第95話

 ロランに出かける前、ヨシュには人手を集めるための高札を出すように頼んでおいた。


 町の広場に立てたというその高札には、ピタゴラスの定理の証明と、一から一万までの整数をすべて足し合わせた数を求める問題を書いてもらった。


 ろくに学校教育が行き届かず、本を読むような人間は極稀というこの世界では、そのくらいの問題でも、聞きかじった知識で解くのはほぼ不可能だ。

 つまりゼロから解法にたどりつく必要がある。


 だからこの問題を解いてきた人は、日ごろからこの手の問題が好きな変わり者にして、才能豊かな者たちに違いない。

 そんな彼らなら、符号化の概念を理解し、自力で発展させ、自分たちの代わりに島の人たちに説明する先生役だってできるだろう。


 そして魔法陣の組み合わせから、なんらかの法則を見出してくれるかもしれない。


 腕木通信の件を任せるのは、彼らの才能を確かめるのに絶好の機会だ。


「アランです。煉瓦職人をしております」

「ダーバン・ファルオーネだ。高貴なる占星術師にして天文学者とは私のこと!」

『……ゼゼル。漁師……』

「ルアーノ。へっ、博打うちだよ」


 一番若いのは博打うちのルアーノで、二十歳くらい。最年長は白髪交じりの占星術師で、アランは自分と同い年くらいだろうか。

 ただ、漁師のゼゼルは年齢がよく変わらない。


 意外なことに、獣人だったから。


「ルアーノには注意しろ。凄腕のイカサマ師だって話だ」


 そう警告してきたのはマークスだ。あちこちの賭場であまりに勝ちすぎるせいで、流れ流れてジレーヌ領にたどり着いたらしい。雰囲気は、身ぎれいなゲラリオといった感じ。


 ただ、ルアーノよりあからさまに怪しいファルオーネも流れ者のようで、ゼゼルも移民らしいから、身元が確かな島生まれはアランだけ。


 帝国の西の端のどん詰まりにあるジレーヌ領は、流れ者の行きつく果てのひとつなのだ。


「よくきてくれました。早速ですが、皆さんに解いてもらいたい問題があります」


 しかし自分は、怪しげな彼らにそれ以上身分を尋ねるようなことはしなかった。準備しておいた紙をテーブルに広げると、集まった四人は、それぞれ面食らっていた。

 多分、あれこれ聞かれることを予想していたのだろう。


 素性を疑われたり、奇異の目で見られることに慣れているといった感じ。

 なにせ彼らは、目の前に紙を置かれた途端、そろって視線を奪われているような人たちなのだから。


「基本的な仕組みは、木の人形を考えてください。その人形を塔の上に建て、例えば両手を上げ下げするようなことで、伝言を伝えたいのです。敵が攻めてきたとか、その数とか、あるいは戦っている人たちの状況です。それらの情報を迅速に伝える際、最も効率の良い方法はどんなものになりますか? また、最も簡単な構造で表すには、この人形をどんな形にすればいいですか?」


 イーリアの屋敷に集うのは、彼ら四人のほか、自分とイーリア、それにゲラリオだ。


 健吾は、ドドルやバランたちと一緒に、この腕木通信の腕を乗せる塔を建造するため、島中を駆け回っている。クルルも建築資材搬入のために悪路を切り開く必要があって、魔石を握りしめて健吾たちとともに島の奥に向かっていた。


 イーリアがここにいるのは雇い主として。それからゲラリオは、彼らの人間性を見るため。

 魔法陣の解析を任せるとなると、才能だけでなく、秘密を守って信頼できる人物でないとならない。


 そしてしばらく無言が続く中。


 最初に口を開いたのは、博打うちのルアーノだ。


「事前に伝えたいことを決めておけば、片手で足りるだろ」


 右手の形を、慣れたようにあれこれ変える。符牒は博打におけるイカサマの定番といえる。


「戦ではなにが起こるかわかりません。予想外のことが起こっても、ある程度柔軟に内容を伝えられるようにしたいんです」

「……」


 片眉を上げるルアーノの横で、顎に手を当て、紙を見ていた占星術師のファルオーネが言った。


「占い用の札で、似たようなことを考えたことがある。特定の単語を示す札の組み合わせで、どれだけ手早く、そして自由に文章を作れるか……途中で考えるのをやめてしまったのだが」

「そんなの、札の枚数を増やせば表現できる文章は簡単に増えるだろ」


 ルアーノの指摘に、ファルオーネは肩をすくめる。


「だが、そうしていくと、やがて無限の札が必要になる。無限とは言わずとも、札の種類が多くなると、文を作るための欲しい札を見つけ出すのも大変な手間になるのだよ。そうなると結局、一文字ずつ書かれた札を選ぶほうが、手間としては楽になる。しかしこれでは、そもそもの目的である、素早く文章を作るという目的から逸れてしまう。だからこの両極端の間のどこかに、最適な方法があるはずなのだが……ああ、それで貴殿は、もっとも単純な構造と言ったのだな?」


 ファルオーネの目が、こちらを見据える。


「はい。情報伝達は素早いほうがいいですし、同時に拡張性も欲しいです。それから部品の故障もあるでしょうから、構成部品は可能な限り少ないほうがいいのです」


 ジレーヌは島であり、木材も限られている。

 現実的な制約からそう言ったのだが、ファルオーネは突然破顔すると、両手を高く掲げていた。


「おお! 貴殿は帝国学術院の馬鹿貴族どもとは違うようだ! そうなのだ、真の研究はペンのみにあらず! 現実に使えない理論になんの意味があろうか! しかし連中は常に応用をおろそかにする。現実的な利用法など、下賤だとばかりにな!」


 ファルオーネの興奮にはルアーノと共にたじろいでしまうが、この様子だと装置設計なども任せられそうだ。


 そんな自分たちの横で、ひとりの世界に没頭してなにか手を動かしている者がいた。


 煉瓦職人のアランだ。


「煉瓦の数は、そんなにいらない気がしますけれど」

「煉瓦とな?」


 ファルオーネの問いに、アランははっと我に返っていた。


「あ、す、すみません……。いつも煉瓦を並べて考えているので……」


 アランは顔を赤くして頭を掻き、背中を丸めてしまう。

 その様子に、ゲームの話で早口になり、相手から曖昧に笑われた中学生時代のことを思い出した。


 それにいかつい職人の世界では、アランみたいなタイプは浮くと思われた。

 日ごろからこの手の言動をからかわれているのかもしれない。


「アランさん。自分も含め、ここには妙な人しかいません。存分に思いついたことを教えてください」


 自分は島ではちょっと有名な鉱山帰り。

 奥に控えているのは獣人の血を引く女領主だし、広間の隅で様子を眺めているのは、博打うちより得体のしれない冒険者のゲラリオだ。


 もちろん、他の三人も普通かと言えば、ちょっと違う。


 ならばどんな奇矯な発言をしたって、ここでは許される。


「……そ、それでしたら。あの、れ、煉瓦で考えてみたのですが、任意の文章を表現するのに、文字と同じ数だけ煉瓦を用意する必要はないと思います」

「……なに?」


 怪訝そうに聞き返すファルオーネに対し、ひどく自信なさげなアランは慌てて見えない煉瓦を手元で動かして、なにかを確認する。

 それから、卑屈そうに背中を丸めているのに、妙にはっきりと言った。


「やっぱりできます。たとえばですけど。こんなふうに」


 見えない煉瓦をアランが動かすのだが、あまりにこなれた手つきのせいで、本当にそこに煉瓦があるように見えてくる。


「こんなふうに、煉瓦ひとつを縦にして一文字、横にして別の一文字を表すなら、煉瓦ひとつで二文字表せます」


 自分は思わず声を上げそうになる。


「ふむ。しかし……煉瓦職人アランよ、それでは二文字しか表せまい。結局十五個の煉瓦が必要になる。三十個よりは減ったが……」

「ん?」


 ファルオーネの言葉にルアーノが眉を上げて、アランが口をすぼめる。


「それにしたって、どうやって個々の煉瓦を区別する? 色わけでは色が足りんだろう。模様を描くか……いや、どれもやぼったいな」


 ファルオーネの言葉に、アランがひどく悲しそうな顔をしていた。

 ただ、それは己の考えが否定されたことを嘆くものではない。

 そうではなく、ひどくもどかしそうなものだった。


 頭の中の考えを、うまく形にする言葉を持っていないような、そんな顔だ。

 そしてそれは、事態を見守る自分も似たようなもの。


 彼らは答えのかなり近くまできているのだから。

 いっそ、最後の一押しをしてしまうか?


 そう思ったのだが、ここにいるのは自力でピタゴラスの定理を証明できるような者たちだった。


 彼らは、やはり自力でその一歩を踏み越えた。


「違う。違うだろ。煉瓦を加えて並べたら、それが新しい煉瓦になるってことか?」


 ルアーノの言葉に、アランがぱっと顔を輝かせる。


「なに? それはどういう……ああ、そういうことか!」


 エウレカ! と叫びださんばかりに諸手を上げたファルオーネに、アランが勢い込んで言う。


「そ、そうです。煉瓦をふたつ並べれば、ふたつの煉瓦の縦と横の組み合わせで、四種類表現できるのです。みっつ並べてあれば、八種類の組み合わせ方があるんです」

「煉瓦を五つ並べれば三十二種類か! なんと、たった五つの煉瓦で文字がすべて表現できるではないか! 私以外にも聡明な者がいるものだな!」


 傲慢なのか謙虚なのかよくわからないファルオーネだが、そんなファルオーネに賞賛されて背中を叩かれているアランは、ひどく照れくさそうだった。


「となると、動かす木の部品は五つになるか? 余裕を持たせて六つ……木の人形みたいなものを考えてるなら、左右対称のほうがよさそうだしな。こんな感じか?」


 ルアーノは両腕を広げ、ヤジロベーみたいに両腕を上げさげしながら、そこに手首の動きと、指の動きをつけくわえている。


「いや、それは愚策だろう」

「ああ?」

「敵が攻めてきている大慌ての中だ。その人形はひっきりなしに踊ることになる。正確に読み取るのは困難だろう。しかも、こんなかっくんかっくん動かすとなると、関節部分の構造も不安だ」


 ファルオーネもルアーノと同じような手の動きをさせて、大人二人が妙な格好で対峙している。


「じゃあどうするってんだよ」

「私が考えるにだな――」


 親子ほど年の離れたルアーノとファルオーネがやり合う中、アランはやっぱり手を空中で動かしていた。煉瓦による符合化で文章を送るには、どんな風に煉瓦を組み合わせればいいかを考えているのだろう。


 自分はそんな彼らの様子に大いに勇気づけられていたのだが、ふと、服の裾を引っ張られた。


 振り返ると、困惑気味のイーリアだ。


「ね、ねえ、このままだと喧嘩になるんじゃないかしら。止めなくていいの?」


 ちょうどアランがなにか思いついたらしく、ルアーノたちに提案して、即座になにか突っ込みを受けている。けれどアランはもう顔を赤くせず、それに対してなにか別案を述べていた。


 実に議論が盛り上がっているようで、自分としてはなによりなことだと思う。


 ただ、イーリアの言いたいことにようやく思い当たる。

 魔石工房の時もそうだったが、ここは身分の序列がはっきりした世界。


 博打うちと占星術師と煉瓦職人が議論し合う様子、いや、そもそも誰かの考えにあんなに正面から反論するというのは、異様なのかもしれない。


「賭けてもいいですけど、みんなすごく楽しんでるはずです」

「……ええ?」


 イーリアは犬の耳をぺたんとさせ、やりあう三人を眺めていた。


 むしろ自分が心配しているのは、三人の輪に入らないゼゼルという獣人の漁師のほうだった。


 高札の問題を解いてきたのだから、彼にも才能があるはずだ。

 なのに会話に加わらないのは、獣人だからではないか。


 ジレーヌ領の人口は限られ、使える才能は全部使わないとならない。

 難問を前にして、ますますヒートアップしている三人に向け、手を叩いた。


「明日の昼に、いったん考えをまとめてもらっていいですか。それとゼゼルさん」


 自分が名を呼ぶと、虎のようなゼゼルは、まず耳をこちらに向け、遅れて視線を向けてきた。


「お三方の考えの検算と、報告のためのまとめは、ゼゼルさんにお任せしても?」


 それに驚いたのは当のゼゼルだ。

 口をパクパクさせてから、アランがさっき見せた時よりも背中を丸めていた。


「文字、読み書きできますよね?」


 高札の問題を解いたのだからそこは保証されている。

 ゼゼルは三人とこちらを見比べ、どこか申し訳なさそうにうなずく。


『だが……ワレは……』

「これは領主命令です。よろしくお願いします」

「えっ」


 当のイーリアが驚いていたが、無視した。

 それから盛り上がっていた三人に視線を向ける。


「皆さん、異論がありますか?」


 ファルオーネをはじめ、三人はそれぞれ肩をすくめている。

 なんとなく予想できていたが、彼らは問題を解く以外のことにあまり興味がない。

 例えば、どっちが年上だとか、細かい身分の違いだとか、人間だとか獣人だとか。


 なにせ、彼らは報酬の話だとか、そういうことを一切口にせず、この盛り上がりようなのだ。


『……わかった』


 ゼゼルが受け入れるのに合わせ、ゲラリオがもたれかかっていた壁から背を離し、奥の部屋に行くのが見えた。

 自分はゲラリオを目で追って、最後にイーリアを振り向く。


「大丈夫ですよ」


 見た目はふわふわしていていかにも楽天家に見えるのだが、クルルよりよほど疑り深いイーリアは、眉間にしわを寄せてこちらを見ていたのだった。

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