モブ人称




 最近気づいたのですが、どうやら私は一人称で書くのが苦手みたいです。


 一人称。

 キャラクター視点と言うのでしょうか。

 そのキャラクターが語り部となって物語が進んで行く。


 二次創作界隈にいた頃は大変お世話になりました、一人称。

 楽しいですよね、だって全部がそのキャラの台詞のようなものですから!


 それと同時に、そこに生ずる「表現のズレ」に違和感を覚えてしまって、楽しく書けなくなってしまいました。


『一人称は、キャラが知っていることしか書けない』


 これが大前提です。

 そして二次創作をしながらふつふつと募らせていた疑念。



 ――このキャラは、こんな言葉知らない!!



 普段はほぼ平仮名でしゃべっていて日本語すらおぼつかなく、クラスメートにすら馬鹿にされてるようなキャラクターが「日没後の公園で一人野球をしている俺に、周囲の子どもたちから好奇の目が向けられた」なんて語り始めたら、「うん??????」ってなりませんか?


 小学校低学年の一人称なのに、地の文で漢字が多用されたら「えっ?????」ってなりませんか?


 自分が表現したいこととキャラクター性の乖離に悩まされ、二次創作は一旦終了してしまいました。


 じゃあ一次創作では、私が表現したいことを表現できるキャラクター作りをしよう!


 そんな感じで、処女作は全編一人称で書きました。

 もちろん他のキャラが考えていることは主人公にはわからないので、他キャラに視点切り替えも行いました。

 そしてある日気づいたのです。

「視点切り替えをしても、みんな同一人物に感じる」と。


 変わっているのは俺僕私の表記とキャラの呼び方くらいで、口調や表現に明確な差が出せていない。全員同じ知識量で、同じ感性で、同じ語彙を持っていて。どの視点でも文章が同レベルなのです。


 これって、一人称で書く意味あるのかな?


 それ以降、私はずっと三人称で書いています。

 キャラクター性によって自分の目指したい表現が狭まってしまうことが窮屈に感じたからです。


 三人称、主人公のことも敵側のことも何でも知っている「神」の視点。


 一人称と違ってキャラクターと作者の間に距離があるので、冷静に描写できます。

「これこれ、こんな風に書きたかったんだよ」とすらすらキーボードを叩く私。紡がれる言葉、表現、語彙。

 そしてある日気づきました。セリフじゃないはずの地の文に、がいると。


 ……ホラーじゃないですからね(笑)


 この現象が何と呼ばれているのかわからないので、勝手に「モブ人称」と呼んでいます。

 ナレーションベースと言うか、その場の出来事を地の文で語る名前も顔もないモブが心の中に存在しているのです。


 このモブは神の視点に近いですが、都合の悪いことは知りません。だから「~であろう」のような不確定な表現が地の文に出てきます。

 きちんとした知識を持っている人からすると「三人称でこの表現はおかしい」と思われることでしょう。わかる、おかしい! だから辿り着いたモブ人称。


「何言ってんだこいつ……?」と思ったそこのお方。

 ちょっとこの文章を読んでほしいのです。



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「……それにしても、やっぱり右岸は慣れないわね」


 パリの住民事情を少しだけ説明すると、セーヌ川を挟んだ南北で住民の縄張り意識のようなものがある。用事がなければ一年に数回しか川を渡らないという人も珍しくない。

 同じ都市内だが川を挟めば住民層や思想も違うし、街の雰囲気も異なる。現に凱旋門やルーブル美術館、ノートルダム大聖堂などの観光名所が右岸に集中していることもあり、多国籍な人々が行き交う光景に圧倒される。


 それに「慣れない」とは、良い意味で目を惹く二人に向けられる熱い視線のことでもあるのだろう。

 ミシェルはそんな姉を安心させるために、得意げにこう言った。


「ミロのヴィーナスもかすむくらい美しいクロエ姉様にみんな夢中なんですよ。ああでも、下品な視線は看過できませんね。あそこの男、ちょっと目潰ししてきます」


 マジもマジな大真面目。一見常識人に見えるが、この姉にしてこの弟在り。

「私が魅力的すぎるのがいけないのよ、放っておきなさい」と言ってのけるクロエも大概だ。だが弟に褒め殺しにされてうっとりと頬を染める彼女が美しいのも、くつがえしようのない事実だった。


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 普通に読めるはずなのです。

 でも、完璧な三人称かと聞かれたら、ちょっと違う気がしませんか?


 まずこれ。


『それに「慣れない」とは、良い意味で目を惹く二人に向けられる熱い視線のことでもあるのだろう。』


 本来であれば「視線のことでもあった」と断定的に書くべきところです。神は全てお見通しなのですから。

 でも私の中のモブは全知全能の神ではないので全てを知りません。「左岸在住の二人が右岸でそわそわしてるのかもしれないし、奇異の視線を向けられて居心地が悪いのかもしれない」と、あいまいな解釈で語ります。次。


『マジもマジな大真面目。一見常識人に見えるが、この姉にしてこの弟在り。』


 だ れ だ よ !

 神様だったら相当フランクですね!!


 これを地の文に挿入してしまう。しかもほとんど無意識に。

 三人称というか、もはや語り部モブの一人称に近いのです。


 このモブは主人公、敵、作者、読者、全ての立場に対して平等です。

 読み方によっては主人公にもなれるし、読んでいる読者自身にもなれる。シリアスな場面では空気を読んで真剣に語り、コメディのシーンでは笑いに全力で振れる。そんな器用なモブを執筆に宿してしまいました。どうしよう、もうお前なしでは書けない()


 矯正した方が良いのか。それともこのまま突き詰めた方が良いのか。迷いどころです。

 ただ、このモブがいるおかげで、ただでさえ重たい三人称(自称)が中和されているような気もします。読者様から「地の文が美味しい」と言っていただけたのは、モブのおかげなのかもしれません。


 三人称で書いている方々の中に、私のようにモブを宿してしまった同志、いませんか?



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