第3話 正しさは人を救わない


 毒の様に甘い悪こそが人を蝕むが如くその者を救うのだという。ヒメの語る感性は独特なものだ。正しさより人を救うものがあるとはミドリには思えなかった。しかしそんな彼女もまた正の道を踏み外した負の人間だ。今や人外と慣れ果てた。人体を上下真っ二つにされても生きている人間などいないのだから。此処は鈴園町のとある公園のベンチ、ミドリはヒメに膝枕されていた。頭を撫でられている、愛でろように、慈しむように。それが鬱陶しくて起き上がった。

「あら、つれないのね」

「うっさい」

 ミドリは髪の毛を自分で整えると、ベンチから立ち上がる。すると身体がふらついて思わず条件反射でヒメに寄りかかってしまう。

「あら大胆」

「うっさい」

 急いで離れる。するとヒメが遠くを見つめて。

「カスタードクリームに栄養は無いけれど、その甘さは人の心を救うのよ」

 まるで自らがそうであるように、パルプ・フィクションの怪物は語る。

「財閥の言い分はこうよ」

 ――我々は敗北した。一九五四年、一月二十三日。世界が彩られたその日に。発信したネガティブ・プログラムは誤作動を起こし自我を持った。我々は時代の敗北者だ、ならば時代の否定者である彼の者の存在を認めてはならない。

「だってさ、くだらない、勝手に敗北宣言して、勝手に生み出した存在を否定するだなんて傲慢よね」

 この世の誰よりも傲慢そうな顔と格好した姫君は素知らぬ振りして語りを続ける。

「だから吸血鬼パルプ・フィクションの怪物なんて自分を再定義して逃げ延びたんだけど」

 また心を読まれた、そうミドリは愚痴る。不敵な笑みを浮かべるヒメはこう締めくくる。

「つまり、私という存在が生きている事は正当で真っ当、間違っているのは世界の方だってこと」

 果たして傲慢なのはどちらだろうか、この吸血存在を殺すべく手段を問わない財閥と、その財閥から逃げ延びるために手段を問わない日蝕姫。

 是空ミドリからしてみれば、それは他人事で絵空事のはずだった。しかし今となっては身体を真っ二つにされるほどの当事者だ。そこに選択肢は無く、あるのはただただ続く無理難題だけ。追手を殺せ、生き延びろ、ヒメを守れ。無茶苦茶を言うな。そう叫びたくても無駄だと分かっているからそうしない。ミドリは現状を受け入れるのに慣れつつあった。鬱屈した彼女の精神性はネガティブな世界を肯定する、それしか道が無いというのなら仕方がないと諦める。そういうことばかり得意になっていく。そんな自分が嫌になったからナイフを持って外の世界に出たというのに待っていたのはそれを上回る理不尽だった。異常生物から異常者呼ばわりされる現実に辟易しながら通り魔擬きは一言愚痴る。

「本当にくだらない存在がいるとしたらわたしのことでしょうよ」

 ヒメは変わらぬ笑みをたたえる、否定も肯定もしない、ただありのままを受け入れるだけ、それがヒメという者の在り方なのだろう、世界をモノクロに塗りつぶすほどの怪物は、まるで人と変わらぬ様に町を行く、商店街のケーキ屋によるとシュークリームを注文していた。金は持っているらしい。支払いを済ませると二つ買った内の一つをミドリに渡してくる。

「心が救われるわよ?」

「栄養は無いんでしょう」

 そのカスタードクリームは確かに甘かった。まるで身体に染み入る毒のよう。これは人を救うというより蝕む方のなにかだろうと思ってミドリはシュークリームを頬張った。

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日蝕み姫 亜未田久志 @abky-6102

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