外ではない。
◆◆◆◇◇◇
港を取り仕切るのは、バードラで最も大きな商会を営む商会主らしい。
さらに船への荷の積み下ろしを取り仕切る沖仲士の頭目や、漁師を束ねる網本が、各々の手下を引き連れて顔を揃えているという感じだ。
彼らが険しい顔をしているのは、海の潮と風で揉まれて元々怖い顔なのだろうが、多分に警戒も含まれている。
イーリアの権威を嵩にきて、無茶な要求を突き付けてくるようなら叩きだしてやると言わんばかりだ。
自分は深呼吸をして、何度か読み上げる練習をしてきた計画書の内容を伝えた。
「まず、この港か、町の中に倉庫を一軒借りたいです。そこを整備して、一時滞在する獣人の皆さんの宿泊所にします。整備費用と、その後の維持費用、それに獣人の皆さんが滞在するのにかかる費用もこちらで負担します。病にかかっている獣人の旅人がいた場合、別途隔離用の建物をどこかに借りたいです」
自分が話す横で、ヨシュが事前に筆写しておいた計画書を、酒場の主だった面々に配って回っている。
「そして、彼らを乗せた船を定期的にジレーヌに出してください。船賃はこちらが負担しますが、お願いしたいのは、定期的に、たとえ船に乗せる獣人が一人であろうとも、船を出すことです」
ノドンを倒した直後、ドドルから持ち込まれた話があった。
ジレーヌ領を目指してバードラまではたどり着いたが、船主が意地悪をして、同胞がジレーヌに渡ることができないと。
あの時は軽く考えて場当たり的な対応をしたが、今回バードラに赴くにあたって改めて話を聞くと、まあまあ面倒な話だった。
バードラ側の船主にも、もちろん言い分がある。
そもそも獣人を客と見なさない意識がある上に、一度の航海である程度の人数を乗せないと、船を出す手間が割に合わないのだという。
日々の仕事もあるので、それはそうだろうと思う。
しかし、船がジレーヌに向かうのを待っている間も、獣人たちには食費がかかる。寝るところだってない。
一刻も早くジレーヌに渡り、鉱山で働きたいと思っていても、海を渡れないからそれも叶わない。
そしてここが問題なのだが、獣人たちのそういう事情につけこんで、タダ働きさせる者たちが後を絶たなかったのだ。
当然、船は出さなければ出さないだけ獣人を働かせられるので、バードラの船主たちがどういう行動をとっていたかは、わかりきっている。
酒場にいる面々が難しい顔をしているのは、過去の行為を咎められるのでは、という懸念もあったろう。
なので自分は、言った。
「私たちは、獣人の皆さんを円滑にジレーヌ領に渡らせてもらうことが望みであり、過去のことには基本的に関知しません」
ドドルは不満そうだった。
その気持ちはわかるが、結局こちらの計画をドドルが飲んでくれたのは、あくまで関知しないのは過去のことについてだから。
これから先も同じようなことをしているのが発覚したら、きっちり詰めさせてもらう。
「また、こちらに領主様の特権証書があります。私たちはこれに基づいて、一連の制度を整えることを、皆さんに要求します」
酒場の面々は相変わらず渋面のまま。
けれど拒否できる話ではないと、最初からわかっていたろうし、思ったほど一方的な内容でもないと思ったのだろう。
無一文の獣人たちの弱みに付け込んでこき使ったり、ジレーヌに渡るための船賃をべらぼうな値段にしたりする余禄は失うだろうが、少なくとも船を取り上げられて、縛り首になるようなことはない。
結局、立派な髭面の商会主が立ち上がり、こちらに手を差し出してきた。
「バードラ港湾組合として、謹んでお受けする」
握手を交わし、つつがなく契約締結となった。
これでひとまず、貴重な労働力の獣人たちがジレーヌを目指す際のボトルネックを、取り除けたのだった。
◇◇◇◆◆◆
ヨシュと商会から来ていた数人は、港湾組合長の招きに応じて、そのまま酒宴に参加することになった。
けれど自分は、バードラの領主のほうの晩餐があるからと断った。
これで晴れて自由の身、というわけでもないが、肩の荷が下りてやれやれと思う。
バードラにたどり着いた獣人たちが円滑にジレーヌ領に渡れるとなれば、船賃や滞在費のことを考えてジレーヌ行きに二の足を踏んでいた者たちも、やがてジレーヌ領を目指すようになるだろう。
そうすれば貴重な労働力にして、戦力ともなる獣人たちをより多く確保できるようになる。
死神の口戦術について、その戦術における獣人の重要さは、バダダムたちを交えてすでにドドルに伝えてある。
その話を聞く間、ドドルはいつもの険しい顔つきを崩してはいなかったが、内心で興奮しているのは尻尾の動きからわかった。
バードラの渡し船問題の解決は、いわば新しい世界につながるための最初の一手である。
それにバードラの者たちの話では、ジレーヌの噂はどんどん広まっていて、バードラにたどり着く獣人の数も増えているという。
今のところは、増えたと言っても数日おきに数人だったのが、もう少し増えた、という規模感らしいが、明らかにその数は多くなっているという。
新しい魔法使いの確保は、おそらくゲラリオがやってくれる。
これで獣人の確保がうまくいけば、ジレーヌの戦力は跳ね上がる。
帝国中央もそう簡単には手出しできなくなるはずだ。
あとは鉄鋼生産と、魔法の研究だ……と意気揚々と歩いていた時のこと。
領主の屋敷に向かう道中、港から護衛代わりに着いてきていたドドルが、こう言ったのだ。
『ヨリノブ、少しいいか』
バードラはそこまで大きな町でもなく、日が暮れると通りには誰もいなくなる。
ただ、ドドルの声が潜められているのは、夜の静寂を破りたくないという配慮ではあるまい。
なにか妙な緊張が、そこにはあったのだから。
「どこか酒場に入りますか?」
その問いに、ドドルは首を横に振る。
自分はうなずき、表通りから路地に移動した。
『ワレの話は、島に集まるワレラの仲間の話だ』
あまり愉快な話でなさそうなのは、鈍い自分にもわかったのだった。
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