第105話
「まず、魔石の買い取り金額を見直して欲しいわ」
喉元に刃物を突き付けられたように、フロストが顎を上げる。
「そ、れは……」
「別に無理に高値にするんじゃなくて、相場で買ってもらえたらいいってこと。聞いた話だけど、何割か安く買い取られてるんだって?」
魔石は戦略物資であり、帝国が税の代わりとして扱っている。
なので公的な価格はどこの土地もさほど変わらない。
よその土地を知るゲラリオは、明らかに値段が安いと言っていたし、まさにそのバックス商会の人間として魔石を買いつけにきていたコールも、実は二割から三割は安いのだと教えてくれた。
ただ、コールはそうと言わなかったが、多分これでもコールなりにあまり安くなりすぎないよう、調整していたのだろうと思う。
なにせジレーヌ領はロランに売るほかないのだし、領主様はお飾りの女の子だった。
バックス商会がその気になれば、タダ同然で買い叩くこともできたはず。
けれどそうしていなかったのだから。
「もちろん、過去にさかのぼって差額を寄こせ、とも言わないわ。あくまでもこれからの話だし、今までの責を問うものでもない」
買い叩いていたことを咎められ、拷問にでも処される、とフロストは思っていたのかもしれない。首の皮がつながったとばかりに、脂汗の浮いた喉を動かし、大きく息を吸っていた。
「……し、承知した」
フロストが受け入れると、隣の書記官が神の御託宣を記録するように、メモを取っていく。
「あとは、しばらくの間でいいんだけど、私たちが必要とする物資の、優先的な買いつけ権も欲しいの」
「か、買いつけ?」
「そう。なにかと物入りだからね。木材、石材、金属類みたいなものから、蝋燭や布地なんかの細かいもの、それに各種食料や、種籾とかもね。とにかく島の商会からの注文全部、もちろん、支払いは適正にするわよ」
敵陣に差し出された生贄、という感じだったフロストの顔が、徐々に交渉に臨む貴族の顔になってくる。
商人の家系として、損得を把握しやすい領域の話になったからだろう。
「それは……問題……ない。我が商会が……いや、私が責任をもって調達する」
最後には言葉もはっきりしてきたフロストに、イーリアは満足げにうなずく。
「それからもうひとつ。これはジレーヌ領の立場だと、頼むのがとても難しいことと聞いたのだけど」
「……む、ずかしいこと?」
ほっとしたところにそんなことを言われ、フロストの顔が再び強張っていく。
「ええ。だからこそ、今、あなたにお願いしたいのよ」
イーリアがテーブルに身を乗り出すようにして、内緒話のようなひそひそ声になる。
その様子を見て、やっぱりイーリアは役者だと思った。
フロストは敗将として、イーリアの要求すべてに応えねばならない立場だが、だからといって屈辱を味わわせても建設的ではない。
だから自分たちが本当に望んでいる難しい要求は、敗戦処理にかこつけて無理やり飲ませるのではなく、あくまで、イーリアからフロスト個人に対する依頼という形にしようと、自分は主張したのだ。
そうすれば、フロストは命令されて従う負け犬ではなく、頼まれたから応えるのだという、紳士としての立場を守ることができる。
彼の名誉を守れば、いつか味方になってくれることもあるだろう。
「私たちは、船が欲しいの」
「船?」
「ロランの造船所で、遠洋航海に耐えうる大型船舶と、高速船を建造して欲しいのよ」
フロストは目を見開いたし、書記官二人も息を飲む。
前の世界でも古い時代はそうだったが、ここでは基本的に軍船と商船の区別がない。
素早く海を渡れるかどうか、積載量が多いか少ないかの区別しかないため、一定以上の大きさの船舶をロランから調達するのは、政治的な面から難しいだろうとコールは言っていた。
なぜならそれは、海上交易でジレーヌが一定の自由を確保することになるだけでなく、戦にも簡単に転用できるものだから。
中でも帆に頼らず数多の櫂で漕ぎ進む高速船は、戦の際に相当な威力を発揮する。
だからこれは、平時ならばまず通らない要求だ。
フロストとしても、イーリアの真意をあれこれ想像してしまったのだろう。
今回の騒ぎはほぼ無罪放免にするにしても、ジレーヌ領としてはロランをいつでも攻め落とせるようにするつもりだとか、悪い想像がいくらでもできる。
ここでこの頼みにうんと答えることは、自身の首を括る縄を、売ることになりかねない。
しかもロランの造船所は官営とのことなので、大船舶建造には、ロランの市政参事会の説得が必要になる。
バックス商会の人間がイーリアにちょっかいを出したせいで、ロランの存続そのものが危ぶまれるような危機に陥った。そのうえ、ジレーヌから軍船としても使える強力な船を作る約束を結ばされてきたとしたら、バックス商会としての立場はどうか。
口を引き結び、フロストはイーリアの目を見つめ続けている。
その苦悶の表情の裏で、命とバックス商会の未来を賭けたものすごい計算が、必死でなされているはず。
対するイーリアは、さすがだった。
微笑んでみせたのだから。
「もちろん、建造代金は支払うわ」
いくらかはまけて欲しいけど、と悪戯っぽく付け加える。
フロストはもちろん、愛想笑いさえできていなかった。
けれどこのフロストも、地位ある立場につく高貴な身分。
次世代の統治者らしく、ここが正念場だと、腹をくくったようだった。
「承知、した。大型船舶建造は……都市の参事会にて承認が必要だ。が、必ず認めさせる」
危険な船をジレーヌに渡すことで、後々ロラン内部で吊るし上げられることよりも、今ここでイーリアに恩を売ったほうがいい。そういう計算だろう。
参事会にて承認が必要だが、なんて説明をしっかりつけ加えたのが、その証拠。
困難だけどあなたのために頑張りますよという、そういうアピールだ。
フロストは、ここでイーリアと手を組んでおけば、立場が悪くなっているロランの中で、遠からず挽回できるはずと、そろばんを弾いたわけだ。
「ちなみに、船っていくらくらいになるものなのかしら」
これはコールも知らなかった。
以前、船を所有している町の商会に聞いた時は、金貨十万枚単位という感じだった。
ただ、それは近海航海用のほどほどの大きさの船の話で、遠洋航海にも耐えうる大型の船や、商いよりも戦に用いられることの多い高速船になると、どのくらいなのかわからない。
「価格……については、積載量によるとしか言えないのだが……」
フロストも詳しくは把握していないようで、隣の書記官に目配せしている。
書記官の一人が、汗をぬぐってから口を開く。
「わ、我がロランの造船所最大の船でありますれば、兵を三百人は運搬可能です。費用の目安でございますが、おおよそ運搬可能な兵一人当たりにつきいくら、という計算が用いられます。これは兵を座らせ、必要な装備と飲み水とパンを積み込むときの目安でございます。実際に船を……例えば小麦で満たしますれば、兵の十倍は積み込めます。そして昨今の相場では、ざっと兵一人につき、帝国金貨で千五百枚前後かと」
度量衡がろくに整備されていないので、奇妙な単位が出てきた。
古の英国は積み込める酒樽の数で船の大きさを表していたそうだから、似たようなものといえばそうだが。
人間一人と装備、それに水と食べ物で、百キロくらいはいくだろう。
人間は横にして重ねるわけにもいかないから、小麦とかだともっと多く積み込める、ということのようだ。
書記官の言うように、兵一人あたり百キロの十倍。一トンまで積み込めるとすれば、三百人なら三百トン。
小麦の消費量が一日一人当たり五百グラムとしたら、一年で百八十キロ。一回の航海で二千人弱が一年間で食べる小麦を輸送できてしまう。
馬だと運べるのはせいぜい一頭当たり二百キロ。単純計算で千五百頭。これだけの隊列を組むなら馬の餌を運ぶ馬も用意しなければならず、確か一頭で運べるのはせいぜい十頭分の一日の餌の量だけ、みたいな話を聞いたことがある。いや、それはラクダだったか?
いずれにせよ、途方もない手間のかかるところを、船なら一隻で賄えてしまう。
大航海時代にはすでに胡椒がありふれた調味料になっていたというが、こうして計算してみるとその意味を実感できる。
多分、運びすぎて値崩れしていたのだ。
「櫂で漕ぎ進む高速船となりますと、もっと割高になります。兵一人当たり金貨三千枚前後が相場でございますが、その分、積載できる兵が減るものでありますから、船としての価格は同じ程度になるかと存じます」
「なら多めに見て、どちらも金貨五十万枚……ってところかしら」
イーリアは平静を装っているが、それは平静というより、現実感がないという感じだった。
普通の生活ではまず縁のない金額だし、物価の基準が前の世界と全然違うのであれだが、前の世界だと百億円とかその規模の話だ。スーパーヨットもこのくらいの値段だったから、多分、ぼったくりということもあるまい。
ただ商会の売り上げでいうと、丸ごと二年分。しかも今はあれこれ支出が大きくて赤字に近いので、魔石鉱山を抱えているとはいえ、これだけの支出はかなりの冒険となる。
とはいえこのジレーヌ領が独立を保って生き抜いていくには、大型船舶はぜひとも必要なものだし、この機会を逃せば、ロランから調達するのは難しくなるだろう。
喉元過ぎれば熱さ忘れるのは、人間の常なのだ。
ロランとしては、友好的な関係とは言い切れないジレーヌが武装して嬉しいことなどひとつもなく、この騒ぎが落ち着いてしまったら、なにかと理由をつけて建造を渋るのが目に見えている。
だから今、莫大な借金を覚悟してでも、金貨百万枚分の契約を結ぶべき。
自分がイーリアにうなずいてみせると、イーリアはゆっくりと息を吸った。
「じゃあ、船の件もお願い」
「承知した」
イーリアはふうと息を吐く。
これでやっぱり払えませんとなれば、イーリアの面目は丸つぶれだし、ロランとの融和的な和平の提案をした自分は、ゲラリオや健吾、それにクルルからも責められるだろう。
金貨百万枚を、ほぼ赤字の商会の金庫から、どうにか手当てする必要がある。
「こちらからの要求は以上となります。互いの領地の平和のため、我がイーリア・アララトムの名において、ロランの名誉ある振る舞いに期待します」
不良がたまに良いことをするといい人に見える理論。
それまでの砕けた口調とは違い、凛とした言葉遣いに戻ったイーリアに、書記官二人が背筋を伸ばして平伏する。
フロストも遅れて目礼し、ひとまず和平交渉の準備段階はひと段落したのだった。
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