一匹狼、アルコール、氷枕
相田は大学の同級生で、一浪二留かつ女好きという正統派のクズだった。女を切らしたことがなく、たまに男といるところを見かけたこともある。基本は女好きだが、気に入った人とは性別関係なく寝る。それが相田のポリシーだった。
以前覗き見したLINEには未読のままの夜のお誘いがずらりと並んでいた。その中には私の知っている名前も幾つかあって、誰それは相田をそういう目で見ていたのかと驚いたり、納得したりもした。整った顔立ちをしているがそれ以上にクズだったので、相田がちやほやされるのは夜が原因だろう、というのが仲間内での共通認識だった。相田は一匹狼のようでありながら、面倒見がよく、いつも人の中心にいた。
派手な交友関係で知られていた相田と私は当初、全く繋がりがなかった。私は言ってしまえば地味な方だった。入院していたせいで周りと年が二つも違うことを引け目に想っていたこともあって、大学に友達はいなかった。これは相田と知り合ってから知ったことだが、普通大学生というものは友達間でレポートや試験問題を横流しして、つまり協力して課題に取り組むものらしい。高望みはせず、確実に受かる大学に入った私にとって、課題をそこまで困難に思ったことが無かった。だからこの話は目から鱗だった。
大学に友達は居なかったが、時給の良い喫茶店でバイトをしていたので一年生の頃も比較的充実していた。自身の外見は人様に気に入って貰えることは無いだろうと思ってこれまで生きてきたが、需要が無いわけではなかったらしい。初めはかなり戸惑ったが、次第にバイト中にナンパしてきた人と時折遊んでは息抜きをすることを覚えた。聞くところによると、私は加虐心を擽る顔をしているらしい。
アキハ、という名の女性もよくそれを口にした。彼女は六つ年上の社会人で、切れ長の目と前下がりに切り揃えられた綺麗な黒髪を持つ美しい人だった。一緒にいて居心地がよく、包容力もあった。私の根底にある欲求をアキハはとても巧妙に満たしてくれた。アキハと出会った年の私は、出来得る限りの時間を彼女と過ごそうと躍起になった。大学やバイト以外の時間の殆どを彼女の家で過ごし、彼女の帰りを待つ生活を送った。私とアキハは付き合ってはいなかったが、そのことについて特に不満もなかった。それはとても些細なことだった。私はアキハの家を自由に出入りし、暇さえあれば彼女とじゃれ合った。とても満たされた時間だった。
相田と出会ったのは大学二年の春。アキハの部屋の隣に越してきた住人が相田だった。四月に隣に新しい住人が越してきたことは知っていたが、まさかそれが同じ大学の生徒とは思わなかった。アキハの家は大学から少し離れたところにあったし、わざわざ高い家賃を払って住むメリットがあるとは思えなかったからだ。相田と私は何度か共用廊下ですれ違ったくらいで顔をあまり覚えていなかった。だから当然、大学の食堂で話し掛けられた時は誰か分からなかった。相田が「三〇五の人だろ?」と言い放った際に、漸く思い出したくらいだった。
私が気付いたことを悟った相田は図々しくも私の向かいに座り、暫くの間よく分からない話をペラペラと並べ立てていた。これは後から知ったことだが、相田は初対面の人にこうやって一方的に話し掛けて、どの話に反応するのかを探っているらしい。宝探しみたいなもんだよ、と相田は言うが、よくそんな面倒なことが出来るなと感心したものだ。
相田の話はどれもよく分からなかった。まるで興味がなかったという方が正解だが、結果として相田は強硬手段に出た。
「あんた、良い声で啼くよな」
相田がニヤッと笑い、私は顔が真っ赤になるのを感じた。相田がどういう類の人間かある程度見切りを付けた。アキハの隣の部屋に住んでいるのだから、アキハにも注意を促そうと固く決意した。
そのとき相田に五、六人の派手な集団が近寄って来た。各々が髪を明るい色に染めていて、見本市かと思ったくらいだ。
「相田、新しい女か~」
「ちげーよ。こいつ美人な彼女いるから」
「なんだつまんねーの」
集団の中には女子もいた。私はあっという間に彼女達に囲まれ、名前を訊かれた。大人しく名乗れば、向こうも愉快そうに名前を教えてくれた。意外と礼儀正しいのか、と思っていたらいつの間にか居酒屋にいた。ジョッキの生ビールを渡されて、私が未成年だったらどうするのかと思ったが、彼女達には関係ないのだろう。その晩、ある程度アルコールに強かった私は、あちこちに連れ回されて一晩中飲み続けた。ただ騒ぎながらお酒を飲んで、よく分からないことに笑い転げて、気付けば朝焼けの中にいた。変にひねくれている人はこういうバカ騒ぎを下らないと一蹴するのかもしれないが、流されて生きていく私にとっては面白い文化くらいにしか思えない。私の膝で伸びている名前も知らない女子は、一番豪快に酒を飲んでいた。それは見ていて清々しいほどだった。
それ以来、私は相田の仲間に引き入れられた。時間を共に過ごす中で、あのお酒を豪快に飲む子が奈良坂ということを知った。彼女は相田に片思いをしていた。仲間は皆反対の姿勢を示しながらも、なんだかんだで彼女の気持ちを応援していた。私も彼女のことを好ましく思っていたので、相田より遥かに良い人もいるだろうに、と思いつつも彼女のことを見守っていた。奈良坂は相田が仲間に引き入れた私に興味津々で、私が仲間に打ち解けるきっかけになってくれた。奈良坂がアキハのことを知ってからは、美奈に次ぐ友人と言っても差し支えないほどの友人になった。私は奈良坂や相田の仲間達と一緒に呑みに行ったり、頻繁に遊ぶようになった。大学では授業をサボったり、他人の課題を丸写しして提出したり、親が知ったら卒倒しそうなことばかりやった。一度慣れてしまうと、私はいとも簡単にそういった行為の中に楽しさを見出すことができた。アキハに「最近の桜は楽しそうね」と言われて、自分でも初めて気付いた。私はどうやら彼ら彼女らとの時間をそれなりに楽しんでいるらしい。仲間と過ごす時間は、私の身体を覆う凹凸全てを均すことは出来ずとも、何か薄い膜のようなもので覆い隠すことは出来た。その効果は、例えるなら氷枕と同じくらいだった。少しの工夫で、社会や集団とうまく迎合できているように見せかけることは出来る。
「あんた、俺との関係を訊かれて他人って答えたんだって?」
何度目かの飲み会の帰り、相田にそんなことを言われた。相田と私は飲み会に行っても酔い潰れることが殆どなかった。その日も二人で他のメンツを帰路に乗せているところだった。
「私が相田の女じゃないことは確かでしょ」
「それはそうだけど。友達、とか他にも言いようがあるじゃん? そこで敢えて、他人って言い切った理由が知りたいね」
相田が背負っていた奈良坂が奇妙な音を立てて、道端に吐瀉物をまき散らす。相田はケタケタと笑いながら奈良坂の背中をさすった。私は近くの自販機でミネラルウォーターを買い、少し落ち着いてからそれを飲ませた。奈良坂は弱いのに量を飲みたがる。きっと沢山飲んだ方が、相田が面白がってくれると思っているのだろう。
「友達になれるほど相田のこと知らないから」
「じゃあ教えてあげようか」
「いい」
「釣れないね」
それ以上のことを相田が言うことはなかった。それから半年、私は相田の属する集団に関わりを持っても、相田本人と仲良くなろうとは思わなかった。一番初めの発言を根に持っていたこともあるし、相田の本質に触れるのが怖かったのだ。飲み会に行けば、皆何かしらの隠し持っている闇や本質を曝け出してしまうものだが、相田にはそれが一切なかった。指と指の隙間から零れ落ちていくような狡猾さよりももっと鋭い何か。そんな予感がして、私は怯えていた。相田の隠しているものを知る度胸は私にはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます