第93話

「島での防衛戦……戦いは基本的に、魔法の打ち合いになるのか?」

「作戦立案は、またゲラリオさんたちにお願いすることになりそうだけど、まあ、それが順当かなと思う。大砲とかってここにはないよね?」

「火薬はなあ、あるにはあるんだが、この世界だと着火剤の用途ばっかりだな。戦なら魔法が圧倒的だから、火器は発展しなかったんだろう」


 火薬も大砲も日本語だったので、イーリアとクルルの二人はやや冷ややかな顔をしている。


「また二人の内緒話?」

「まあな。俺たちの世界の魔法の話だよ。こっちじゃ今のところ使えないみたいだが」


 悪びれもしない健吾に、イーリアは肩をすくめていた。


「島民たちの白兵戦も、ちょっとなあ……」

「ドドルさんたちは徹底抗戦するかも」


 流れ者の多い獣人たちだから、ロランにおける獣人の扱いのひどさは知っているはず。


「敵に魔法使いがいるなら、悲惨な結末しか想像できない。絶対にそれは避けないとな」


 全員がその様子を想像し、急に冷たい沈黙が降りる。


 勝たなければならない。それも圧倒的に。

 二度とこっちにちょっかいをかけてこないよう、完勝しなければならない。


 全員が無言のうちに、そう思ったはずだ。


「まずは島周辺の監視が必要か。前にバックス商会の船がきた時、ゲラリオのおっさんにも指摘されたもんな」


 どこから上陸されるかわからない。


「そうだけど、全体を見渡すには案外広いのよね、ここ」


 ジレーヌ領の島は、多分山手線一周ではおさまらない。

 島のおおよそ中央部にある大きな魔石鉱山からは、山裾に貧相な森と草原が広がっているのが見えたし、町と鉱山の往復はまあまあ時間がかかる。


「町周辺はともかく、鉱山の南や西側があれだなあ。特に西側って、誰も住んでないよな?」

「えっと、多分……?」


 自信なさげなイーリアの返事を、クルルが補足する。


「住んでませんよ。波も風も強いですから開拓もされてませんし、漁師たちの避難場所がちょっとあるくらいです」


 ぱっと答えるクルルにイーリアはやや驚いていたが、クルルはその様子を見て肩をすくめていた。


「覚えてないんですか? まだこの島にきたばかりの頃、二人で島を逃げ出そうということになって、森を突っ切って行ったじゃないですか」

「ん……ん~……?」


 イーリアが、半笑いになっていた。


 彼女たちは小さい頃にたった二人、見も知らぬこの土地に流されてきたという。

 ノドンみたいな連中が好き勝手に支配するここで、イーリアとクルルの二人は、それこそワニやオオトカゲのいる檻の中に放り込まれた、子犬と子猫状態だったそうだ。


 その地獄から抜け出そうと、幼いクルルがイーリアの手を引いて、暗い森の中を進む様子をつい想像してしまう。


 そしてたどり着いた島の西側に広がるのは、荒涼とした無慈悲な海。

 その時の二人の気持ちを思うと、自分でさえ苦しくなる。


「怖い夢を見たんだと思ってたけど、あれって本当のことだったのね」

「そうですよ。あの頃のイーリア様は、泣いてばかりでしたからね。可愛かったですけど」


 むくれたイーリアは耳を斜めにして、クルルの腰を叩いていた。


「ただ、あの海を見て、ここで生きていくしかないんだって覚悟は決まりましたよ」


 クルルは笑いながら言っているが、膝をつかずに立ち続けるには、どれだけの覚悟が必要だったのだろうか。


「じゃあ、どうするのがいいんだ? 大周りに外洋から船団を送り込まれたら、簡単に上陸されかねないよな」


 魔法使いは四人。

 東西南北に一人ずつ置く、というのは正しいようで、戦術的に正しいとも思えない。


 そこに、イーリアの器に飲み物を注いでいたクルルが言った。


「ドドルたちをあちこちに置けばいいだろ。あいつらは私たちより断然目がいいし、夜目も効く」

「それで走って伝えるってこと?」


 イーリアは飲み物をすすりながら、天井を見上げながらその場を想像しているようだ。


「間に合うかしら。それなら鉱山の上で監視して、狼煙を焚くとか? あ~でも、雨が降ったり、夜だったりしたら無理か」

「あと、狼煙だと細かい情報が伝えられないんだよな」


 人員が限られ、伝達手段もない。


 この島は断崖絶壁で囲まれているわけではないし、町自体も市壁で囲まれているわけではないから、どこかに引きこもるというのも難しい。できるとすれば鉱山だが、魔法で坑道を崩されて、生き埋めにされるのがオチだろう。


 だから敵の上陸を許した時点で、ほぼ負けが決まる。


 となると、島に近づいてきたら直ちに魔法で迎撃できるようにしなければならないが、そのためには、連絡手段がネックとなる。


 スマホはないし、獣人たちに鳥の形態をとる者はいないから、走る以上に素早い移動手段もない。文明的には、狼煙というイーリアの出した案がせいぜいだ。


 それにこの島では、使える資材や技術も限られている。


「旗振り信号は?」


 健吾が言った。


「敵がきたら赤とか。あ、夜間だと色がわからんか……雨が降ってたらなおのこときついしな」


 そこで自分はふと、こちらの様子を怪訝そうに見ている二人の女の子に気がついた。

 正確には、二人の頭の上にある、可愛い獣の耳だ。


「な、なんだ?」


 こちらの視線に気がついたクルルが、イーリアを守るように体を引いている。

 彼女たちの頭の上では、三角の耳が感情豊かに動いている。


 二人合わせて、四つの耳が立ったり伏せたり。

 デジタルなら四ビット。16通りの信号を表現できる。


 それから、健吾の言った旗振り信号。


 自分は、前の世界の逸話をようやく思い出す。


「ナポレオン」

「んあ?」

「そうだ、ナポレオンだ。電信が発明される前に、リレー形式で通信網を築いたんだよ」


 中世と近代の狭間で大軍を動かしたナポレオン。

 技術的には時代のあだ花みたいなもので忘れられがちだが、力業ですごいものを築いた話を本で読んだことがある。


「腕木通信っていうのがあったんだけど」

「ウデキツウシン」


 今度は健吾も聞き返し、クルルとイーリアと顔を見合わせている。


「旗振り信号だと単純すぎるけど、塔の上に人形の腕みたいなものを作れば、関節を増やすことで情報量を増やせる。腕を大きく作ることで、遠くからも見えるようになるから、リレーをする際に距離を稼げるようになるでしょ」

「ははあん? となると、ここの文字は三十種類くらいだから……五ビット。耳が五つでいけるか?」


 自分がなにを見て話を思いついたか、健吾は気が付いたらしい。わざとらしくクルルたちの耳を見ながらそう言った。


 すると話が全くわからない獣耳の持ち主たちは、警戒するように耳を伏せていた。


「ただ……それって、なにかこう、建築物みたいなものが必要だよな。俺も頼信も工学系じゃないから、ちょっと不安だよな」

「うん?」

「たとえば、その腕を動かす関節部分とかを、なめらかに動かす機構ってどうすればいいんだ? ここの木工職人たちでいけるかな」

「あ、そっか……そういう問題があったね……」


 健吾は法学部卒だというし、自分も工学部ではないから、物理的ななにかを作った経験がない。頭にあるのは、せいぜいゲームシナリオのために読み漁った本の聞きかじりの知識だけ。

 理論を現実に落とし込める人が必要だ。


 それと、もうひとつ。


「あと、これを大々的にやろうと思ったら、この手の話を理解できる人がもう少し欲しい、かな……」


 その台詞は、クルルとイーリアを見やってのもの。


 この二人の少女は、前の世界の基準でいってもかなり賢いと思うのだが、まったく話についてこれていなかった。多分、二進数の考え方なんて聞いたこともないだろうし、そこに文字を当てはめて通信する符合化の概念など、なおのこと珍奇な概念のはず。


 自分たちが現代知識でなにかシステムを提案しても、使う側の人たちが理解してくれていなかったら意味がないし、トラブルが起きた時に現場で対応ができなくなる。なぜ魔法使いたちが、魔石加工職人と同じくらい、魔法陣に詳しいかを考えればいい。


 しかも今回のことは通信網を築くものだから、少なくない人員が必要になる。

 その大勢の人員に対し、自分たちだけで理論を説明して回るというのは、できないわけではないにしてもかなりつらい。


 戦を目前にしてやらなければならないことが山積みなところに、先生までするのは無理だ。


 それに腕木を使って伝言を符合化するにしても、文字か、あるいは単語との対応表を制作しなければならないし、それにも手間がかかる。

 この手の理論を理解できて、人に教えられる能力を持った人を早急に用意しないと、絵に描いた餅になりかねない。


 しかし識字率が低く、掛け算も怪しい人が普通のこの世界。


 符号化の概念をすぐに理解できる人など、それこそ鉱山でよみがえった転生者くらいだろうか……と思っていたら、健吾が言った。


「あ、そうだ。ちょうどいいのがいるよ」


 一瞬、鉱山でまた誰かが蘇ったのかと思った。


「というか、頼信たちがロランに行く前に、高札を出してただろ?」


 健吾がそう言ったところで、ドドルとゲラリオたちがのそっと顔を見せたのだった。

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