第112話
和平協定締結から二週間ほど経った頃。
ロランから船が三隻やってきた。
二隻は買いつけの注文を出していた大量の資材を積んでいて、もう一隻にはフロストが手配してくれた専門家集団が乗り込んでいた。
てっきり少人数のチームが派遣されるのだと思っていたのだが、船から降りてきたのはものすごい大所帯だった。
主にバックス商会と関係のある者たちのようで、フロストに随行していた書記官を筆頭に、プロの法律家や、文書や会計の専門家という面々が勢揃い。
そこはこちらが頼んでいたので予想通りなのだが、忘れていたことがあった。
ここは身分秩序の厳しい世界であり、身分のある者たちには従者がいるという点だ。
専門家たちはそれぞれが補佐官を何人も連れ、さらに使い走りの小僧と、身の回りの世話をする使用人たちという布陣でやってきて、合わせるとかなりの人数なのだ。
さらに彼らがそれぞれ大量の参考文書まで持ち込んでいるので、一国を運営するということの意味を、物理的に理解することとなった。
それから、フロストは軟禁されている間に、イーリアが領主業のことをなんにもわかっていないと理解したようで、気を利かせてロランの尚書局からも人を寄こしてくれた。
尚書局は前の世界なら、国政レベルの文書を専門に取り扱う部署だ。
フロストが寄こしてくれた人たちは、州都ロランが帝国の中枢や他の属州と正式なやり取りをする際の文書の形式や、外交儀礼全般も把握しているとのこと。
こういうことを知らないと、今後ロラン以外の権力者と付き合う際に舐められたり、信用されなくなったりするので、とてもありがたい。
イーリアはロランに赴いた際、貴族が靴を履くときに足を乗せる台を、椅子と間違えて腰を下ろしていた。嫌味な貴族たちがそれを見たら、たちまち意地悪く笑うことだろう。
ただ、外交儀礼を学ばねばならないと知ったイーリアは、死ぬほど嫌そうな顔をしていたのだったが。
それら官僚系の人たちの下船が落ち着くと、今度はまた毛並みの違う者たちが降りてきた。
造船所の責任者と、船大工工房の主人たち、それに木材商や地金商ということだった。
造船所そのものはロランが街として運営する官営造船所らしいのだが、そこで働く船大工たちはそれぞれ工房を構えているし、資材の納品も街の商人たちが担うようだ。
彼らが大挙して押し寄せたのは、ロランでも滅多に建造されない最大規模の船を作るということで、各種の営業と、顧客の注文を先に聞いておきたいということのようだ。
自分は船に特にこだわりはないし、ゲラリオも船は専門外なので、船舶建造についてはコールにある程度任せることになっていたが、甲板上の貴賓船室の内装についてだけ、イーリアが口を出したがった。
ロランとの騒ぎの際に船に乗って、色々思うところがあったらしい。
「予算に限りがありますからね」
事前に釘を刺しておいたが、ゆるふわ領主様のわざとらしい笑顔を見せられたので、交渉を担うコールにもしっかり言っておく必要があった。
もっとも、イーリアに笑顔でねだられたら、コールが厳しい対応をとれるのかと、不安はあったのだが。
「領主イーリア様。ロランより参りました我らの知識、ぜひご活用ください」
とにもかくにも、大挙してロランにやってきた者たちの主だった者が、イーリアの屋敷に集ってイーリアへと謁見する。
その裏で自分とクルル、それにクローデルら教会の者たちは、大慌てで彼らを受け入れる準備に奔走した。
まさかあんなにくるとは思っていなかったから、追加の宿の手配、食事の手配はいわずもがな、仕事をつつがなく進めるための作業場の確保もしなければならなかった。
前の世界みたいに大規模なホテルやコンベンションセンターがあるわけではないので、各種商人や職人組合が根城にしている組合会館を借りたりして、どうにか間に合わせた。
それからいざ専門家たちによる宮廷構築のための助言やら相談やらが始まると、これもまた大変だった。
ロランの法律をジレーヌの習慣とすり合わせたり、既得権益もある程度保護する必要があって、各組合の代表者を招いたり、会議の結果を記録して整理したりする必要があったからだ。
内政シミュレーションゲームでは味わえない、泥臭い作業を山ほど体験できた。
夜は夜で彼らのために酒場の席を確保したり、獣人奴隷貿易が未だ現役のロランの人間ということで、獣人と鉢合わせるのも互いに気まずかろうと、ドドルを通じてその辺を調整するという面倒な仕事もあった。
しかもそれらと並行し、商会と魔石工房の通常業務もあるし、廃鉱山の運営もあったので、しばらくは爆音が耳元で鳴り響き続けるかのような毎日だった。
泥縄式というのもおこがましいくらい、とにかくいきあたりばったりだったが、統治機構確立の話し合いは順調に進んでいった。
もちろん自分のような平サラリーマンの手柄ではなく、大手外資コンサル出身の健吾の存在が大きかった。
それこそチート持ちみたいな八面六臂の活躍で、二徹、三徹を平気でこなし、意識的なのかどうか、ロランが有利になりそうな法の仕組みを構築しようとする専門家たちを、夜は飲み会に連れ出して意気投合して懐柔し、昼は昼でその圧倒的な弁舌をもってして、揉めがちな既得権益者との調整をあちこちで行っていた。
もちろん重要な場面ではイーリアの決裁が必要なので、イーリアもまた、朝から晩まで会議のし通しだ。
ふわふわの子犬めいた可愛さだった領主様は、毎朝起きるたびに不機嫌が募り、段々ブルドックに似てきていた。
領主という役割柄、宴席も多いので、飲み過ぎの食べ過ぎで顔がむくんでいるのだろう。
ふわふわの髪の毛も一日ごとに大きくなり、寝癖を直すクルルも大変そうだったが、それでもジレーヌの領主として、イーリアはきっちり仕事をこなしていた。
こうして大混乱に見舞われていた諸々も、やがてそれぞれの軌道に乗り、あとはそれぞれにつつがなく処理するだけ、という流れになった頃。
自分は魔法陣絡みの用事があって、海上鉱山に向かうための小舟に乗っていた。
周囲に人がいない開放的な海原にでると、その視界の広さと、静かな波音という組み合わせに、自分でもびっくりするくらいに長く、大きなため息をついてしまっていた。
気を張り詰めていたんだなと気がついて、温泉に浸かりたい、とちょっと前の世界を懐かしんだ。
『お疲れのようですな』
バダダムではないが、港と海上鉱山の間で船を漕いでいる顔見知りの獣人が、やや笑いながら言った。
「ええ……鍛錬が足りていないようで」
どれだけ筋トレしても敵わないだろう獣人は、肩を揺らして笑っていた。
『アナタ様がたのおかげで、ワレらは腹いっぱい食えている。仲間もこの土地で名誉ある職に就けるらしい。お体には気を付けて』
獣人の気遣いにありがたく礼を言う頃、船は復活した廃鉱山に到着した。
久しぶりに訪れたそこは、すっかり一丁前の氷上プラットフォームになっていた。
立派な船着き場が作られていたし、氷のブロックを組み上げて作った建物が三棟もある。
さらに波避けのため、採掘現場をぐるりと囲むように氷のブロックが積み上げられているせいで、ちょっとした海上要塞のようにも見えた。
そしてその氷の島の中心を、巨大な螺旋階段が地中に降りていくような形で、鉱山が掘り進められていた。
選鉱などの作業もほぼここで行われ、今は住み込んでいる獣人たちもいるらしい。
こうしてみると、なんだかひどく近代的な採掘現場みたいだった。
『おや、ヨリノブ殿』
『これはこれは竜殺し殿ではないか』
『ヨリノブ殿、四匹目の竜はいつ倒しに⁉』
人間がいると目立つのか、たちまち獣人たちが集まってくる。
周囲が氷なので、いかつい獣人たちの吐く息と熱気で空気がけぶり、犬ぞりを引く犬の群れにたかられているような気になってくる。
戸惑いながら相手をしていたら、人垣の間から手を引かれた。
「お前ら、仕事に戻れ!」
クルルの声に、獣人たちは笑いながら作業に戻っていく。
「まったく、いまさらヨリノブのなにがそんなに珍しいんだ?」
そう言うクルルは、ずいぶん着込んだもこもこした格好だった。
全身毛皮の彼らと違い、クルルには耳と尻尾があるだけなので、氷の上では寒いのだろう。
元が華奢なので、着込んでいるとかえって体の小ささが強調されて、ゆるキャラみたいで可愛いかった。スキー場では五割増しで美人に見える法則だろう。
口に出すと噛みつかれそうなので、黙っておいたが。
「皆さんに親しくしてもらえてうれしいですよ」
「……」
クルルはこちらを見て、肩をすくめている。
「それで、なにしにきたんだ? こっちも鉱脈を広げる作業で忙しいんだがな」
ずいぶんそっけないが、機嫌が悪いわけではない、ということくらいは、耳と尻尾の動きからわかるようになっている。
「試験用のものを持ってきたんですよ」
工事現場に弁当を差し入れしにきたみたいに、手に提げた包みを見せる。
クルルは面倒くさそうに、顎をしゃくった。
「あっちで試そう」
ロランからの代表団によっててんてこまいの毎日だが、クルルはゲラリオと交代で、採掘現場維持と造成のため、氷魔法を撃ちにきていた。掘り進めていたらうっかり海に出てしまって水柱が上がる、なんてことがしょっちゅうらしいので、魔法使いが常駐する必要があるのだ。
クルルは慣れた様子で、氷上を歩いていく。
「仕事はまだ忙しいのか?」
ゲラリオもクルルも、数日ここに泊まり、交代して、というのを繰り返している。それにクルルが島に戻っている時も、それはそれであれこれとやることがある。イーリアの屋敷の料理担当ということで、養魚場の整備や、畑の拡張など、食べ物関連の仕事を受け持っているのだ。
それで最近は、なかなか顔を合わせられなかった。
「まだやることは山積みですけど、だいぶ落ち着いてきました。それで、ファルオーネさんたちに試験をせっつかれまして」
自分が手に提げているのは、新たな魔法陣候補。
巨大な魔法陣の起動をどうやって確かめているのか秘密なので、どうしても忙しいと後回しになってしまう。
いっそ彼らにも秘密を明かすべきか……と思うが、あまり秘密を知る人間の数が増えるのも怖い。
「イーリアさんも、クルルさんに会いたがっていましたよ」
クルルは澄まし顔だったが、鼻の穴がちょっと開いていた。
イーリアに頼られて嬉しいのだろう。
「自分も久しぶりに会えてうれしいです」
ずっと気を張り詰めていた反動か、そんな言葉がぽろっと出た。
そしてほどなく、自分の言ったことに気がついて、慌てて誤魔化そうとした時のこと。
クルルが体ごと隠れてしまいそうな、白い大きなため息をついた。
「え……っと?」
その様子に腰が引けていたら、足を蹴られた。
「いきなり驚かすな」
むくれた顔が少し赤かったのは、寒さのせいではあるまい。
「今日だってそうだ。来るならくると言え」
すいません……と首をすくめたのだが、そう言われると、獣人たちに取り囲まれている時にこちらの手を引いたクルルは、妙に息が切れていたようにも思えた。
もしかして、自分のことに気がついて、嬉しくて走ってきてくれたのだろうか。
「お前には、どうもそういうところがあるんだよな……」
クルルは牙を殊更見せつけるように、嫌そうな顔をしている。
「しかも妙に自然な感じなのが、ますます腹立たしい」
褒められているのかどうか微妙だが、クルルも怒っているわけではないらしい。
してやられて悔しい、みたいな感じだ。
それこそ漫画でありがちな、猫娘がおもちゃを見せられ、つい追いかけてしまうのを悔しがるような。
そんなことを思っていたら、無言のクルルから肩をぶつけられた。
「おわっ」
二度、三度とぶつけられる。足元は踏ん張りの利かない氷なので、よたよたしてしまう。
四度目には、クルルは意地悪そうに笑っていた。
そして五度目に、どうにか抱きとめた。
クルルの顔がこちらの胸に当たっている。
喉の奥でぐるぐる鳴らす、音みたいな振動みたいなものが、伝わってくる。
機嫌の良い、猫そのままだ。
「相変わらず薄い胸板だな」
「今の忙しさが終わったら、鍛え始めるつもりです」
やらない奴の典型的な言い訳だが、クルルはそれを知ってか知らずか、ひょいと体を離す。
「髭は生やさなくていいからな」
鍛えたら皆が健吾みたいになると言いたげに。
「善処します」
クルルはくすぐったそうに笑ってみせた。
それからファルオーネたちの提案した新規の魔法陣をすべて試し、やっぱりそれらは起動しないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます