賢者モード・Q

 芋焼酎のボトルと水割りセットが届く。彼から「飲む?」とジェスチャーされたが、まだ生ビールが残っていたので断った。


「それで一昨年の夏ごろに失業が家内かないにバレまして、家内はパートを始めてくれました」


 彼は随分と濃い芋焼酎の水割りを作ると、マドラーでカラカラと混ぜている。お酒も強いのか。羨ましい。


 先ほど年齢を尋ねると、四十歳だと言われた。十歳ほど私より若いとはいえ、私は四十の頃には今の干上がった頭皮も脂肪の詰まった腹も出来上がっていたので、背も高く腹も出ておらず髪の毛もフサフサで、顔も精悍な彼はかなりモテそうだった。


 残念なことに言ってることは、無駄な説得力に対して概ね意味不明だったが。


「それで、去年の一月の中旬に家内の浮気が発覚しまして。パート先の大学生でした」


「おお、超展開じゃん。俺よくDLwebで『ヤリ男NTRれ妻』もの買うわ~」


「……ねと? まぁ、はい。あ~言い忘れていたのですが、私には娘と息子がいまして、その家内の浮気が発覚したのが、ちょうど娘の受験のセンター試験直前で……」


 彼は「ああ……」と悲哀の満ちた声を漏らす。


「元々、娘は医学部希望で、その時点で二浪しておりまして、母親の浮気もあって結局その年も落ちて……私としては他の学部の受験も勧めたりしたのですが、もう半狂乱で部屋に閉じこもってしまって……」


 私のビールジョッキが空になっているのに気が付いた彼は、薄めの水割りを作ってくれた。言ってることは意味不明だが、優しい気づかいのできる人なのだろうと感じる。


「そうこうしているうちに、去年の六月ごろですかね……息子が学校で同級生を殴る暴行事件を起こして停学になりました」


「息子さん、どうしちゃったの?」


 私は少し言いよどむ。子供たちのプライバシーに関わることだ。言ってよいものか……。まぁでも今更父親面したところで、彼らから侮蔑の視線を向けられるだけだ。


「三度目の受験以降、引きこもりになっていた娘が……どうやら部屋でネットの配信? というのをしていたようで……。視聴者が増えていくうちに、どんどん過激になっていって……」


 彼は今までの話の中で一番、真面目な顔で聞いている。


「……その胸を出したようでして……」


「ほほう」


「いや……それが……ちょっと……」


「なんだよ、もったいぶらずに教えろよぉ」


「……乳首が……」


「乳首がどうしたんだ!」


 水割りの入ったグラスをダンッとテーブルに置いた。この人、エロ方面になると急に真剣になるな……。


「……はい……ちょっと……長かった……らしくて、変なあだ名がネットで拡散されてしまいまして」


 彼は急に私を制するように手をかざしてきた。


「ちょっと待って。俺それ見たかも……」


 せわしなくスマホをいじると、彼はスマホの画面を私の方へ見せてくれる。そこには『妖怪ろくろ乳首』というネーミングとともに娘の胸の写真が写っていた。こんなに見知らずの人にまで拡散されていたのか。


「それですね。……娘の名前や住所まで特定する輩も出まして、家の壁に落書きされたりしまして、息子も学校でネタにされたみたいで、それで……」


「当時、めっちゃ笑ってたわ、ごめん」


 彼はしょんぼりとした顔で謝ってきた。他人事ならそうだろうと思う。私も見知らぬ家庭の話なら「大変ですね」で終わっていただろう。


「家の事情も加味していただいて、相手の親御さんも大事おおごとにはしないでくださいました。ただ、もう息子はそのあとは完全に自棄ヤケになってしまいまして、秋に盗んだ原付バイクで自損事故を起こしました」


「……学校の窓ガラスは?」


 すかさず突っ込みが入った。


「それはまだ割ってません」


 私もすかさず答える。


「幸い単独事故でしたし、息子のケガは骨折程度で命に別状もありませんでした。ただ、自己所有のバイクならまだ良かったのですが盗んだものですから、家裁送致もやむなしと検察官の方に言われまして、どうにか窃盗の被害届だけでも取り下げていただこうと、被害者の方へは多めの和解金をお支払いいたしました」


 そこで、私は空になったグラスの氷を見つめて、少し溜め息をついた。


「検察官の方も息子に親身になってくださって、初犯ということもあり何とか不起訴にしていただけました」


「あんまり嬉しそうじゃないね」


 嬉しくないわけではない。息子が未成年で前科にはならないとはいえ犯罪者にならずに済んだのだ。


「……もう、お金がないんです。カードローンやクレジットカードのショッピング枠でさえ残っていません。住宅ローンももう払えません」


 空になったグラスを持った手に自然と力が入る。


「……でも私が死ねば、生命保険で住宅ローンは完済できます」


 私はそう喉からしぼりだして、向かいに座る彼を見る。彼はテーブルに飲んでいた芋焼酎のグラスを置くと、財布を取り出してカードのようなものを抜きとった。


 目の前に出されたカードは名刺だった。


「オッサンとオッサンの家族の心の問題は解決できないけど、金の問題は力になれると思う」


 名刺にはこう書かれていた。



 万屋よろずや法律事務所


 弁護士  万屋よろずや 慎太郎


**********


次回予告『シン・賢者タイム』

さようなら、すべてのオッサン

すべてのオッサンに ありがとう

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