第十二章

第146話

 旅程ではほぼずっと寝ていた。


 島から離れたことで緊張の糸が完全に切れて、たまりにたまっていた疲れが一気に出たらしい。

 船で寝て、馬車で寝て、もちろん宿でも寝た。


 わずかに歩く時はクルルに肩を借りる始末で、一度ならず病を疑われて、宿に入れてもらえなかったり、船に乗せてもらえなくなりそうなことがあった。


 ただ、そんなふうにぐにゃぐにゃな自分は、ツァツァルと合わせ、治癒の奇跡を求めてクウォンを目指す巡礼者一向、という設定には大いに役立ったと思う。


 クローデルに発行してもらった、巡礼者であることを示す教会の証書は、かなりの説得力を持ったに違いない。


「ノドンの奴にも同じものを持たせたんだったか?」


 クルルがそう言ったのは、ジレーヌ領を出て五日目、ここを遡ればやがてクウォンに至るという大きな川の流れ込む町の、教会関係の宿に腰を落ち着けた時のことだ。


 ちょうど町の定期市にかぶっていたらしく、どこも宿がいっぱいで部屋をとれなかった。

 それで巡礼の証明書を手に町の教会に向かったら、巡礼者向けの宿を紹介してもらえたのだ。


「確かそうですね。巡礼者ということで島から送り出しましたから」


 ジレーヌ領を支配していた悪の親玉たるノドンだったが、自分はいまいち彼を憎めなかった。

 だからいくばくかの元手と、教会からの身分証を持たせて島から追放するにとどめた。


 あれだけの人物なら、きっと今でも元気にやっているだろう。


「紙切れ一枚であれこれ話が進むなんてな。妙なものだ」

「なにごともなくてなによりですよ」


 荷ほどきをし、旅装を解くと、またあくびが出てしまう。


 石造りの部屋にベッドはなくて、代わりに一部床が高くなっている場所がある。

 そこに各自布を敷いて、くつろぐなり寝るなりしろ、というスタイルだ。


 紡績機械のないこの世界で布を作るのはものすごく大変なことで、ふかふかのベッドが用意されるような宿はお貴族様向けのものだけ。


 もちろん自分はすっかり固い床でも眠れるようになっていて、今もいそいそと寝る準備をしていたら、クルルに呆れられた。


「クウォンには、ここから川をさかのぼって、一週間ほどだったか?」

「雨に降られなければ、と言っていた気がします」


 クルルは聞いているのかいないのか、木窓の向こうに広がる港町を眺めていた。


 それがふと、こちらを振り向いた。


「この町では辛い貝料理が有名らしい」


 いささか唐突だったが、クルルは道中でファルオーネとよく食べ物談義をしていたし、立ち寄る町では食材やらを市場で見て回っているようだった。商会で買いつけてくれ、なんて何度か言われた気がするし、そのすべてに生返事をした気がする。


 なんにせよ勉強熱心なのは良いことだ。


 自分は大きなあくびをして、しょぼしょぼしてきた目のまま敷布を敷いて、ずた袋を枕にして寝る準備を整えていく。


「カニとかエビもあるらしい。エビはこんな大きいと漁師から聞いた」


 両腕を広げるクルルに、ロブスターの類かな、なんて思う。


 いいですね、とかなんとか気のない返事をして、さあ寝ようと思った、その時だ。


「……」


 木窓の前で、しゅんとしているクルルに気がついた。

 明らかに、尻尾に力がなかった。


「……」


 さすがの自分にも、クルルがどうしていきなり貝料理の話をし始めたのかわかった。

 けれど眠気もひどくて、とても今から市場に行って料理談義には付き合えない。


 いや、別に料理の話はどうでもよくて、単に話がしたかっただけなのだろう。

 それは、この部屋に自分たち以外誰もいなかった、ということも関係しているはず。


 ファルオーネはこの町でとある人物と会うことになっていて探しに行っているし、ゲラリオはこの先の旅程の情報を集めに旅人が集まる市場に赴き、ツァツァルはバダダムやカカムたちと獣人用の別棟だ。

 宿の主人はクルルの耳と尻尾に難色を示したが、銀貨を握らせてこっちの部屋にした。


 そんな感じなので、自分が寝たら、夕飯までクルルは独りになってしまう。


 自由に町を見て回っていればいい、というのも、その獣の耳と尻尾のせいでいささか危険が伴う。ジレーヌ領の雰囲気に慣れてしまうと忘れがちだが、外の世界は獣人に優しくないのだ。


 けれど眠気はどうしようもなく、ねばつく思考の中でどうにか解決策を編み出そうとして、ふと気がついた。


 木材取引で栄えている町なので、町は大半が木造家屋だが、この巡礼者用の宿は教会が管理しているせいで、石造りだった。

 布を敷いて寝床とした台座も、もちろん石。


 それにこの石の感じには、見覚えがある。


 もしやと思って部屋のあちこちに目を凝らしたら、案の定あった。


「クルルさん」


 声をかけると、クルルがぱっと顔を上げる。


「ほら、あれ、魔法陣がありますよ」


 予想していた言葉と違ったのか、クルルはちょっと拍子抜けした感じだったが、こちらの指差した壁を見て興味を引かれていた。


「へえ、本当だ。けど、欠けてるな」


 壁に使われている石に、魔法陣の一部が刻まれていた。


「きっと古い教会に使われていた石を、再利用しているんだと思いますよ」


 なので全体像はわからず、なんの魔法なのかまではわからなかったが、多分この建物のあちこちにこんなのがあるはずだ。


「全部見つけて足し合わせたら、新しい魔法陣が出てくるかもしれません」

「ファルオーネに教えたら、一日中でも探してそうだな」


 クルルはそんなことを言って、ほかにも魔法陣がないかと探していた。


 その後ろ姿は、老舗百貨店のロビーで、壁石に使われている大理石の中にある化石を探している子供たちを思い出させた。


 やれやれ、これで少しは寂しさも紛れてくれるだろうと、力が抜ける。


「お、またあったぞ、なあ、ヨリノ――」


 クルルがこちらを振り向いたのはわかったが、もう自分はうとうとしていた。


 閉じかけた瞼の向こうで、不服そうなクルルのシルエットだけは見えた。


「お前、寝込みを襲われても文句言えないぞ」


 その言葉になんと返事をしたかは覚えていないが、薄い毛布一枚だけにしてはやけに体が暖かったことは、夢の中でも覚えていたのだった。

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