自分の原点、大阪文学学校

野口マッハ剛(ごう)

2016年、秋、入学

 ガタンゴトン、電車に揺られている。目的地は大阪文学学校。2016年、秋、入学。


 公募は一次すら通らなかった不安だらけの自分が、チューターから才能があると言ってくださった話。


 入学して入学式、だったかな、よく覚えていない。当時の自分は期待と不安が入り混じっている。期待は、何か変われたらなあ、そういうもので。不安は、大阪文学学校に入学して、うまくいかない時はどうしよう、そういうものだった。


 さて、初めに大阪文学学校を簡単に説明する。


 昼間の部、夜間の部、通信の部。自分は通信の部に入る。年に4回の作品提出とスクーリングである。小説や詩やエッセイにクラスは分かれていたと覚えている。一年目は本科、二年目は専科、三年と四年目は確か研究科だったと覚えている。


 そして、最初の作品提出。原稿用紙で五枚ぐらいの作品を提出する。あとは推薦が得られて作品掲載されるかどうか、つまりは大阪文学学校の出している同人誌に掲載されるかどうか。この時の自分は、結果が気になって、とてつもないソワソワがあった。

 結果は、推薦をいただいて、同人誌の掲載が決まった。この時の自分は、まさか作品が人生初の活字となることを、夢じゃなかろうかと喜んだものである。


 そして、最初のスクーリング。合評会と言う名の、文学の道場に、自分は鍛えられたものだ。あとは推薦をいただいても、それすなわち優秀というわけでもないらしい。実際に、一人称作品でいろいろ描写が出来ていない自分の作品だったと今では振り返る。


 二回目の作品提出、これも推薦をいただいて、スクーリングに行った。


 公募は一次すら通らなかった不安だらけの自分が、少しずつ自信をつけていった時である。


 三回目の作品提出、これも推薦をいただいて、スクーリングの合評会へ。人生を変えた衝撃の初体験というのも、チューターから才能があると言ってくださった瞬間である。


 しかし、四回目は推薦を逃して、一年目を修了したのである。


 二年目の専科の一回目の推薦も逃している。ちょっとした焦りみたいなものはあった。


 でも、二年目の残りの作品提出三回は推薦をいただいて、専科を修了したのである。当時の勉強ノートは今でも置いてある。チューターのアドバイス等々の勉強ノートである。修了証書も二枚、大切に置いてある。


 ただ、三年目の研究科、2018年、秋、一身上の都合で退学した。以前からの体調不良が爆発したようなものだった。


 ちなみに、修了生は学校と今後も付き合いはあると思われるけれども、退学した生徒は確か付き合いがなくなるということ。


 それで、次に自分が何をしたのかと言うと、カクヨム短編コンテストに応募を始めるのだが、それはまた別のお話である。


終わり

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