様式美、カラオケ、好奇心

講義が終わってすぐ教室を出ると、奈良坂が私を待っていた。こないだ会った時は透け感のある緑色だったが、色落ちして薄っすらと金色が見て取れた。

「今日呑み行こ?」

「いいよ。どこ行く?」

「渋谷とかどう?」

「オッケー」

 どうでもいい会話をしながら、いつものメンバーを拾いにキャンパス内をうろつく。

「そういや、相田が遂に告白受けたって聞いた?」

「え」

「らしーよー。垣本が言ってた」

 土屋は知ってると思ってたよ、と奈良坂は言った。私は首を横に振る。

「あの相田が遂に、一人に落ち着くとは思わなかったなぁ」

「……奈良坂はそれでいいの?」

「よくはない。でも、どうしようもないじゃん?」

 奈良坂はそう言って、泣きそうな顔で笑った。無理をしているのがよく分かった。多分今日の飲み会はそういう飲み会なのだろう。暇そうにしているメンツを集めて、渋谷で飲み明かす。相田にも電話を掛けたが、彼が現れることはなかった。

 深夜三時過ぎ。私達は行きつけのカラオケに入った。防音室の中で思う存分、叫び、喚き散らしながら酒を浴びる。もう何杯飲んだかなんて覚えていなかった。今日の奈良坂は特に酷い有様だった。泣きながら酒を飲み干し、周期的に吐いた。周りが幾ら止めても奈良坂はお酒を手放さなかった。ふらふらになっても、相田や自分のへ暴言を絶えず口にしていた。プレイボーイだった男がたった一人の告白を受けたのだ。その子が本命であることを意味していることは誰にだってわかるし、私達の知っている相田の消失をも私達に決意させた。人の繋がりと関係の構築は違う。関係を新たに生む時は犠牲が必要だ。

カラオケに行く前に三軒の居酒屋を渡り歩いていた私達は、入店後ものの一時間で全員が陥落した。気付いた時には私だけが意識を保っていた。それはいつものことで、一人取り残されたような虚しさを感じる瞬間が私は嫌いだった。無理に起こして歌う気分でもなかったので全員始発まで寝かせることにした。なんとか眠気を振り払って、立ち入り禁止の外付け非常階段で煙草を吸う。重めのタールが私を覚醒させ、うっすら白んできた空で感傷に浸る余裕を生んだ。

 相田は今頃、私の知らない女の子と何をしているのだろう。することは一択と言えばお終いだが、告白というあまりにも頼りなくて、正当すぎる手順を踏まれた時、相田はどのように対応するのだろう。世の中、定められた手順を守ったからといって、定めた方がその手順を守ったことを評価してくれるとは限らない。順番なんてものは、様式美みたいなものだ。それをご丁寧に遵守してしまうような可憐な少女をまさか相田がお気に召すとは思わなかった。半年以上、ほぼ一緒に暮らしているというのに、まだまだ相田について知らないことばかりだ。そう自嘲すればするほど、煙草が身体に染みた。

 階下の小道を眺めていると、ふと美奈のことが思い浮かんだ。暖かい布団の中で、私に見せていた顔よりも遥かに安心しきった表情をして寝ているのだろうか。美奈は私よりもあの男を選んだ、という事実が全てだ。

 私は二本目の煙草に火を付ける。

 小道の両脇には夜の街らしいラインナップの店が入り乱れ、隙間をホテルが埋めている。主張の強いネオンの看板がぽつりぽつりと消えて行く。朝が来れば、夜の街に用は無い。スマートフォンで時刻を確認すると、そろそろ始発の動き出す頃だった。夏の夜明けは希望の象徴、と宣う奴がたまにいるが、これが希望というなら私には酷すぎる。一人の夜明けは絶望そのものだった。

 吐き出した煙が薄くなっていく様をぼんやりと眺める。灰色だったそれが透過していく時間が私は好きだった。

 ふと、下の小道に見慣れた人影を見つけた。目を凝らして確かめると、それはアキハだった。丁度ホテルから出て来たところのようだった。長期出張と言っていたがもう戻って来たのか。最初、私はそれくらいにしか思わなかった。アキハと私は付き合っていないという関係上、お互いの関係に口出しをすることはタブーだった。だからこの時の私は、相手がどんな子かを品定めしようと思った。アキハが誰と寝て居ようが構わないが、アキハが私以外だとどんな子に興味を示すのかが知りたかった。云わば単純な好奇心だ。しかしその好奇心が私を殺した。

 遅れてホテルから出て来たのは、美奈だった。

 左手で支えていた煙草が柵の隙間から落ちていった。足に力が入らないなんてことが本当にあるなんて。私は柵から身を乗り出して二人を見た。どこからどう見ても、アキハと美奈に違いなかった。

 鼓動がどんどん速くなっていく。

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