第89話

 魔法使いは特権階級。


 けれどすべての魔法使いがそうなれるわけではない。

 それは魔法使いの腕はもとより、特権階級に相応しいエリート意識を持てるかどうかという意味らしい。


 魔法を使えない下民など、人のために奉仕する獣人と紙一重。

 税が重いと訴える民衆に向かい、躊躇いなく魔法を撃てるようでないと務まらないと、ゲラリオは言っていた。


 まさにそんな酷薄そうな魔法使いが、階段上からこちらを見下ろしていた。


「汚らわしい」


 魔法使いがそう呟いた瞬間、両腕を組んだ姿勢のまま、炎魔法が放たれる。


 階段下で魔法使いを睨み上げていたクルルに炎が襲い掛かるが、なにか障壁に囲まれているかのように炎が逸れていく。

 風魔法で身を守っているらしいが、クルルの手の中の魔石が猛烈な勢いで灰に変わり、新米魔法使いは驚いて後ろに飛びのいていた。


「ほう?」


 やや感心したように目を開く敵を睨んだまま、クルルは新しい魔石を取り出して前方に掲げた。

 水が出ているホースの先端をつまんだかのように、圧縮された空気の柱が肉眼でも見えた。


「くだらない」


 魔法使いがそう言って左手を掲げると、たちまち風の柱が消え去ってしまう。そのすきにクルルが追撃で放った爆炎もまた、それこそ魔法のようにかき消えた。

 クルルが怯み、魔法使いが冷たく見下ろす。


 そこに風船の破裂するような音。


 フラッシュを炊かれたかのような閃光と暗転から、雷魔法を誰かが放ったのだとようやくわかる。

 尻尾を逆立て驚きに固まっているクルルに、左手を掲げていたコールが言った。


「猫娘、あれは消滅魔法だ」


 コールの言葉にクルルが振り向くのも待たず、コールはさらに雷撃を放つ。

 激しい閃光の直後、クルルの目の前の階段全体から、かすかに煙が立ち上る。


 コールの左手に握られた四級魔石も濃い紫色の煙となって消え、すぐにその手がこちらの肩に下がる弾帯に伸び、新しい魔石を掴んで間を開けず魔法を放つ。


 自分はすぐに理解する。

 バトル系のアニメにありがちなやつだ。


「クルルさん、魔法を打ち続けて!」


 クルルは戸惑いがちながら、考えるより先に手が動いていた。

 クルルの手元から、階段を埋め尽くす爆炎があがる。


 手すりなどの木製部分がたちまち炭化し、消し炭になり、灰になって散っていく。


 けれど爆炎の奔流が抜け終わると、そこには服の裾すら焦げていない魔法使いがいた。

 代わりに掲げた左手の中の魔石が、濃い煙になって消える。


「獣風情が!」


 魔法使いの左手が、ふくらんだ服の袖の中に消える。


 直後、コールの手から再度雷撃が襲い掛かるが、魔法使いが左手を袖から出すのが早かった。

 テスラコイルの実験のように、細かい稲妻が魔法使いの周囲に走り、散っていく。


 ようやく理解できたが、彼が手にしているのは、魔法をキャンセルする魔石なのだろう。

 けれどもちろん万能ではなく、魔石からは濃い煙が上がり、その右手がすでに服の袖の中の魔石を探している。

 防御できる魔法量には限りがあるようだし、リロードの必要もある。


 つまり、隙がある。


 そしてなによりも。


「撃ち続けろ! 魔石は無限じゃない!」


 そう。


 この世界の魔法は魔石という物理実体に支配されるから、戦い方がかなり制約される。

 クルルが猫のように俊敏に階段を駆け上るのを、自分たちも追いかけていく。


 と、クルルが階段の途中で突然しゃがんだ直後、圧縮された空気が頭上を通過していた。


 体重が軽いせいで余波にあおられ、危うくひっくり返りそうだったところに、自分が追い付いてクルルの背中を支えた。

 敵は服の袖の下で消滅魔法の魔石を準備しているかと思えば、風魔法だったようだ。


 手練れの魔法使い相手だと、相手がなんの魔法を出すかの読みあいもしないとならないようだ。


「大丈夫ですか?」

「あ、ああ」


 相手が防戦一方だと思い込んでいたクルルは、ちょっと呆然としていた。

 クルルが体制を整えるのを待って、かすかに顔を出して廊下の先を見ると、魔法使いの後ろ姿が見えた。


「守りに入られたか……」


 同じように様子を見ていたコールが忌々しげに言って、自分からも尋ねる。


「魔法はまっすぐにしか飛ばない感じですか?」


 飛ばして、途中で曲げられれば、物陰に潜んでいる敵も倒せる。


「基本的にはな。だからこうなると厄介だ。ここから先は、塔につながる空中廊下だ。元々貴族の幽閉用だから、こういう戦いを想定して、守る側が身を隠す場所がいくつかある」


 コールは言いながら、階段から少しだけ右手を出し、爆炎を放って牽制する。

 戦争ものの映画なら手榴弾なんかで活路を開くのだが、魔石は手から離すと動かなくなる。


「ありったけの魔法で吹き飛ばすか?」


 そう言うクルルは、こちらの肩にかかっている弾帯から魔石をどんどん外し、どんな魔法があるのか調べている。


「少しは考えろ。空中廊下が崩れれば、捕らわれの貴族を迎えに行く道も閉ざされる」

「……」


 コールの物言いに、クルルは不服気に口を引き結んでいる。


「なるほど。その間に階下から応援の魔法使いがきて、挟み撃ちですか」


 クルルが驚いていたのは、その可能性を忘れていたからだろう。

 敵は目の前の魔法使いだけではなく、間違いなくこの騒ぎを聞きつけてこちらに向かっている、街の防衛側の魔法使いも含まれる。


 だから敵の魔法使いは、コールとクルルの二人がかりとわかった時点で、さっさと引いたのだ。


「それに、船にも乗り遅れるかも」


 百日紅の館の主人が信用できるとしても、危険を冒してまで自分たちを待つ理由はない。

 あの悪いサンタクロースたちが山ほどのプレゼントを略奪する時間は限られている。

 彼らもまた、防衛側の魔法使いがくれば計画は水泡に帰してしまう。


 時間は敵に味方している。


 ゲラリオを呼ぶべきか?

 けれどそうなると、退路を確保する人がいなくなる。


 いや、イーリアを確保するのが最優先か? 彼女の身柄さえ確保できれば、たとえ敵に囲まれ孤立してもまだ戦いようがあるだろうか?

 あらゆる選択肢を全力で検討していると、クルルがこちらの腕を掴んでくる。


 いつも手厳しいクルルが、下唇を噛んで頼ってくる。

 ノドンを倒した時のように、竜を倒した時のように、なにかないのかと問いかけてくる。


 そこに、コールが言った。


「時間がない。僕が盾になる」


 クルルが選り分けていた魔石の中から、見慣れない魔法陣のものを手に取った。


「お前、僕を担いで走れ。猫娘は僕の後ろからきて、僕が奴を追い詰めたところを仕留めろ」


 コールが手に取ったのは、向こうの魔法使いが使っていたのと同じ、魔法を消す魔法だ。


 ただ、大きさからして四級くらいだろうか。

 どのくらいの時間耐えられるのかわからない。


「消せる魔法の量は、魔石の大きさに関係するんだろ? これで消しきれるのか?」


 クルルの当然の質問。

 もしも途中で魔法消滅の効果が消えたら、自分たちは逃げ場のない長い廊下でボーリングのピン状態になる。


「こいつの足の速さと、向こうの魔石の在庫による」


 州都ロランはぽっと出の町ではなく、いかにも歴史ある都市だった。

 この宮殿も、長い戦の歴史の中で培われてきた知恵が詰め込まれているはずだ。

 守る側は、襲撃についてひととおりの対策をしているはずで、防衛用の魔石が備蓄されていないと考えるのは、都合の良い仮定になる。


 むしろ防衛側の魔法使いが一人だったことを幸運と思うべきだろう。


「ならば、このまま魔法を打ちあうか?」


 時間は防衛側に味方している。

 自分たちは、こうしている間にも選択の幅が狭まっていく。


 コールの案はいちかばちかだが、成功する可能性は確かにある。

 問題は、自分がバランや健吾のように筋骨隆々ではなく、クルルからなにかとよわっちいと言われる体力しかないことだ。


 コールもしこたま殴られた後で、自力で長い廊下を素早く走るのは無理だろう。

 つまり自分がもしも途中でコールを落としでもすれば、そこですべてが終わる。長い一本道の廊下に攻め込むのは難しいし、途中での撤退はさらに厳しいものとなる。


 長い空中廊下を、人を担いだまま走り切れるだろうか。

 考えるだに、貴族を幽閉するのが地下の牢屋ではなく、空中廊下だけでつながる細い塔の上というのがいやらしかった。


 力任せに攻め込めば唯一の通路が崩れるし、そうなると塔が崩れるかもしれない危険を冒してでも、どこかに穴を開けるしかない。


 迷っている暇はない。

 決断が遅れれば遅れるだけ、あらゆる選択肢の成功確率が下がっていく。


 その時だった。


「私が盾になって魔法を消す」


 そう言ったクルルに、即座にコールが言う。


「お前が? あとどれだけ魔法を撃てる?」


 クルルは息を飲むだけで、答えない。


「出力を安定させられるか? 相手は緩急つけてくるぞ。細切れにきついのを出されて、最初の一回を守ったところで手元の魔石を全部煙にしない自信があるか?」


 魔法使いの能力は、魔石を魔法に変えるその点火の能力みたいなもの、ということだった。

 巨大な魔石ならば、大容量に飽かせてパワープレイができるのだろうが、容量が限られている時には節約が求められる。


 クルルはゲラリオから魔法を習い始めて、まださほど経っていない。コールはクルルの戦い方を見て、粗削りさに気がついたのだろう。


「僕ならできる」


 コールのその自信は、ノドンとの取引などで見せた傲慢さではない。


 助けたい誰かのために見せる、勇気だ。


「消滅魔法の石はこれだけなのか?」


 クルルが苛立ったように言う。


「そもそもこの魔石は危険なんだ。魔石を選んでる暇がないような混戦の最中、敵がこちらめがけて剣を振りかぶったその瞬間、たまたまこれを引いたらどうなると思う?」


 魔法使いたちにはそれぞれセオリーがあるのだ。長い経験から、決まった対応ができあがってくる。

 そしてそれが裏目に出ることもまた、あるわけだ。


「僕なら四級魔石を三枚分くらいは止められる。あの魔法使いも、経費削減でそんなに攻撃用魔石を持っていないはずだ」


 極限魔法バトルの最中に聞く、経費削減の単語。

 確かに戦争中でもないのに、厳重な警備を敷くのは無意味だろう。魔石は高価なのだから。

 なんとも現実的だが、その瞬間だった。


 自分たちは、高価な魔石を無価値にする秘密を知っているではないかと。


「クルルさん」

「ん、え?」


 その華奢な両肩を掴んで引き寄せる。

 そして目を見開いて顔を赤くするクルルの、その控えめな胸元に手を伸ばした。

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