第160話

 クルルがこちらの胸を押す。

 下がれということだ。


「くそ、かなり手練れだぞっ」


 紫色の煙のおかげで、合成魔石がものすごい勢いで消費されていくのが目に見えてわかる。

 それだけの魔法を受け続けているのだ。


 案内役の聖職者は神の慈悲を叫びながら山道を駆け戻り、僧兵は躊躇ったのち、聖職者を守るという体で自身も引き返していた。


 するとバダダムは邪魔者がいなくなったとばかりに、服の下にしまっていた新しい合成魔石をクルルに渡す。


『ワレの鼻でもわからない。黒狐でも気配ははっきりとあったのに』

「だが攻撃は続いてる。なんなんだこれは」


 自分も辺りを見回すが、人影はどこにもない。


「魔法の有効距離ってどのくらいなんですか?」


 その問いに、クルルは一度歯を食いしばって唸る。


「……もっと色々試しておくんだった」


 わからない、ということだろう。


「なら、ものすごく遠くから……? でも、なにかそれもおかしいような」


 確かに炎系の魔法やらは遠くにまで効果を及ぼせる。

 しかしそれは炎や氷といった実体が遠くにまで飛ぶからだ。


 もしも離れた場所にいきなり爆炎を出現させられるなら、この世界の魔法使いの戦い方は、もっと別の形になっている気がした。


 となると、今受けている攻撃は可視光ではとらえられないもの、例えば電波などが飛んできているのか?


 人の意思を操る毒電波。


 ファンタジー世界にはそぐわないし、あまり笑えない。


『撤退するのも勇気だと、師匠が』

「わかってる。けど、噂が本当だったんなら、この魔法の出どころは聖女だろう? せめてなにか手がかりでも……」


 あたりを見回し、クルルは苛立たしそうに木の根っこを蹴った。

 まったく姿を見せない魔法使いから、強力な魔法を撃ち続けられている。


 これは言うならば、この先も似たような戦法を使う敵と遭遇する可能性を意味している。

 からくりを見破っておきたい、という気持ちはわかる。


 クルルは唸り、バダダムが言った。


『撤退を提案する』


 合成魔石は事実上無料だが、このクウォンの地で補給できるかわからない。

 無意味に消費し続けてはならない。


 クルルが悔しげに唇を噛み、こちらの腕を掴んで引き返そうとした、その時だ。


 自分は道の先に、奇妙なものを見た。


「ま、待ってください」


 クルルとバダダムが止まり、こちらを見る。


「風」

「風?」


 目を凝らし、じっとそれを見る。


 この森の中の、天然の間違い探しかのように。


「風、吹いてます?」


 クルルとバダダムが互いに顔を見合わせているのが気配でわかった。

 そして、クルルが固い天然の魔石を取り出して、こちらの頭めがけて腕を振り上げた。


「花です、花!」


 クルルの手を掴んで止め、道の先を指さした。


「風も吹いてないのに揺れてるんですよ!」


 そう、あのおもちゃのロックフラワーのように!


『まさか――』


 バダダムが言うが早いか、クルルは右手の魔石を持ち換えていた。


「炎よ!」


 強烈な光が濃い影を作り出し、質量を感じるほどの熱量が顔を焼く。


 そして今度こそ本物の風を感じられたのは、山道を特大の炎が通り抜けたから。


「……止まった?」


 クルルが再び手に持ち直した死神の口からは、紫色の煙が上がらない。

 代わりに木の燃える良い匂いが鼻をくすぐり、無性に焼き芋を食べたくなる。


 クルルは慎重に前に進み、焼け焦げた山道の両脇に咲き誇っていた、数多の花の残骸を踏み潰した。


「植物の魔物……ってことか?」


 ジレーヌ領で検討したことだった。


「危ない実験だったのかもしれませんね、あれ」


 あるいは肉体強化の魔法を撃ったところで人間が魔物にならないように、生物が魔物になるにはなにかしらの条件が必要なのかもしれない。


 ただ、植物を魔法で元気にさせる手法には、取扱注意のマークをつけるべきだ。


 そこに、バダダムがふと言った。


『……この話、師匠以外には伏せたほうがよいかもしれません』

「え?」


 見た目は凶悪な獅子のようだが、その理知的で優しそうな瞳で、バダダムは山道の先を見つめていた。


『時折、土地に残る呪いみたいな話に、出くわすんですよ』


 バダダムの視線が、こちらに向けられる。


『ワレラはどこの土地に行っても、住むところを選べませんからね。人が住まない場所に追いやられ、大体そういうところは曰く付きです。おかげでワレラのみが知る、不吉な話がたくさんあるのです』


 自分はバダダムを見つめ返す。


 イーリアが各地の権力者から聞き集めていた、辺境の地の不思議な話にも、確かにそういうのがあった。

 自分はそれを、未開の文明ゆえの迷信だと思っていたが……。


『ワレラに伝わる不吉な話のせいで、ヒトの信じる神とは別のナニカがいると信じる同胞は、多いです。先に言った呪術師のようなモノがいるのも、そのせいです。しかし、真実は違うのかもしれません』


 道の先を見やるバダダムの目は、決して無知で蒙昧な獣ではない。

 理知的で冷静な目が、焦げた花々を捉えていた。


『ワレラの気がついていない魔法使いが、世の中にはたくさんいるのやも』


 常識で判断できないものを、人はすぐに神秘という名の箱にぶち込んでしまう。


 それは魔法などというトンチキなものが存在するこの世界でも、変わらない性向なのだとしたら。


「ものすごく興味深いお話し中、悪いんだけどな」


 そこに、少し道から外れて周囲を見て回っていたクルルが言った。


「あそこにある建物が見えるか?」


 隆起した木の根の上に立ち、道の先を示している。


 バダダムはこちらに向けてうなずき、クルルのほうに歩いていく。


「あまり私から離れるなよ。さっきの花、よく見ればあちこちに咲いてやがる」


 道の両脇ほどではなかったが、確かにちらほらと花が見える。

 それは風もなく揺れているようにも見えるし、獲物を待ち構える捕食者にも見えた。


「……古そうな建造物ですね」


 森の先にあるのは、石造りの祠だ。


「撤退する勇気があるなら、進む勇気もあるよな?」


 兄弟弟子に向けたクルルの笑みは、不敵なもの。

 バダダムは肩をすくめ、うなずいた。

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