第189話

***頼信⑨***


 健吾の言葉に自分は呆気にとられ、それから、ようやく小さく笑うことができた。


「本気で言ってないでしょ?」


 すると健吾も笑ったので、ほっとしたが、自分は改めて思った。


 健吾はきちんとそういうことまで含めて考えているし、きっとこの世界では、考えなければいけないことなのだと。


 クウォンで魔導隊たちと戦う時、クルルはいみじくも言った。

 いつものような、優しい感じの結果にはならないと。


「もちろん、どうしようもなくなったら、選択肢に入れるしかないと思う。合成魔石の利点も、結局は兵器としてのものが一番なんだろうから。でも……」

「ああ、一応の確認だよ。そもそも盗みも殺しもなしってことで、クルルちゃんたちと手を組んだんだ。クルルちゃんは不服そうだったがな。でも、今や頼信のほうが俺よりもこの世界に詳しいから、心変わりしてないかって。なにより」


 健吾は、広げられた紙を見る。


「これらのすべては、戦いに向けられているからさ」


 帝国からジレーヌ領に向けて使節が来て、なにかとんでもない要求をしてくる可能性は、十分にある。クウォンで出会った魔導隊は、少なくともそういう連中だった。


 この無慈悲な世界で居場所を作るには、相応の武力しかない。


 けれど。


「この計画が進めば、相当にここは強くなる。というか今の自分たちの実力でも、足りない資源を奪いに行くことは割と簡単にできると思う」


 これは過信ではない。

 死神の口戦術は、完全な初見殺しだ。


 しばらくは負けなしのはず。


「でも、そういう方法で足りない物を埋めていくと、なにかが大きく変わってしまう気がする。暴力で支配すれば、きっと大きく恨みを買うだろうし、いつか自分たち自身が、次のノドンにならないともかぎらない。だからこの計画は、あくまで……身を守るためのものでいたい、と、思っています……」


 最後は歯切れが悪くなって、つい敬語になってしまったが、偽らざる気持ちだ。


 巨大な敵と戦うことに怯むべきではないが、こちらから敵を作りに行ってはならない。


「甘いかも、知れないけど」


 その一言を付け加えると、健吾は組んでいた腕を解く。


「いや、いいと思う。指針を確認したかったんだ。それに」


 健吾は不意に、遠くを見た。


「そういうのは、一度やると次へのハードルが下がるからな」


 その様子に、自分はちょっとぞくりとする。

 健吾がひどく大人に見える瞬間だ。


 きっと前の世界では、ビジネスの世界でそういう事例をたくさん見てきたのだろう。


 それに、自分が都合のいいことばかり言っているという自覚もある。


「けど、金貨はないし、土地もない。金貨なら、新しい街区を解放して土地を売ってもいいけど……お金に困るたびに島の土地を売ってたら、後ですごく困りそうな気がする」

「まあ、貯金みたいなもんだしな」

「それもあるんだけど……」


 たとえば、いざ本当に帝国と戦うとなった場合などだ。


 島に人口が多すぎると、籠城という選択肢が取りにくくなる。

 海上封鎖をされれば、この島はすぐに飢えてしまう。


 だから島の人口は極力少なくし、島の外に土地を確保して、新しい町としたい。


 そのために、あらゆる面で金貨が必要となる。


「金貨、金貨……」


 健吾が一晩で並べ挙げてくれた、多種多様な論点の書かれた紙を睨みつけていく。

 そこになにか手がかりはないかと、答えはないかと。


「なあ、頼の――」


 健吾が声をかけてきたその瞬間、自分は一点に目を奪われた。


「あっ」


 一枚の紙が目に留まった。

 それはまさに、自分が先日手掛けたことと地続きだ。


「健吾」

「ん、あ?」

「これはどう?」


 自分が手に取った紙には、こう書かれている。


「銀行」

「なに?」

「銀行には、集まるでしょ」


 笑いかけると、健吾はいささか訝し気に顎を引いてから、すぐに気がついていた。


「預金か」


 それは一時的に誰のものでもなくなる、自由な金貨だ。


◇◇◇◆◆◆


 良いアイデア! 


 と思ったのだが、健吾は優しく笑うだけだった。


「俺もそれは考えたんだが、問題があるんだよ」


 自分が考えられるようなことは、健吾がとっくに考えていてもおかしくない。

 特に悔しいとも思わず、むしろ答えを知りたいと思う。


「問題って?」

「預け入れや引き落としの際、身分確認ができない」


 喉の奥が、ぐう、と鳴った。


 ぐうの音も出ない、とはうまく言ったものだと思う。


 自分が口をつぐんで唸っていると、健吾は淡々と続ける。


「町の人のほとんどが、家なんてなくて、仕事先の軒下や倉庫で雑魚寝だろ? 名前を書けるかどうか怪しい人も多い。本人だと確認できる人というのは、ものすごく限られる」


 それに、主だった商会主や工房の親方にしても、全員の顔を覚えておくのは不可能だ。

 ましてや詐欺師がそっくりさんを連れてきたらどうなるか?


 なりすましを見破る方法もない銀行に対して、誰もお金を預けたがらないだろう。


「領主たちの金貨を預かるのに問題がないのは、そいつが誰なのか確実にわかるからだ」

「うう……身分確認か……」


 まったくの盲点だった。


 古い銀行制度がどんな仕組みかは本に書かれていても、異世界で銀行業をやるためのハウツー本などない。


 ただ、たくさん読んできた異世界ものを思い出し、恨めしげに言った。


「……この世界にも、ギルドカードさえあれば……」


 異世界ものには定番と言えるそれ。

 魔法的ななにかで身分が確実に証明できれば、銀行設立なんてちょちょいのちょいだろう。


「こっちの魔法にはそういうのがないのか?」

「ない、とは言い切れないんだけど、今のところないかな……」


 それに、ここにも先ほどの問題が立ちはだかる。


 魔法に頼ると、魔法使いを常駐させないとならなくなる。


 すると魔法使いの数がボトルネックとなって、スケールしない。


「じゃあ……どう、しよう」


 このままでは、テーブルの上に並べられた異世界版産業革命は、まさに絵に描いた餅だ。


 金貨数千枚程度ならば、この間のクリアリングハウス制度でどうにか捻出できた。

 それに島全体としては魔石交易が根底にあるので、時間さえかければ、おそらく金貨は溜まり続け、投資のための資本も用意できる。


 問題は、悠長にしていれば帝国から魔導隊が送られてきてしまうだろうことと、その彼らが精神魔法を使うなんらかの悪魔に操られていないとも限らないことだ。

 なんなら、感染性の悪魔の保菌者かもしれない。


 帝国の奥深くで魔石を食らい続ける、不気味な微生物のために働くゾンビとなってからでは遅いのだ。


 進化とは、その環境に最も素早く適応したものだけが繁栄できるという、鉄の掟である。

 いわば命を懸けた早い者勝ちであり、間違えてもいけないし、遅れてもいけない。


 有利な点と言えば、自分たちが外来種なことだろう。

 環境を、まったく新しい観点から利用することができる。


 そしてその外来種は、自分一人だけではない。


「頼信、提案がある」


 外来種仲間の健吾が、不思議な笑みでこちらを見ていた。


「イーリアちゃんの説得をしてくれないか?」

「えっ……と」


 健吾のそれは、いささかの罪悪感を含めた笑み。


「戦は無しだって言ったが、権威くらいは使ってもいいだろ?」

「……権威?」

「今、あのイーリアちゃんの可愛い笑顔に逆らえる奴らはいない。無慈悲な方法を取れば、まあまあうまくいくだろうが、この方向は無しだと確認した」


 戦は、無し。


「けどな、イーリアちゃんの笑顔に逆らえる奴がいないというのは、逆に言うと、イーリアちゃんに微笑んで欲しい奴らがいっぱいいるってことだ」


 健吾の言葉に、なぜかクルルの言葉を思い出した。


 今までのような、優しい感じにはならないぞ。


 その優しく無さにも、色々なベクトルがあるのだ。


「……聞いてから、判断しても?」


 健吾はふすっと笑い、説明を始めたのだった。

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