第3話

 夕食が終わってそろそろ席を立とうかと思っていると、ダイニングテーブルの向かいに座っている妹のかえでが首を傾げながら言った。


「ところで、兄さん。そろそろその鼻の傷について触れてもいいですか」


「気を使って触れないでいてくれたならそのままでいてくれた方が――」


「いいえ、やっぱり、楓は気になります。大切な兄さんにそんな傷を負わすような人がいるなんて」


 自業自得だと言いにくい雰囲気を作ってくれるな。


 二つ下の妹である楓は兄である俺から見てかなり可愛い部類に入る女の子だ。動く度に揺れる肩口で揃えられた黒髪と丁寧な物言いなのにぐいぐい来るところもなかなか愛嬌があっていいと思っている。


「俺の周りにはそんな乱暴な奴はいないから安心してくれ」


「では、その傷は誰かを助けようとしたときに負ったものですね。さすが、兄さんです。自らを犠牲にしても他人を助けようとするなんて」


 そんなかっこいいものではない。わくわくしたような視線を送らないで。

 というか、その発想に至る前に俺がよそ見をしていてぶつけたとか考えないかな。


「えっと、まあ、そんなところだ」


「やっぱり、そうなのですね。しかし、どういうシチュエーションで助けに入ったらそのようなところに傷を負うのでしょうか」


「そ、それはだな……」


「普通、道路に飛び出した子供を助けようと飛び込んだときは鼻ではなく、手とか足とかに傷を負いそうな気がしますが」


 楓の想像力はたくましいと感心してしまう。


 でも、それって、マンガとかだと子供は助かったけど俺は死んじゃうやつじゃないか。


「俺は道路に飛び出した子供なんて助けてない。この傷は落ちてきた本が当たっただけだ」


「……えっと、落ちてきた本が頭ではなく、鼻に当たり、しかもそれが誰かを助けるためというのは一体どのどうな状況なのでしょう。楓の乏しい想像力では全くわかりません」


 妹よ。決して想像力が乏しいわけじゃない。あのシチュエーションが特殊なだけだ。


 俺は図書室で黛を壁ドンをして助けようとしたけど、思ったようにいかず落ちてきた本を顔面で受け止めたことを説明した。


「――というわけだ。だから、楓が考えているようなかっこいいものなんかじゃない」


「兄さんが身体を張った壁ドン……ジュル」


「どうした。涎が垂れてるぞ。ご飯なら今食べたばかりだろ。まだ、お腹が空いているのか」


「ううん、いろいろお腹いっぱい」


「それならいいけど……」


 中学生である楓がスタイルとかを気にして十分に食べていないなら心配なところだ。


「それよりも、楓は兄さんにそのような友人がいたことに驚きです」


「おいおい、黛さんは友人なんかじゃない。ただのクラスメイトだ」


「そうでしょうか。すいている図書室でわざわざ兄さんの隣りの席に座るというのは兄さんと仲良くなりたいからではないかと楓は考えてしまいます」


「ないない。黛さんは敵情視察に来たと言っていたからな」


「本当に敵情視察ならそんなことは言いません。高校に入ってからの兄さんといえば、勉強ばかりして、楓とも以前のように遊んでくれませんし。たまに本を読んでいるかと思えば、怪しげな笑みを浮かべている始末ですから、楓は友人がいないのだろうと心配していたところです」


 おい、楓まで俺をナチュラルにディスるな。

 あと、最近、楓の視線が冷たかった理由はそれか!


「ちょっと、待て。楓は何か誤解しているようだが、俺が読んでいる本は楓が想像しているような本じゃなくて――」


「『キツネ娘とのあまあま生活が最高な件』ですよね。現実世界で女の子から声を掛けられることがないからといってまさか人外に手を出すなんて。ここは妹との愛をはぐくむ『義妹に間違ってプロポーズしてしまったら「はい」と返事がきた俺はどうすればいい』一択ではありませんか」


「妹の前で義妹もののラブコメをニヤニヤしながら読んでいる方がよっぽどやばいだろ」


「いえ、義妹ものの方が絶対にオススメです。あとで今月発売された新刊を兄さんの枕の下に入れておくので読んでおいてください」


 やめて、その儀式っぽやつ、怖いから。


 思春期を迎えている世の中の多くの兄妹がどんな距離感でいるのかはわからないけど、楓はちょっとブラコンぽい気がする。それはもちろん俺が楓に甘かったりすることが原因かもしれないけど。


― ― ― ― ― ― ― ―

 実は過去作の短編で一番人気は『義妹に間違ってプロポーズしてしまったら「はい」と返事がきた俺はどうすればいい』だったりします。再び掲載しようか検討中です。

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 次回更新は7月13日午前6時です。

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