第172話
***ゲラリオ③***
「へっ、墓標に剣とは、気取り過ぎだろ。伝説の勇者のつもりか?」
「あいつはいつだって伝説の勇者気取りだったよ」
「違いない」
ゲラリオは言って、荷物の中から酒の入った革袋を取り出したところで、ヨークンの視線に気がつく。
手の中で、ちゃぽん、と酒が音を立てた。
「酒で死んだのか?」
ジレーヌを目指して旅立つ前から、兆候はあった。
ヨークンはため息とともにうなずく。
「結局、やめられなかった。最後は見る影もなくやせ細り、うわごとで色んな奴に謝りながら死んだよ。あいつは勇者気取りだから、守りたくても守れなかった奴が多すぎたんだ」
「……」
ゲラリオはなにを言うこともできず、けれど皮袋の栓を抜いて、中身をありったけ錆びた剣にかけた。
「一度死んでるなら、文字どおりに死ぬほど飲める」
ヨークンは少し驚いたように目を見開き、それから笑った。
「あいつらに酒を覚えさせたくなくてな、ここは酒の持ち込み禁止だからちょうど良かった」
皮袋の中身を最後の一滴まで墓にかけながら、ゲラリオは背後を振り向いた。
獣人の子供たちが、遠巻きにこちらを眺めている。
「ゼゼクも死んだのか?」
その問いに、ヨークンは苦笑していた。
「あいつは殺したって死なないよ。山の奥まで獲物を仕留めに行ってる。お前たちのほうこそ、ツァツァルはさすがに死んだだろう?」
「まさか。つい先日までクウォンってところの温泉に浸かってご機嫌だったぜ」
「クウォン? 聖女の?」
「そいつは偽物だったが、本物のほうがまだましだって落ちだった。正体を知ったら驚くぜ」
「なに?」
訝し気に目を細めるヨークンに、ゲラリオは蠅でも払うように手を振った。
「話すと長くなる。それよりよ、ハーヴォンやシュレッツの住処を知らないか? というか、まだ生きてるのか?」
かつての戦友の名をゲラリオが口に出すと、ヨークンの顔から表情が消えた。
ゲラリオは息を呑み、口を閉じた。
「あいつらは……」
ヨークンの言葉が、最後まで語られる前だった。
「お前は今、死んだけどな」
ゲラリオの背後から、別の男の声がした。背中には、固いものが当てられている。
まったく気配に気がつかなかったゲラリオは、天を仰ぐ。
「くそ。やっぱり鈍ってるな」
そして背後を振り向くと、ヨークンと似たり寄ったりの汚い恰好をした男が立っていた。
「いよお、ゲラリオ。まさか生きてたとは」
「生きてるよ。なんだ、ハーヴォン、お前もここに住んでたのか」
「お前がいなくなってからも、しばらくは意地汚く冒険者稼業と戦場暮らしを行ったり来たりしてたけどな。うちの前衛もだいぶがたがきてたから、数年前からここで暮らしてる」
「ラライも生きてるのか」
「ゼゼクと狩りに行ってるよ」
ヨークンのつけたしに、ゲラリオはうなずく。
「なるほど。ぼんくら二人が村でのんびりしてても、食うに困らないわけだ」
「言ってろよ。ああそれと、シュレッツの野郎は賑やかじゃないと嫌だって、近くの街で暮らしてる。毛皮を俺たちの代わりに街の奴らに売って、足りない食い物やらを仕入れてくれてる」
「適材適所だな。お前ら野蛮人が街に現れたら、即刻衛兵を呼ばれてお縄になっちまう」
「そんなわけだ。それで? 昔話をしにきたのか?」
ハーヴォンはそう言って、足元に置いてあった荷物を背負い直す。
なめし終わった皮の束で、これがこの小さな集落のささやかな稼ぎの糧なのだ。
あとは森の中のものでなんとかするという、つつましい森の生活。
ゲラリオは彼らの無事と、どうにか手に入れた安寧を馬鹿にするつもりはない。
でも、これから言うことは、彼らに疑念と、いくばくかの反感を持たれるだろう。
だから戦場でバカ騒ぎをしていた時のように、こう言った。
「哀れでみじめな暮らしのお前らに、俺様が割のいい仕事を紹介してやろうと思ってな」
そして腰から財布を外すと、ヨークンに放り投げる。
ヨークンはそれを受け取り、中身を検めて顔をしかめていた。
「おい、ゲラリオ。お尋ね者がここにいられちゃ困るんだが」
「あほ。さっき言ったろ。悠々自適の年金暮らしだって」
「年金?」
ハーヴォンの問いに、ヨークンが疲れたように答える。
「帝国金貨で百枚だってよ」
「二百枚だ」
ゲラリオの言葉に、ハーヴォンは苦笑していた。
「酔っぱらいはドズルだけで十分だ」
「竜を倒した褒美なんだよ。しかも、二匹だ」
ゲラリオの言葉に、歩き出そうとしていたハーヴォンが止まる。
「領主様は獣耳の可愛らしいお嬢さんでな。もちろん、そいつは元々ただのお飾りだったが、妙な知識を駆使して、弱小領地を率いているやつがいる。鉱山帰りでな」
真剣な顔を崩さないゲラリオに、ハーヴォンが気圧されたように友の名を呼ぶ。
「……ヨークン?」
ヨークンも、首をすくめるばかり。
ゲラリオは、そんな彼らを前にして、不意に泣きそうになってしまった。
いつも強がりばかりの、戦場働きの男たち。
弱みを見せるのをなによりも恥として、手に入る金は片端から使い倒し、仲間が死んでも涙のひとつも見せなかった。
でもそれは、本当の強さではない。
ただ単に、明日になんの希望もなかったから。
その日をせせこましく生きるだけで精一杯の、鼠みたいな生活だった。
けれど、今は違う。
今の自分には、希望があった。
明日は今日より良くなるだろうという、触れると痛痒くなる、しもやけみたいなものが、心臓のあたりに巣くっていることをゲラリオは認めるしかない。
今までの人生で、その希望とかいうやつは頼ればしばらく元気が出るが、早晩、効果が切れてどん底に落ちる薬草と同じだった。
そのことを散々学んで、もうなにも感じなくなってようやく、一人前の戦士になれる。
そういう価値観の中にどっぷり浸っていたゲラリオは、だから、泣きそうな顔になって言ったのだ。
「力を、貸してくれないか」
「ゲラ、リオ?」
ゲラリオは目元を拭い、無理やりに笑った。
「俺にじゃねえ。俺たち、いや……」
あの、頼りないくせに、妙なところで踏ん張りの効く、おかしな鉱山帰りに。
そしてあのへなちょこを支える、愉快な仲間たちに。
「ジレーヌ領の奴らに手を貸して欲しい。あいつらは、戦場でぶいぶい言わせてた俺らよりも、いっとうでけえことをやろうとしてやがる」
傷ついた獣人でも呑気に暮らせ、世の不公平にはっきりと否を突きつけ、なんなら力づくで対処する。
それでついに魔導隊まで退けた。
おとぎ話が、真実になろうとしているのだ。
「戦力が必要なんだ」
ゲラリオは、ハーヴォンとヨークンを交互に見た。
頼信たちから頼まれたのは、早急にジレーヌ領に信用できる魔法使いたちを集めること。
しかもその信用というものは、生半可なものでは困る。
なぜなら、大抵のことには怯まないゲラリオでさえ、頼信たちの抱える秘密はあまりに恐ろしいものなのだから。
けれど、その力があれば夢を現実にできる。
できないのは、子供の頃に想像した、万能魔法の再現くらい。
いや、それですらできかねない。
あいつらは、そう思わせるほどのなにかを持っている。
だからゲラリオは、おとぎ話には付き合えないと二人に馬鹿にされようと、いくらでも説得するつもりだった。何日かかってでも、絶対に説得してみせると。
そしていささか錆びついてはいるが、有能な魔法使いと信頼できる獣人たちを、ジレーヌ領に連れて帰る。
生まれ故郷には、金貨を持って帰ることができなかったから。
ゲラリオは、じっと二人の戦友を睨みつけていた。
一体、無言のままどれくらいそうしていたことか。
ゲラリオと対峙していた戦友二人は、どちらともなく笑いだし、ついに背中を逸らして笑っていた。
むっとしたゲラリオが口を開こうとするのを、ハーヴォンが機先を制して言った。
「お前は相変わらず、涙もろいな」
「ん、なっ、う、うるせえっ。それより――」
「いや、聞かねえよ」
ハーヴォンは足元を見ながら言って、それから顔を上げた。
「聞く必要はねえよ。そんだけすごい話なんだろ? なあ、ヨークン?」
「まあ、俺は詳しく聞いてから判断したいが」
いつも慎重なヨークンはそう言って、遠巻きにこちらを見ている獣人の子供たちに視線を向けた。
「あいつらのこともあるからな。けど、お前の感じだと、ジレーヌの噂は本当だったんだろ?」
馬鹿な噂だった。
冒険者たちの間で伝わる、いや、獣人社会でささやかれていた、この世の果てにあるという小さな島のこと。
ゲラリオは、はっきりと言える。
「本当だ。あそこには、希望がある」
血にまみれた手で握っても消えず、確かにそこにある、小さな光。
二人の戦友は、優しげに笑っていた。
「ま、飯にしようや」
ゲラリオは一瞬、二十年近く前に戻ったような気がした。
まだみんなここまで薄汚れておらず、どれだけ戦場の埃で汚れても、肌が妙につやつやしていた、あの若かりし頃。
人生の盛りは、とっくに過ぎていた。
故郷の村にも、ついぞ胸を張って帰れなかった。
でも今度こそ、胸を張って帰れると、ゲラリオは思った。
あの、おままごとみたいなジレーヌ領に。
自分の。
新しい故郷に。
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