第178話

***頼信③***


「まあ、あんたが悪いな」


 ルアーノからそう言われてしまった。


 ヘレナの説明をしたらイーリアが卒倒し、それを発見したクルルから死ぬほどなじられた。


 ヘレナを連れて帰ればイーリアは大笑いし、なんなら友達になれるはずだなんて言って説得したのだから、ほれみたことかというわけだ。


 身の置き所がなくて、用事もあったので逃げるように魔法研究所(仮)に向かった。

 経緯を説明した後のルアーノの開口一番が、先ほどの一言だった。


「というか、ファルオーネのおっさんのほら話じゃなかったんだな……」


 全財産を賭けのテーブルに乗せたこともある、というルアーノすらがやや引き気味なのだ。

 悪魔を連れて帰るというのは、やはりちょっとアレな判断だったようだ。


「えっと……あれ、そう言えばファルオーネさんは?」

「おっさんなら、一度戻ってきた後、ゼゼルを連れて一緒に港に――、あ、ちょうど戻ってきたぜ」


 屋敷の扉を開け、山ほどの書籍を抱えたファルオーネとゼゼルが入ってきた。


「おや、ヨリノブ殿」


 テーブルの上に本を置いたファルオーネは、やれやれと腰を伸ばす。


「これって、ドブリンさんの?」

「んむ。干し魚と強い蒸留酒を渡す代わりに分捕ってきた。引きこもり先の小屋の手配もあるし、しばらくは借りられるだろう。その間に重要そうなところを全部写しておきたいのだ」


 古代帝国語を研究していたドブリンは、ファルオーネすら可愛く見える感じなので、研究成果を見せてもらうのも簡単ではない。


「それに、大規模魔法陣の解明は今のところ行き詰まっている。ならばクウォンでのことを生かして、古代帝国に関する知識から、魔法の神髄に迫れないかと考えてな」

「おっさんよ。そのヘレナって悪魔は、合成魔石のことも知ってたんだっけか?」

「うむ。ヘレナ嬢の話を総合するに、当時は大規模魔法陣の作成が行われていたと考えてよかろう。よって、帝国を滅ぼした巨大な火柱とやらは、ただ大きくしただけの単純な炎魔法ではなく、大規模魔法陣による魔法だと確信している」


 そう言って早速本を開くファルオーネに向けて、自分は言った。


「あと単純に、魔法陣を大きくし続けていくだけだと、魔法を起動しにくくなるんでしたっけ」


 ファルオーネはクルルが音を上げるくらい、次から次に思いつく限りの魔法陣を試させていた。その結果、いくつか判明したことがある。


 魔石、あるいは魔法陣と魔法の威力には電力と電圧みたいな関係があり、大きすぎるところに弱い入力だと、起動しなくなるらしい。


「いかにも。ゲラリオ殿にも口頭で確認したが、魔法と魔石の関係にはそういう傾向があるらしい。現帝国による魔石の規格というのも、魔法使いの能力ごとに起動しやすい大きさで区切られているようだからな」

「となると、天をも切り裂く巨大な火柱は……」


 恐るべき凄腕の魔法使いが、馬鹿みたいにでかい単純魔法を放ったか、さもなくば教会に残されているような大規模魔法陣を刻み込み、人類が到達した英知の結果として放ったか。


 自分の言葉に続けて、ファルオーネが叫ぶ。


「大規模魔法陣だ!」


 ファルオーネがそう言うのは、ゲラリオのように伝説の魔法陣を求めているとかではなく、単純にそちらのほうが面白いからだろう。


「けど、そっちの研究はてんで駄目なんだよな」


 自分たちがクウォンに行っている合間にも、残っている者たちで魔法陣を調べ続けていたことが、壁に残されたメモ書きからよくわかる。


 特に、大規模魔法陣に必ず存在する無意味な魔法陣について、考察を巡らせていたようだ。


「そのヘレナって悪魔のお嬢さんは、大規模魔法陣自体については、なにか知らないのか?」

「残念ながら、そういう感じではなかったな。魔法のことは、帝国が崩壊する中、記録を残すために遠方に向かった旅の魔法使いたちから聞いたという。まあ、それだけでも貴重過ぎる情報ではある」


 ルアーノはため息で前髪を揺らし、足を組みなおす。


「それについて、俺からちょっと、言うか迷ってたことがあるんだけどよ」


 不意に変わった口調に、自分たちはルアーノを見やる。


 視線を集めてしまったギャンブラーは、困ったように肩をすくめた。


「いや、別に深刻な話じゃない。俺自身、馬鹿げてると思ってたから、言わなかったことがあるんだよ。今もまだ、ちょっと迷ってるが」

「ほう? そんな心配が必要だったかね」


 ファルオーネは笑い、こちらを顎でしゃくる。


「馬鹿げた思い付きについては私も一家言あったが、ヨリノブ殿には脱帽だ」

「いやまさにそれだよ。大宰相の馬鹿さ加減を見て、言う気になった」


 ヘレナの移送作戦は、今後もなにかとからかわれそうな気がした。


 とはいえ、なんでも発言できる雰囲気づくりには貢献できただろうと、良いほうに解釈しておく。


「それで、考えというのは?」

「ああ。大規模魔法陣の研究についてな。ほら、昔からその手の伝説の魔法を追いかけてる貴族の一派があるだろ」


 本に戻りかけていたファルオーネが、きちんとルアーノのほうに向きなおる。


「魔法教団のことか」

「教団、なんですか? ゲラリオさんの話だと、酔狂な貴族が支援してるみたいな感じでしたが」


 前線ではたくさんの魔法使いが集まり、死んでいく。

 そこには幾度も持ち主を変えてきて、いつだれが彫ったのかも定かではない魔法陣が刻まれた魔石が見つかるという。


 中でも大規模魔法陣につながりそうなものを蒐集している者たちがいると、以前話していた。


「その説明も間違っておらんよ。だが、異端信仰みたいなものなのだから、私は教団と呼んでいる」

「異端信仰」

「連中は、神の御業と大規模魔法を繋げて考えている。だから教会内部でも結構な支持者がいるし、我らこそ神の裾を掴む者、という自負があるせいかやたら閉鎖的だ。おまけに戦場では死体を漁り、古い遺跡では墓を暴く。怪しさでは私とドブリンの中間位だろう」


 ファルオーネはそう説明した後、ルアーノを見る。


「で、ルアーノは教団に潜入でもするのか」


 数学の才に恵まれた博打うちは、軽く肩をすくめる。


「まさか。ただ、サイコロの前には誰もが平等だからな」

「賭場の知り合い?」

「知り合いの知り合いって感じだ。教団のまあまあ偉い奴に大勝して、借金のかたに大規模魔法陣の刻まれた石碑の欠片を受け取った奴が知り合いにいる」

「なるほど」


 自分はギャンブルの怖さを思い出し、言った。


「そういう人は、懲りずにまた賭け事にのめり込んでいるはずだから、借金を肩代わりするとか申し出れば情報を渡してくれる。かも、と?」


 ルアーノは皮肉っぽく笑う。


「大金に見合う情報が手に入るかは、まったくわからないがね」

「うーん……。ただ、ゲラリオさんの話では、かなり組織的な人たちという感じでした。それに、その人たちは遺跡みたいなものも、探して回っているんですよね?」

「連中の知る遺跡を漁ろうってか? だが、そこはすでに――」


 ルアーノは言いかけて、ふと口をつぐむ。

 そして、大きくため息をつく。


「いや、あんたはまさに巡礼者の集まるクウォンの遺跡の謎を解き、悪魔を見つけ、連れ帰ってきたんだよな」

「ルアーノ。ヨリノブ殿と比べれば、我らの発想のいかにつまらないことか!」

「まったくそのとおりだ。じゃあ、どうかな、大宰相殿」


 ルアーノはデータ派の博打うちで、経験で見抜いたオッズを定式化することに長けている。

 そのルアーノが、教団から情報を抜き取るための賭け金を欲している。


 単に知的好奇心で魔法陣を追いかけるだけのパトロンなら、二の足を踏むだろう。


 けれど自分たちの目標は、そんな単純なものではない。


 ジレーヌ全体の命運がかかっているし、ヘレナという貴重な存在は、大規模魔法の実在可能性を高めてくれた。


 かつて大精霊が使用していたという大規模魔法の謎を解ければ、おそらく地上に敵はいなくなる。そして元の世界に戻る手がかりだって手に入るかもしれない。


 だからこれは、やるべき賭けだ。


「わかりました。金貨何枚位になりそうですか?」


 自分の返答に、ルアーノは一瞬目を丸くした。


「はは。まさか本当に否定しないとはな。いいね。あんたは賭け事に向いている」


 ルアーノは立ち上がり、首の骨を鳴らす。


「帝国金貨で千枚……多くても三千枚とかそのへんだろう。金貨で万枚の勝負があるとは聞くが、そういうのは貴族の利権が絡んでいるとか、隠れてやるような火遊びじゃなくなってくる」

「わかりました。商会に戻って確認します」

「頼んだぜ。まあ、足りない分は俺自身の手で、そいつの借金を増やせばいい」


 指の骨をぱきぱき鳴らしながら、ルアーノは不敵に笑っている。

 そんなルアーノを見て、ファルオーネが微妙な顔をしていた。


「そうか。ルアーノが島から出ていくとなると、手が減るな」

「え?」

「この本を写し取らねばならん」


 ぽん、とファルオーネが本の山を叩いて言った。


「ヨリノブ殿の世界の魔法があれば、問題ないのだが」

「ええっと、活版印刷を実用化するのはまだちょっと……」


 産業革命だ、なんて意気込んだ話は、ファルオーネにも船の上でちょくちょくしていた。

 それに活版印刷のアイデアというのは木版画の延長なので、実のところ中世レベルのこの世界でも、そこまで珍奇なものではない。


 ただ、細かい文字の鋳型をつくる鋳造技術の向上が必要だったり、紙の大量生産が必要になるのがネックなのだ。


 いくら素早く印刷できても、印刷するための紙が不足しては意味がない。

 動物の皮に由来する羊皮紙類は、その点で落第だ。


 そこで量産可能な植物繊維の紙に移行する必要があるのだが、紙すき工房を立ち上げる云々とあわせて、紙を変えると今度はインクの問題が出てきてしまう。


 この世界でも木のこぶから抽出したタンニン系のインクが用いられているが、それだと紙を酸化してぼろぼろにしてしまうためだ。

 おまけに文字の彫られた鋳型で印刷するには、粘度が足りな過ぎると聞いた。


 そこでオイル系のインクを作らねばならないのだが、その方法までは自分にはわからない。

 この世界の職人に方向を示し、実験してもらい、たどり着いてもらうしかない。


 アラビアゴムとやらが一体なんなのか、知りようもないのだから。


「なので、写本の複製はちょっと、優先順位を落とさざるを得ないと思います。ヘレナさんもいるので、古代帝国語の知識はそこまで喫緊の課題でもありませんし、むしろ皆さんには考えて欲しいことが」


 とまで言ったところだった。


 ファルオーネが大きくため息をつく。


「なにを言っている。私はまさに、それのために必要だと言っているのだよ」


 この世界で最も、自分がかつて暮らしていた世界の魔法を理解してくれているだろう占星術師が、そう言った。


「あの悪魔の娘が住む山には、悪魔化した茸などというとんでもないものがいた。だからまず、我々は茸やらについて調べる必要があるのだろう? そのためには、ぜひともこの本の筆写が必要なのだよ」


 自分はぽかんとファルオーネを見やる。

 古代帝国語の研究本と、茸の調査がまったくつながらないのだから。


 ということは、彼は自分の知らないなにかを知っているのだ。


「お聞き、しても?」

「私もこの手の話では、ヨリノブ殿に負けんよ」


 にやりと笑ったファルオーネは、説明を始めたのだった。

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