第126話

 尻尾の毛をぱんぱんに逆立てたクルルが、臨戦態勢で周囲を見回している。


 再び聞こえた衝撃音は、はっきりずしりと腹にきた。


「加勢に戻りますか?」


 悪魔はそもそも複数パーティで討伐するものらしい。

 ゲラリオとカカムの二人では苦しいかもしれない。


 ただ、クルルは苦い顔で頭を巡らせ、言った。


「私たちが外に出たとする。そこでもしも悪魔が入れ替わりにここに籠城したら、倒す以外に潜る方法がなくなる。せっかくの手がかりだ。それに……」


 クルルは言葉を切ると、小さく深呼吸をした。


「師匠は強い。腹立つくらいにな」


 なにかとゲラリオに手厳しいクルルだが、クルルなりに懐いているのはよくわかる。

 甘噛みがきついのは、大型犬にじゃれつく子猫みたいなものだろう。


「むしろ時間稼ぎしてもらってるのに、ろくに坑道を調べられなかったなんて言ったら、尻尾を丸刈りにされかねない」


 訓練中に何度もそうやって叱咤されたのか、バダダムも首をすくめている。


「悪魔が坑道に逃げ込んできて鉢合わせしたら、吹き飛ばしてやればいいし」

『引き際は考えてくださいよ』


 そんなやりとりをして、自分たちはさらに坑道の奥に向かった。


 外ではゲラリオと悪魔が魔法を撃ちあっているのか、坑道が幾度も揺れる。

 ただ、揺れているうちはゲラリオが善戦しているということでもある。


 バダダムがすごい速さで先行し、その後を自分たちが懸命に追いかける。


 あちこちにかつての採掘の痕跡が残り、再びちょっとした広間に到達すると、そこには採掘したまま運び出されることのなかった魔石があった。


 比較的大きな魔石だが、大魔法を刻めるような大きさのものではなく、ジレーヌ領でも見かけるのと変わらない。

 やはりあの大魔法は合成魔石あってのもの。


 ただ、自分は驚いた。


「こっちの魔石……これって……」

「どうした?」


 クルルも近寄ってくる。

 そして魔法の火をともすと、山積みになっているのは……。


「おい、これ……合成魔石じゃ……?」


 魔石は鉱石なので、粉を練ったものとでは明らかに見た目が違う。

 無発酵パンを積み重ねたようなそれには、しかも攻撃魔法が刻まれていた。


 それに、壁に立てかけられている物にも気が付いた。


 錆びついた鉄製のそれは、魔法陣を粘土に押し当てるための鋳型だ。


 どういうことだ? ここは鉱山ではなく、魔石加工もやっていた?


 ただ、まったくわからないのは、まさについ最近作業したような痕跡があるからだった。


 いつの間にかこちらの腕を掴んでいたクルルを見やると、クルルも混乱していた。


 あの村人たちが、自分たちを騙していたのか。

 悪魔とは、村人の中でこの秘密を知る魔法使いのことか?


 その直後、広間のさらに奥まった場所から、ファルオーネの絶叫が聞こえてきた。


「おお、神よ!」


 自分は思いきりびっくりしたし、クルルは耳と尻尾の毛を逆立てていた。

 顔を見合わせ、松明の明かりを追いかければ、そこは倉庫かなにかのようだ。


 そして、自分もすぐに気が付く。

 立ち尽くすファルオーネの向こうで、石壁が灯りに照らされている。


 そこに刻み込まれた、一連の文字。


 まさか、本当にあるとは。


 どこか半信半疑だったし、今も若干現実味がない。

 けれどそれは自分だけでなく、クルルもそうだったようだ。


 視線を感じたのか、こちらを見やると、懸命にひきつった笑みを見せてきた。


「世界の秘密……だと思うか?」

「帝国崩壊間近に刻まれたのなら、給料未払いの愚痴かもしれませんよ」


 クルルはひゅっと首を伸ばし、すぐに縮めて犬歯を見せた。


『皆さん、匂いの元を見つけましたよ』


 うわごとのように呻きながら石壁に縋りつくファルオーネをよそに、周囲を探っていたバダダムが、広間の隅っこを明かりで照らしだした。


「……骸骨」


 石壁にもたれかかり、こと切れている骸。


 うつろな眼窩はなにも見ていないが、身なりからすると、聖職か高位の人間かという感じだ。

 首からは数珠のようなネックレスを下げている。


 ただ、顔が引きつるのは、初めて骸骨を目の当たりにしたからではない。

 その骸骨の周囲には石が積まれ、花が供えられていたから。


 しかもそれは、まだ枯れていない。


「誰がここに出入りしているんだ?」


 クルルの自然な問い。

 村人でないのならば。


「悪魔?」


 自分が問い返したところで、ファルオーネの怒鳴り声が聞こえた。


「ええい、自己紹介などいらんのだ! 帝国を憂う詩もいらんのだ!」


 ルアーノたちと解読した暗号解読表を手に、文字を必死に追っているファルオーネが吠える。

 それははやる知的好奇心からか、それとも振動と共に頭上から砂埃が落ちてくるからか。


 大きく揺れた時、骸骨がきしんだような気がした。


「崩れないですよね?」


 思わずクルルに尋ねてしまったが、わかるはずもないだろう。

 クルルは口を引き結び、ひときわ大きな魔石を取り出していた。


「もしもの時は、ここから空が見えるようにすればいい」

『冗談と思っておきますよ』


 バダダムのため息交じりの言葉の中、ファルオーネは刻まれた文字列の真ん中あたりまできている。


「おお……おお、そうか、やはり、やはりそなたは、魔法の研究者かっ!」


 ファルオーネが震えた声で言った。


「帝国に内乱が起き、伝説の魔法の知識……知識を争い合った⁉」


 まさか、と自分たちが息を飲む。


「だが……その知識は、存在しない? なに? 誤字か? 存在しないとは何事だ!」


 ファルオーネの怒りに呼応するかのような、再びの地響き。

 ゲラリオが生きていることの証でもあるが、山の外の戦いの激しさを想像するとぞっとする。


「なに……? ありもしない、知識に惑わされるな……?」


 大規模魔法陣に残されていたのと、同じ警句を見つけたらしい。

 激しい徒労感が襲い掛かる。


『では戻りますか』


 バダダムの言葉に、ファルオーネが首を振った。


「まて、続きが……ありもしない知識、だが、だが……」


 指で刻まれた文字列を追いかけていく。

 その文字列は、なんとなくだが、それまでの文字列よりも乱れ、荒かった。


「だが、私は、見た?」


 ファルオーネが、呟いた。


「世界の終わり……西の果てから見る、東の終焉?」


 ファルオーネは、最後の文字を指でなぞった。


「誰かが、謎を、解いたようだ……解いた⁉ 解いたのか⁉」


 ファルオーネは蜘蛛のように壁に貼りつくが、文字はそこで終わっている。


 するとこの自称天才占星術師は、頭を掻きむしってから振り向くと、壁にもたれかかっている骸骨に飛び掛かった。


「おい! 謎を解いたとはどういうことだ! その詳細は⁉ どこだ! ここか⁉」


 骸の肩を掴み、乱暴に壁からはがすと、肩の上に乗っかっていただけらしい頭蓋骨が、骸の膝の上に落ちる。


 しかし、彼、あるいは彼女の背中の後ろにも、文字はなかった。


「うぅぅぅ!! どういうことだ!」


 ファルオーネの気持ちはわかるが、骸骨を粗末に扱うのは、死者の冒涜に感じてしまう。


 うろうろと広間を歩き回るファルオーネをよそに、骸の崩れそうな体を起こし、肩から落ちてしまった頭蓋骨を拾い、埃を払ってから丁寧に乗せておく。

 それから最後に、手を合わせて祈っておいた。


 目を開けると、クルルが緑色の目でこちらを見ていた。


「お前の世界ではそうやって死者を弔うのか。けど、八百万も神がいるんだろ? 誰に祈るんだ?」

「えーっと……」


 確かに、誰に祈るのだろう?

 仏さまでいいのか?


「説明が、すごく難しいのですが……」

「あとで教えろ」


 むくれた様子のクルルにぽかんとしていたら、姿の見えなくなっていたバダダムが、広間に戻ってくる。


『この広間の先にも道がありましたが、水没していました。もしかしたら、潜った先に続きがあるやもしれませんが』


 水の流れが無ければいいが、二度と戻れない狭い穴に吸い込まれる可能性もある。

 それに鉱山内で溜まっている古い水には、鉱毒が溶けだしているかもしれない。


「戻りましょう。ファルオーネさん」

「ううう……」


 ここにはもっと手がかりが残されているのでは、と言いたげなファルオーネだが、ゲラリオたちも無限に戦えるわけではない。


「伝説が本当だったというだけでも収穫です。ほかの鉱山には別の伝言があるはずなんですから」

「……そうだ、そうだな。手に入れた知識は持ち帰らねばならない」


 ファルオーネは落ち着きを取り戻し、バダダムとクルルを見る。


「戻ろう……いや、待て」


 ファルオーネは言って、先ほど飛び掛かった骸に歩み寄り、その右手の指の骨から、指輪を抜き取った。


「この骸が、どこの誰かわかるかもしれん」


 花を供えられていたり、明らかに弔われている骸から物を盗むのは倫理的にどうなんだと思うものの、確かにこれがどこの誰かがわかれば、大きな手掛かりにもなりうる。


「後で必ず返しにきましょう」


 自分の言葉に、ファルオーネは不思議そうな顔をしていた。


『行きますよ』


 バダダムと共に、きた道を急いで戻る。

 振動はまだ続き、ゲラリオたちが戦っているのがわかる。


 バダダムとクルルの本気の走りに、自分とファルオーネはついていけず、結局、尻尾を生やした二人は松明をこちらに預けると、勢いよくかけて行ってしまった。

 ゲラリオを信用しているとはいえ、弟子として師匠のことが心配でたまらないのだろう。


「はあ、ひい、ま、迷わんだろうね……」

「そ、その時は、じっとしてたら助けにきてくれるはずですよ」


 非力な二人は肩を貸しあいながら、洞窟の中を進んでいく。

 そしてついに光が見えてきた。


 外は静かになっていて、爆発音も、振動も起こらない。


 まだ洞窟の途中で足が止まってしまったのは、悪い想像をしてしまったから。


「ヨリノブ殿……止まるな。それは悪い考えだ」


 占星術師らしく、験を担ぐタイプなのかもしれない。

 それに、もしも悪い予測が当たっていたら、自分たちが生きて帰れる見込みはない。


 足を踏み出し、歩き、走る。


 暗闇から光の海の中に飛び出し――。


「やっときたか」


 フードを取って、腰に手を当てているクルルが真っ先に見えた。

 けれど自分が言葉を失ったのは、クルルたちが無事だった安堵感からではない。


 自分の目に映るものが、信じられなかったから。


「あの、それ」


 指さす方向を見たクルルが、悔しそうに言った。


「さすが師匠ってところだな」


 そのゲラリオは地面に大の字になり、疲れ果てたという感じで動かない。

 それからバダダムとカカムの二人が、巨大な岩の前に陣取っている。


 その岩の下に、なにか不気味な影のようなものがあった。


 そして急に影が揺らめいたかと思うと、金属同士をこすり合わせたような、すさまじい音がした。


『fmf@あhを!!! rん・zxgは!! い・f@!!!』


 背中を丸めて耳を抑えると、クルルもまた耳を伏せて尻尾の毛を逆立てていた。


「ひどい鳴き声だ」


 忌々しそうに呻くクルルに、自分はやはり呆然とする。


「つ……捕まえたんですか」


 大きな岩の下敷きになっているのは、黒い影がそのまま人になったような、燃えるような赤い目をした、形容しがたい存在だったのだから。

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