賢者モード・破
不幸がいくつも、いくつも重なって、私は死を決意した。
本当は富士の樹海あたりで人知れず死ぬべきだったが、お恥ずかしながら富士山まで行く金銭的な余裕がない。それに死体は早く見つかった方が、生命保険等の処理にも有利だと思った。
自宅から一時間ほど電車に乗り、あてどなく道を彷徨う。
程よい橋を見つけた。近くの店はまだ年始の休業中なのか閉まっており、人通りも全くない。
靴を脱ぎ、その上に背広の上着をたたむ。上着のポケットには遺書が入っている。家族は読んでくれるだろうか。読まずに破り捨てられるだろうか。
不甲斐ない夫であり、父であった。申し訳ないと思う。
心を決めて、橋の防護柵へ足をかける。思いのほか高さがあり難儀する。
まごまごしていたら、後ろから「縁起が悪い!!」と叫ばれながら羽交い絞めにされてしまった。
なんでこの人は邪魔をするんだ! 私のことを何も知らないのに!
結局、私の決死の投身自殺は阻止されたのだった。本当に何一つ上手くいかない。
「とりあえず一発ヌキに行こう。大事な決断するなら、賢者タイムにした方がいい」
私の邪魔をした男は、そう意味不明ながら無駄に説得力のあることを言うと、私の手を取って立ち上がらせた。
◇◇◇
駅前の商店街の裏通りに連れて行かれると、男は『ヘルスキッチン』と書かれた
「私、妻帯者ですので、こういうお店はちょっと……」
そう口にした後で虚しさを覚えた。
「え? 大丈夫! 大丈夫! ヘルスは洞窟の手前までだから。ダンジョンの前まで! 冒険はなし!」
さっきも思ったが、何言ってるんだ、この人。
「そういう問題じゃ……」
「わかった。じゃあこう考えようぜ。普段オナニーするでしょ?」
「はぁ……」
「それを家で研ぐ家庭用の砥石とします」
「はぁ……」
「でも家で我流で研いでても、だんだん切れ味悪くなってきますよね?」
「はぁ……」
「そうしたら、どうしますか?」
「……プロに頼んで研いでもらうんじゃないですかね」
「はぁい! そうです! プロに研いでもらうんです! そう、それが、ヘ ル ス!」
何言ってんだ、この人。
「チッ……言い訳、用意してやったんだから、黙ってついてこいよ、オッサン。
まぁどうせ死ぬんだし、最後に一つくらい良い思い出作ってもいいか。この変な人と喋っていたら、不思議とそんな気持ちになってきたので、彼の後について私も店に入った。
―――――― 約一時間後。
「……プロの砥石はすごかったです」
店を出て、彼にそう告げると、満面の笑みでサムズアップされた。
「よし! オッサン元気出てきたな。ついでだ、飲みに行こう」
そう言って、彼は年末年始関係なしに営業している大手チェーン店の居酒屋に向かう。私はカルガモの子供のように彼のあとを追った。
◇◇◇
生ビールが届き、とりあえず乾杯をする。なんの乾杯なのかはよくわからない。
「で、なんで死のうとしてたワケ?」
お通しの枝豆を齧りながら、生ビールを飲んでいた彼はそう切り出した。
確かに聞いてもらってもいいのかも知れない。なんの関わりのない人になら。
「……そうですね。いろんなことがあったのですが……」
私はビールを飲みながら、自分自身でも起きたこと整理するように一つずつ話始める。
「事の発端は……私が三十年務めた会社をリストラされたことです。もう二年近く前になります」
彼はフンフンと話を聞きながら、「芋飲める?」と間に挟んできたりして、私も「はい」などと答えた。タッチパネルから芋焼酎のボトルと水割りセットを注文する。
「しばらくの間、家族に言えずにいまして、失業手当と足りない分はカードローンで借りて補っておりました」
ポツリ、ポツリと私は身の上話を始めた。
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次回予告『賢者タイム・Q』
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