第127話
「近寄るなよ。そいつは変な魔法を使う」
思わず足を引いてしまう。
ファルオーネも好奇心からか近寄ろうとして、足を止めていた。
『fmg・f!!! @fmf@あxg@!!』
耳障りな音は、明らかにこの黒い悪魔から発せられていた。
クツワムシかなにかが拡声器を手にしたらこんな感じだろうか。
それにこの音が発せられると、服がびりびり揺れていることに気が付いた。
「俺も初めて見る魔法だ」
「魔法、なんですか、これ」
耳を伏せているクルルが、遠巻きに悪魔を見ながら言った。
「あれだけ洞窟が揺れてたから、さぞすごい戦いなんだろうと思ったが、山は無事だ。その理由が、この魔法なんだろ」
言われてようやく気が付く。
まばらに生えた針葉樹が傾いでいるところはあるものの、山が削れているようではない。
あの振動がすべて爆発によるものだとしたら、今頃ここはハンバーガーヒルになっているはずだ。
ゲラリオが体を起こし、胡坐をかきながら言った。
「なんというか、世界そのものを揺らすような感じなんだよ」
「世界を……?」
「巨大な重りを担がされたみたいだったぜ」
ひとつの単語がすぐに思いついた。
重力を操る魔法なのかもしれない。
坑道の中で感じた振動は、その重力の変動で山ごと揺れていたのだろう。
ただ、気になったことがあった。
「その魔法の魔石って残ってますか?」
「どんな魔法陣だって気になるか? だが残念ながら、あいつは悪魔だ。魔石なしで魔法を撃つ。竜もそうだろ」
そうだった、とうなずく。
しかしそれは新たな疑問を呼ぶだけだ。
「え、じゃあ、あの洞窟の奥の魔石は?」
「魔石?」
ゲラリオが聞き返す横で、クルルは肩をすくめてみせる。
「師匠、説明しようとしたら時間がかかる。先にあの悪魔をどうするか決めるべきだ」
魔法を撃ちすぎて力尽きたのか、岩の下敷きになってもがいている悪魔は、どこか弱々しい。
ここで駆除することはできるだろうが、そうするとヴォーデン属州の侵攻を食い止めてくれる者がいなくなる。
なにより、この洞窟の奥には、隠すべき合成魔石の秘密があった。今後もこの悪魔にはここを守ってもらうべきだ。
「解放しましょう。多分ですけど、あの祭壇を越えれば追ってこないのでは」
保証の限りではないが、魔物はもともと鉱山からあまり離れないとも耳にした。
「じゃあ……距離をとってから、岩を狙い打つか? 万が一この悪魔が追いかけてきても、魔力切れみたいだからな。死神の口で撤退に専念すればいけるだろう」
ゲラリオは戦場での経験から、魔法の効果を吸収でき、鉄壁の防御を誇る死神の口に嫌悪感を隠さないが、こういうときには役に立つ。
クルルは早速、バダダムたちが持っていた荷物から合成魔石と、魔法陣を刻み込むための鋳型を取り出して……というところで、動きを止めた。
口を引き結び、獣の耳をきんきんに立て、尻尾の毛が逆立っている。
自分も、すぐに気が付く。
ファルオーネが、目と口を見開いて、こちらを見ていたのだから。
「そうやって巨大な魔法陣を作っていたのか!!」
クルルと目が合った。
気の強いクルルが、珍しく泣きそうな顔をしていた。
ただ、その気の強さが変に作用して、クルルは懐から魔石を取り出し、構えようとする。
秘密を守るため、ファルオーネを亡き者にしようとしたのだと理解した直後には、その体ごと抱きかかえるように止めていた。
今更隠してもしょうがないし、今のファルオーネは合成魔石以上の秘密を知る存在だ。
洞窟の奥で見た情報は、それくらいのものだ。
それでも、一応はファルオーネにこう言っておく。
「ジレーヌ領の存続に関わる秘密です。ご理解を」
合成魔石の秘密をばらしてしまった自責の念からか、身をよじって逃げ出そうとするクルルを抑えながら、ファルオーネに言った。
するとようやく驚きから覚めた占星術師は、大きく息を吸って髭を撫でる。
「ふむ。そもそも巨大な魔石を掘り出したとは思っていなかったからな。なにかからくりがあるのだとは思ったが……ただ、今日は知的な収穫が多すぎる。頭が破裂してしまいそうだ」
その右手の中指では、先ほどの骸から抜き取ってきた指輪が光る。
金の指輪で、宝石のようなものこそないが、なにかをかたどっていて、文字らしきものも刻まれている。
「収穫はあったのか」
事態の推移を見守っていたゲラリオが、たずねてくる。
「ええっと、かなり、色々と」
なにから説明したらいいのかわからない。
壁に掘られた文字の内容だけではない。
あそこでこと切れていた骸の存在に、彼に供えられていた花。
それに合成魔石と、刻まれた魔法陣。
悪魔が無関係とは思えないが……と思っていた瞬間だった。
『fmf@あhを!!!』
「うぁっ⁉」
世界が揺れた。
地震とは違う、巨大な箱に入れられ、それを思い切り縦に揺さぶられるような感覚。
さらに体中が鉛に代わったかのような負荷がかかり、暴力的な重力の変動が一瞬の波となって体を通過する。
たちまちバランスを失い、クルルと一緒に倒れ込んだ。
「かはっ」
直接肺を揺さぶられたような感覚に、呼吸もままならない。
そうして地面に倒れていると、体を通り抜けた重力の波が、そのまま振動となって山を駈け廻るのがわかった。
ただ、その魔法が収束した後も、耳障りな音は止まなかった。
『fmf@あhをrん! fmfhをr@!!』
岩がぎしぎしと揺れ、バダダムたちが慌てて距離を開ける。
「まだやれるってのか。すげえな」
ゲラリオが立ち上がり、呆れたように言う。
「クルル、逃げるぞ。死神の口を――」
ゲラリオの言葉はそこで途切れた。
「おい⁉ おっさん⁉」
ファルオーネが、ふらふらと悪魔に向かって歩きだしていたのだ。
『hをhkりlm! weljしはrとigきfks!!』
魔法を唱え続けているのか、それとも悪魔のそういう鳴き声なのか、不愉快な金属音に似た音を発する悪魔を前に、ファルオーネは立ち尽くす。
そして、言った。
「この指輪、か?」
『he;m,しkjなgfgぬ!!』
ファルオーネは指輪を外すと、悪魔の前に置く。
悪魔は身をよじり、瞳孔のない真っ赤な目を見開き、指輪に近づこうとする。
やはりあの骸を弔っていたのはこの悪魔なのか?
ゲラリオでさえ、どうすべきなのかわからず戸惑っているところ。
ファルオーネは、とてつもないことをして見せた。
「hj……kいjmoすvm?」
全員が、悪魔ではなくファルオーネを見ていた。
というか、悪魔でさえ、明らかに驚いていた。
「kwりhれもdhoれm……ckkり……fg?」
一人冷静に、なにかの手触りを確かめるように、謎の言葉を発するファルオーネ。
「お、おい、ヨリノブ……」
クルルの華奢な手が、こちらの腕を痛いくらいに掴んでくる。
誰もが動けない。
ファルオーネの様子と、それから、悪魔の様子に釘付けだったから。
『……ld?』
悪魔が、呟くように、音を発した。
「ld。ld!」
ファルオーネが同じ音を繰り返すと、悪魔は目が割けんばかりに見開いて、そして……。
「嘘、だろ?」
ゲラリオが呟いた。
黒い悪魔はファルオーネを見上げ、赤い涙を流し始めていたのだから。
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