第5話 前世持ちは其処彼処にいる。




 前世審問官という職が成り立つ程度には、この世界には前世の記憶をもって生まれた者が現れる。

 記憶の程度は人さまざま。

 事前に申し合わせたようにカラアゲを作ろうとして自爆したり、マヨネーズの材料を集めようとして商店から通報されたり、リバーシブルな盤上遊戯を車輪の如く再発明しようとして特許の壁にぶち当たる。らしい。

 それでも一つか二つの知識が彼らによって補填され、それらが技術や文明の水準を押し上げてくれることは間違いない訳で。この国はダンジョンが存在する事もあって、そういった前世持ちが割と集まりやすい――と審問官様は言っていた。

 なるほど。


「え、これ。おっきい壺を丸ごと蒸してる、すっごいスープ料理の奴だ」

「おいおいおい、まさかこの世界で再現可能なのか」

「ブッダが此処にいるとは分らんが、修業中の神官様が壁を乗り越えてやってくる系?」

「あはははは。バカだ、極まったバカがいるぞ」

「高さ3メートル強、直径最大2メートル弱の壺。どれだけの乾物をかき集めたんだろうねえ」


 などなど。

 商人や冒険者、あとは孤児院の少年少女達が驚きながらダンジョン前の広場に設置した巨大蒸し器を指さしている。成人済みはともかく孤児院の子らは新発見ですねと審問官様が実にいい笑顔。

 建前上は国の威信をかけた宴席料理なので巨大な壺は外部に露出している。

 魔法の力で壺の周囲を囲い、下の大鍋で沸かした湯の蒸気が壺を包む。外に熱は逃げず、熱した蒸気が壺を加熱し続ける不思議な光景だ。

 時折湯気が龍や幻想的な動物の姿をとって動くのは加熱担当の魔法使いたちの余興で、それを見た子供達やいつの間にか現れた各国の賓客たちが歓声を上げている。

 お。

 どうやら幾人かの転生者は佛跳牆フォウチャオチャンの事を知っていたようだ。

 何処かの武術系学園バトル漫画よろしく正体不明の参考資料を駆使して料理解説する様は一種の大道芸じみたもので、熱弁奮う子のポケットに硬貨や飴菓子などが次々とねじ込まれていく。

 時間経過と共に増えていく見物客。

 深夜から加熱し続けて、そろそろ半日。

 件の饗宴で生死の境を彷徨っていた賓客達も自力で立ち上がり歩き回れるほどに回復したようで、だからこそ佛跳牆フォウチャオチャンの調理指示が出た訳だが。


 小さな壺であれば三時間も蒸せばいい。

 だがそれは地球の素材の話。

 干し鮑一つとっても魔物の闊歩する世界の産物である。もはや別種と認定したくなるような乾貨の数々がその程度で調理完了できる道理もなく。簡易鑑定を駆使しながら調理時間を見極めていた。


 頃合いである。

 傍らにて共に作業していた総責任者の宮廷料理長に目配せすると、配下の料理人たちが食器の準備を始め。

 直後。

 ずどん、と腹に響く重い音と共に。

 槍ほどの太さはあるだろう、黒々とした金属製の矢が壺の真ん中に突き刺さっていた。


「アハハハハハハハハ――ざまあみろ!」


 いつの間に現れたのか。

 マンホールの蓋でも投げつけたような姿勢で、真紅と黒の派手なドレスに身を包んだ女料理人とスーツの優男が歪んだ笑顔で勝利を宣言した。




▽▽▽




 この瞬間を待っていた。

 勝ち誇った顔で、女料理人は宣言した。


「御自慢の佛跳牆フォウチャオチャンが国賓の皆様の前で生ゴミになった気分はいかがかしら、酒場の虐殺者パブスローター――アレックス!」

「国の顔に泥を塗った罰を素直に受けたまえよ、似非料理人!」


 スーツ姿の男、おそらくは商業組合の男が此方に突き付けた指を鳴らす。

 白い手袋着用で、あんな綺麗な音が出るんだね……と場違いな感想を抱いていると、壺の中心部に無数の亀裂が生じた。観衆の間から悲鳴が出る。

 巨大な壺に詰め込んだ乾物、注がれた極上のスープ。

 国家の威信をかけたと言っても過言ではない佛跳牆フォウチャオチャンの壺が割れる。金銭面だけではなく、様々な意味でこの国の信用が木っ端微塵に砕けてしまう。

 そんな未来を夢見たのか。

 夢見たんだろうなあ。

 味方しない奴らは全員敵だって言いそうだもの。

 利用できない相手は全員無能とも言いそうだなあ。

 衆人環視の中で巨大な壺は砕け散った。

 魔法使いが咄嗟に風を動かして陶器の破片が観客たちに向かわないように吹き飛ばす。パリンパリンと硬質な破裂音に不快感を抱く転生者達。

 そうして魔法の風と共に周囲を満たすのは、甘く香ばしく、暴力的なまでに優しい、少しばかり焦げた蜜の匂い。


「――は?」

「ばかな」


 露出するのは、蓮の葉に包まれた沢山の芋。

 甘藷。

 コボルト族の集落で育てられた、茜色の芋に紫色の芋。

 じっくりと半日もの時間をかけて蒸し上げた極上の芋。

 唖然とする宮廷料理人。

 顎が外れそうなほど口をぽかんと開けている女料理人。

 指を鳴らした姿勢のまま固まっている商業組合の男。

 とてもとても愉快そうに腕を組む宮廷料理長。

 そして、


『すり替えておいたのさ!』


 どこで覚えたのかやたら渋くセクシーな低音ボイスで現れた鷲馬娘ヒッポグリフが、人間相手に出していけない速度と筋力で繰り出した左右からの旋風脚で女料理人達の意識を一瞬で刈り取った。

 悲鳴すら上げる余裕なく倒れた彼女達の手足と首が本来あり得ない方向に曲がっていたが、それを誰かが指摘する前に駆け付けた兵士たちによって回収拘束されていった。





 魔法ってすごい。

 二度の脱走歴があるためその場で処刑してもお咎めなしという状況だったが、賓客の手前血は流したくないという穏当な意見が採用された。

 四肢の関節が軒並み外された上に魔法を阻害する鋲を何か所も直に打ち込まれていたけれど。


「佛跳牆かと思ったら壺焼き芋だった件」


 と呟いたのは、転生者だろう。なかなか渋い趣味をされている。

 だがご安心召されよと芋と壺を片付けて、仮設の竈台と薪も退ける。露出するのは割れた壺がそのまま入るほどの穴と、そこに敷き詰められた玉砂利。その中には魔法によって硬化処理を施された、もう一つの壺がある。

 収納術によって砂利ごと回収し調理台に乗せたそれは、鋼の矢どころか鷲馬娘の全力攻撃でも耐えられるように宮廷魔術師が付与した特別製だ。


 してやったりの顔の宮廷料理長。

 だまされたー、という顔の宮廷料理人達。

 自分? 鷲馬娘がヒト二人ほど蹴り殺しかけた件で、兵士さんから聴収。お咎めなしだけど出来るだけ穏当に無力化して欲しいとは言われたよ。


 出来上がった料理をどのように振舞うのかは、宮廷料理長たちにお任せ。給仕の順序や作法はプロに任せた方がいい。いつの間にか用意された円卓に賓客や城内関係者が着席し、壺の開封を今か今かと待っている。三男坊様とか御隠居とか遊び人とかもちゃっかりと。いや本来なら席次の上のところに座すべき方なんだろうけれど。

 いよいよ開封。

 わくわく、である。

 壺の蓋を封じるパン生地が剥がされて、閉じ込められていた湯気と共に爆発的な旨味の蒸気が四方八方に解き放たれる。

 ぺっかー。


「すげえ、光った!」

「さすが異世界」


 待って。御同輩、待って。

 自分そういう仕掛けとかやってないっす。いやマジで。アニメじゃないんだから。


「壺の中より黄金の輝きが放たれていく!」

「アレックス殿、これは――」


 いや説明を求められても困るんです。ガチで。

 尻込みしている料理人達にせがまれて泣く泣く開封役に返り咲いてしまった自分は、一抱えもある壺の蓋を持ち上げ。


 きゅぽんっ。


 というコルク栓を抜いたような間抜けな音と共に、黄金色に輝くスープと大量の具材が、滝登りする鯉の如く噴出して虚空に吸い込まれて消える。

 一滴残らず。

 全員スペースキャット顔。

 キラキラと星を散りばめたような輝きに、天使の歌声が響く中。

 星屑のエフェクトと共に短冊状の紙片が虚空より現れて手の中に納まった。


【美味しすぎて今の人類には早すぎるから没収しました。神様】


 ……

 ……

 関係者全員で最寄りの神殿に殴り込みをかけたけれど、仕方ないと思う。




 賓客の皆様に申し訳なかったのでビャンビャン麺を作って振舞ったら大層喜ばれた。即席仕立てだけど佛跳牆用のスープ具材が残っていたので、そこからひたすら自分は肩が痛くなるまでビャンビャン麺をビャンビャンするくらいビャンビャンしまくることになった。

 材料の質を落とせば人類でも大丈夫な佛跳牆が作れるのではと周囲が気付く前に、王都を脱出しなければ。



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