第88話

 コールが顔にぐるぐる包帯を巻いていたのは、顔を隠すのではなく、それくらい腫れ上がっているからだろう。

 さしものクルルも、そんなコールの様子を見たら、イーリアの件で一言文句を言ってやろうという気もなくなったらしい。


「おあつらえ向きに、カリーニを含めた都市の独立派が、領主イーリアの処遇を巡って協議しているとのことだ」


 竜退治の時にゲラリオが使っていた弾帯みたいな革帯に、コールは山盛り魔石を詰め込んでいる。ゲラリオも遠慮なくコールの荷馬車から魔石を見繕い、魔神だって倒せるなこれは、とか呟いて楽しそうだった。


「全員殺してしまったって誰も困らない。誰かがすぐに後釜に座るだけだ」


 絶対そんなことはなかろうし、コールは殴られまくった後に熱が出ているせいで、だいぶ判断が極端になっている。


 バックス商会やロランとの講和のことを考えると、なるべく人殺しはしないほうがいい。


 ただ、ゲラリオは特に否定しない代わりに、ちょっとだけ冷静だった。

 視線の先にそびえたつ属州ロランの市政参事会庁舎を見やり、こう言ったのだ。


「こんだけ立派な石造りだと、へたに壁をぶち抜くと全部崩れる恐れがある」


 コールはゲラリオを見て、渋々うなずく。


「ならば氷漬けにしよう」


 敵を生かすつもりは、いずれにせよないらしい。

 ゲラリオはこちらを見て、ちょっと苦笑してから言った。


「イーリアちゃんに良い所見せるんだろ? 兄ちゃんは、クルルちゃんと一緒に塔の上に向かえ。ヨリノブ」

「え? はい」

「兄ちゃんに肩を貸してやりな。あと、魔石も重いだろうからお前が持ってやれ」


 暴発しそうなコールから、武器を取り上げる口実だ。


「僕なら平気――」

「男一世一代の見せ場だぜ。息も絶え絶えで姫の前に立つのか? かっこよく現れないでどうすんだ」


 ゲラリオの言葉に、コールはしばしうなり、うなずく。


 この一見粗野で下品な冒険者は、きっと戦場でも、功を焦ったりする若手をこんなふうに上手に諭してきたのだろう。

 そんなゲラリオが、視線をクルルに向ける。


「クルルも感動のあまり、いつまでもぎゅっぎゅしてんなよ。イーリアちゃん見つけたらすぐ連れてこい」


 明らかに、さっきの娼館での自分とのことをからかっている。

 クルルは耳と唇を尖らせ、そっぽを向いていた。


「後詰めは俺に任せな。昔鉱山で、千匹くらいのゴブリンの群れがあふれ出るところで戦ったことがある。誰一人通しやしねえ」


 大量の害虫が出てくるところでも想像したのか、クルルが尻尾の毛を逆立てていた。


「まあ、真の後詰めという意味では、あっちのほうが期待できるだろうが」


 ゲラリオが軽く顎をしゃくると、怪しげな荷馬車が二台ほど、路地から現れた。

 中には百日紅の館の手下たちが潜んでいるのだろう。


 火事場泥棒に一番乗り。


 市政参事会の宮殿内の兵たちは、誰に対応すればいいのか混乱するはずだから、良い目くらましになる。


「いよおし、始めようか」


 ゲラリオは両手に、二丁ガンマンよろしく、それぞれに魔石を握っていた。

 けれど真っ先に駆けだしたのはクルルであり、市政参事会の宮殿裏手の入り口前に立つと、叫んだ。


「イーリア様、今助けに参ります!」


 直後、昼夜が暗転した。


 鋼鉄製の巨大な扉が飴細工のようにひしゃげ、折れ曲がり、轟音を立てて吹き飛んだ。

 ゲラリオが苦い顔をしているので、クルルの頭に血が上っているのを察したのだろう。

 こちらの背中をばんと叩いてから、走っていく。


 自分もコールに肩を貸して宮殿の中に入ると、コールの従えていた獣人がすでに暴れていて、あちこちの部屋から慌てて出てきた兵たちを片っ端から殴りつけていた。

 赤熱して煙を上げている門を振り返れば、肩に麻袋を担いだ覆面姿の男たちが、悪いサンタクロースみたいになだれ込んでいる。


 前方で再び轟音が起き、建物がびりびりと揺れた。


「行きましょう」


 コールと共に、クルルたちの後を追った。


「イーリア様!」


 クルルのその声は、今や砲撃の合図みたいなもの。

 腹にくる重量級の響きを四度数えたところで、三階の廊下に陣取るゲラリオを見つけた。


 ぎょっとしたのは、廊下の床が氷漬けになっていたから、だけではない。


 そこにはまるで前衛アートみたいに、裕福そうな身なりの男たちが、足元を氷で固められてずらりと並んでいたのだ。


「カリーニってのはどいつだ?」


 ゲラリオが、コールに尋ねる。

 会議室に集まって、邪悪な会議をしていたというのが彼らなのだろう。

 それぞれ立場がありそうな人々は、慌てて逃げ出したところを、膝まで氷漬けにされていた。


 誰も彼もが、怯えた目でゲラリオを見ている。


 なにせ先頭で避難誘導していたらしい兵士は、生きているのか死んでいるのか怪しい角度で体を折り曲げて、ぐったりしている。

 これから自分たちもああなるのかと思えば、足元の氷以上に顔を青くするのも仕方ない。


「……」


 コールはこちらが貸していた肩から手を離し、よろよろと歩き出す。

 彼らはもちろんコールの顔を知っていて、ここにコールがいることの意味に気がついている。


 彼らの中には神に祈り、いまさら命乞いをする浅ましい者たちもいる。


 そんな廊下の中ほどまでコールがいくと、ジレーヌ領で見た顔がいた。


「……」

「……」


 コールが前に立つと、苦虫をかみつぶした顔でそっぽを向いていたカリーニが、忌々しげに向き直る。


「お坊ちゃんよ、そんなに毛深い娘の抱き心地が忘れられなかったのか?」


 カリーニの嘲るような言葉の直後……自分は目を逸らしたのでどうなったかわからない。

 わからないが、水を打ったように廊下が静まり返り、ゲラリオのため息がいやに大きく響いた。


「肩を貸してくれ」


 戻ってきたコールがそう言って、自分はうなずく。


 自分にもわずかな味方がいると言っていたコールの荷馬車で控えていたのは、獣人だった。

 そしてこの街での獣人の扱いがどんなものであるかは、港に着いた時に見たばかり。


 コールとしては、獣人の奴隷貿易を司っていたらしいカリーニに対して、イーリア以外のことでも山ほど言いたいことがあったのだろう。

 ただ、彼が今も聞く耳を物理的に持っているかどうかは……想像するしかない。


「尖塔はどちらに?」

「あの階段を上がってくれ。塔につながる空中廊下が――」


 とまでコールが言った時、かすかな破裂音が聞こえてくる。

 そしてまさにその階段から、クルルが転がり落ちてきた。


「クルルさん!」


 慌ててその名を呼ぶが、クルルはそれこそ猫みたいに身を翻し、うまく着地する。

 毛皮の外套は左半分がなくなっていて、クルルは残りを脱ぎ捨てると、マスクみたいに口元に巻いていた覆面もはぎ取った。


「魔法使いだ」


 階段の上を睨みつけながら、駆け寄る自分たちにクルルが言う。

 そして聞こえた足音の先に、下民を見下すことに慣れた様子の男が一人、立っていたのだった。

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