第133話

 鉱山の奥にはこと切れた骸があって、おそらく彼が書いたと思しき、古代帝国崩壊の瞬間を伝える文章が残されていた。


 挙句にゲラリオたちがどうにか行動を封じることのできた悪魔と、なんとあのファルオーネが古代帝国語で会話をし始めた……というあたりで、イーリアは犬耳を伏せて蓋をして、現実逃避を決め込んでいた。


 連日の接待攻勢を切り抜けたばかりで、色々いっぱいいっぱいなのだろう。


 こっちの話も、焦ったところで結果が早く出る話ではないから、やれるところをやって、引き続き世界の秘密を追いかけます、とだけイーリアに言っておいた。


 なお、神のいる鉱山に関連して、辺境地域で行われている獣人奴隷の話にだけは、イーリアも真剣な顔つきになっていた。鉱山奪取を帝国から命令されているヴォーデン属州は、戦費調達のために、獣人を捕えては売っているとのことだったのだから。


 しかしあの鉱山は、今のところなにかをいじれる感じではない。あの山の神、実際には悪魔だが、それを奉じるアヴァルド族という存在のこともあるし、あの土地からさらに西に向かえば、神の住む山のおかげで帝国の魔の手から逃れられている者たちが大勢いる。

 あの鉱山から悪魔を追い払えば、より多くの獣人たちが危険に晒されるかもしれない。


 そう伝えると、イーリアは特になにも言わなかったが、クルルの身体をひときわ強く抱いているような気がした。


 あれこれ問題が山積し、どれひとつをとっても、重量級。

 とにかくできることからやるしかない。


 ファルオーネがかつて知り合ったという、古代帝国語の発音を研究している者に連絡を取ることと、それからありとあらゆる既存の魔法陣と、辺境地域に散らばる魔石鉱山の所在を確かめること。

 あと、ファルオーネが暴走しないかに注意する必要があるのと、彼らから協力を求められたら、なるべく早く応えられるようにしておくことだろうか。


 そんな諸々の現実的な話をしていくと、ようやくイーリアは伏せていた耳を直し、体が溶けそうなくらいのため息をついていた。


 こうしてヴォーデン属州にて見聞きしてきた特大の話を終えた後、解散となった。


 今晩は久しぶりにゆっくり寝られると、倦んだため息をつく。


 けれどそんな自分の前に、思いもよらぬ別の問題が横たわっていたのだった。



◇◇◆◆



「え、いっぱいなんですか?」


 イーリアたちと話し終えてからタカハシ工房に戻ると、出迎えてくれた小僧が申し訳なさそうな上目遣いになる。


 ジレーヌ領にやってきた人たちがあまりに多く、夜露をしのぐための屋根と床が足りないとは聞いていた。

 イーリアの屋敷も人でいっぱいだったし、この工房も中庭に至るまで客たちに開放してしまったらしい。


 親方たちでさえ、家を貸して小遣い稼ぎをしている者がいるようで、小僧の向こうには、廊下で眠りこける親方や徒弟たちの姿が見える。


 彼らに交じって寝ることそのものは構わないのだが、へたなところで無防備に寝ていると、自分と直接交渉する機会を狙っている商人や領主たちに狙われかねないのが問題だった。


 工房がこの混雑ぶりだと、常に荷物でぱんぱんな商会のほうはもっとだめだろう。


 唸っていると、横から脛を軽く蹴られた。


 クルルだ。


「ほら、だから言ったろうが。私と一緒にイーアリア様の屋敷で寝ればいい。せっかく場所があるんだから」

「……」


 クルルみたいな女の子にそんな台詞を言われるなんて、前の世界ならば妄想でしかなかったのだが、その誘いを断って工房に戻ってきたのには、理由がある。


「イーリアさんに餌を与えることになりますよ」


 クルルが提案した寝床というのは、イーリアの屋敷の地下室だった。


 コールの仲間の獣人がせっせと資料を整理し、掃除もしていたので、下に敷くものをもちこめば、確かに寝起きには困らない。

 貴重な資料の置かれている場所なので、よそ者を泊めるわけにもいかず、数少ない空きスペースとなっているのだ。


 しかし、そこには大きな問題があった。


 同じ屋根の下に、犬並みに他人の恋路に鼻が利く、ちょっと意地悪な領主様がいること。


 それから、どうやらクルルも一緒にそこに寝る気満々だということだ。


「それはそうだが……」


 クルルは唇を尖らせて、こちらを見てくる。


 身長差があるので、自然と上目遣いになるのが罪深い。

 小僧が眠そうにあくびをしなかったら、その存在を忘れて抱きしめていたかもしれない。


「仕方ないですね」


 その言葉に、クルルがぱっと顔を輝かせた。


「そうか、それじゃあ――」

「宰相の立場を使わせてもらいます」

「ん……あ?」


 怪訝そうなクルルをよそに、夜の街を歩いていく。

 到着した建物の扉をノックすると、出てきた住人はものすごく怪訝そうな顔をした。


 それは自分の訪問のせいか。


 あるいは、隣で死ぬほど不機嫌そうにしている、クルルのせいだろうか。


『ヨリノブ殿? と、猫姫様?』


 ゼゼルの向こうに、疲れを知らぬファルオーネや、ヴォーデンの話を聞いて奮起したらしいルアーノたちの姿が見えた。


「しばらくここに泊めてもらえませんか?」


 ジレーヌ領の秘密を研究するここならば、よその客を泊めるわけにはいかないし、自分一人が寝起きするスペースくらいあるだろう。

 それにここは大学生のシェアハウスみたいな雰囲気で、なんとも懐かしさと郷愁に誘われるのだ。


『そりゃあ、ヨリノブ殿でしたら……』


 と言いながらゼゼルが恐る恐る視線を向けたのは、尻尾の毛を逆立てたクルルだ。


「なんだ、私も寝泊まりしたら不都合か?」

『め、滅相も……』

「ふん。こんな雄臭いところに泊まれるわけないだろ」


 クルルはそう言ってから、こちらの足を思い切り踏んで、踵を返す。

 そのまま数歩歩いて立ち止まると、振り向いてこう言った。


「アホヨリノブ」


 そして、走り去ってしまう。


 その姿が完全に見えなくなってから、ゼゼルがいつも以上に首を縮めて、こちらを見ていた。


『よくわかりませんが……いいんですか?』


 会議が解散した後、工房に戻ろうした自分に告げられる、町の寝床事情。

 その話を聞いた時の、きらりと輝いたクルルの目。


 けれどその隣でもっと目を輝かせ、尻尾をぱたぱたさせていたイーリアのことを思うと、これでよかったのだと思う。


 というか地下倉庫でクルルと寝床を共有したら、本当に理性を保てるかわからない。


 もちろん、クルルに拒否されるとは思え……いや、思いたくないのだが、その可能性は割りとあると思った。

 クルルからの好意を疑っているわけではなくて、ロランでのことが原因だ。


 島にいられなくなった娘たちを探す過程で、行き場のない女の子を集めて商売をする女衒たちと渡り合った。その際に彼らの信頼を得るために使ったのが、とっておきの下ネタだったのだが、クルルはそれにひどくショックを受けていた。


 イーリアはただれた宮廷文化に慣れているのか、あるいは単にそういう性格だとも思うのだが、下ネタに対してはむしろどんとこいみたいな雰囲気がある。

 でも気丈に見えて、気に入らない奴はすぐ蹴り飛ばすクルルのほうが、かえってそういう面で潔癖な感じというか、ちょっと夢見がちなところがあった。


 竜を屠ったあとの大騒ぎで酔いつぶれ、同じ毛布の下で寝て、しかもどっちも裸同然だったこともあるが、あれを気にしなかったのは、クルルにそもそもそういう意識がなかったからではないか。


 そのへんのことを考えると、理性を保てるかわからない同衾は、回避しておいたほうが無難だと思ったのだ。

 ただでさえ難問が山積みなのに、クルルとの関係まで変にこじれるなんて、想像したくもない。


「それに……」

『?』


 思わずつぶやくと、ゼゼルがその大きな耳で聞きつけていた。

 自分はそんなゼゼルに、首を振って誤魔化す。


 考えたのは、万が一、クルルとねんごろな関係になった時のこと。

 ここは、ドラッグストアや薬局がある世界ではないのだということを、忘れるべきではなかった。


 古い時代では羊の腸をアレにはめて使ったり、穴におがくずを詰めるみたいな荒業もあったらしいが、どれも信頼できる方法とは言い難い。

 欲望の赴くまま手を出して、後は野となれ山となれという芸当ができるのなら、自分は前の世界でももう少し楽しめたはず。


 結局、そういう性格なのだ。


 様々なリスクにびくびくしながらあの華奢な体を抱きしめるより、雄臭いとクルルに言い放たれたこの大学生のたまり場みたいなところのほうが、自分の心は落ち着くのだった。


「それに、皆さんと話したいこともたくさんありますし」

『……』


 誤魔化しを聞きつけたのか、それともこちらの面倒くさいこじらせた懊悩を嗅ぎつけたのかはわからないが、ゼゼルは呆れたようなため息をついてから、体を引いて自分を招き入れてくれる。


 そして自分は、扉を閉じ際、クルルの走り去った方向を見た。


 やっぱり残念な気がしないでもなかったといえば、真っ赤な嘘なのだった。




 その夜は、甘酸っぱい睦みごとの代わりに、大規模魔法陣を巡る謎を解決するために、覚えている限りの数学をはじめとした、科学の知識を伝授して、結局深夜まで話し込んだ。

 気が付けば全員が一階の広間で雑魚寝という、その翌朝。


 荒々しく扉が叩かれ、床で眠りこけるルアーノやアランを跨ぎ越えて扉を開ければ、朝食のパイを焼いて持ってきた、恐ろしく不機嫌そうな顔のクルルがいたのだった。

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