第4話 (Other Side)ミセリアのファラシー

「……どう、なってるのよ……いったいッ⁉︎」


 ミセリアは屋敷の廊下を、ヨロヨロと駆け続ける。


 あの変貌は異常だ。なにかがおかしい。どういう理由かは不明だが、義姉アリウスを亡き者にする計画が失敗に終わったことだけは確実だった。

 完全に見込み違いだ。元宮廷魔導師の家庭教師フラギリスは確約したのに。

 計画は完全で、魔法陣は完璧。結果は確実、だからアリウスの死は確定事項なのだと。

 偉そうな顔で。幼児に言い聞かせるような口調で。ミセリアに言い放ったのは、たった二日前のことだ。


「絶対に許さない。あの口だけ魔導師、ただではすまさない!」


 罵りながらも、ミセリアは必死に足を動かす。何度も背後を振り返る。

 暗闇の奥から、アリウスが追ってくるような気がして。焦りと恐怖が足をもつれさせる。憎しみと苛立ちに叫び出しそうになる。


 初めて会ったときから、アリウスは薄気味悪いところがあった。今日から姉妹になるのだと引き合わされた七歳のミセリアは、ひとつ年上のアリウスからこう言われたのだ。


「わたしのことは構わなくていいよ、ミセリア。どうせ、この世界のひとたちとは話が合わないから」


 “なにを考えてるのかわからない”。それはいつでも、誰にとっても、よく聞くアリウスの評価だ。なにも考えてないだけだと聞き流してきたが、ミセリアも今日、初めてそう思った。


 あの女が、なにを考えているのかわからない。浅はかで愚かなはずの義姉だというのに、考えの底が読めない。

 なにをするつもりなのか。どんな企みと、どんな感情を。どんな力と、どんな闇を抱えているのか。あれでは、まるで……。

 

 完全に別人と入れ替わってしまったようだ。


 かつてアリウスは“自分のなかには、別の記憶と人格がある”などと戯言をほざいていたことがあったが。いまは、それが事実のようにさえ思える。


 ようやくたどりついた自室の扉を、蹴り飛ばすように開ける。

 扉に寄り掛かったミセリアは息を喘がせ、床でうずくまっているメイドのマルムを怒鳴りつけた。


「こんなところで、なにをしてんのよグズが! さっさとフラギリスを呼びなさい!」

「……した」

「なに?」


「フラギリス様は、逃げました」


 ミセリアは最初、メイドの言葉が理解できなかった。逃げた? まさか。あれだけ偉そうに吹いていた自称・天才宮廷魔導師が? 自分が始めた争いの決着もつけずに?


「連れ戻しなさい。これは命令よ」

「無理です」

「あんたの意見なんか聞いてない! 公爵家令嬢の命令を無視するなら、あんたの家族もろとも捻り潰してやるわ!」


 のろのろと立ち上がったマルムは、ようやく振り返る。

 汗びっしょりの顔から涙と鼻水を垂らし、身体は小刻みに震えている。


「あれは、化け物です」


 ミセリアを見る瞳はぼんやりと濁って泳ぎ、なにも写していなかった。


「なにが起きたのかは、わかりません。ですが、ひとつだけ、わかります。あれには。アリウスお嬢様には、関わるべきじゃない。いま生きながらえているのは、まだあいつが、わたしたちに興味がなかったからです」


 マルムは、古い呪術まじない師の家系に生まれた。わずかに呪術の素養がある。だから、あのとき気づいたのだ。目覚めた令嬢が、なにか別のものに変わってしまったと。

 醒めて据わった目に、落ち着き払った低い声。いつもの浅はかな演技ではない。魔力の質と量、そして圧が、まるで違っていた。


 魔力というのは、生まれついての資質だ。鍛錬で伸びはしても、根本は変わらない。ある日突然、まったく別のなにかに変貌を遂げたりはしないのだ。

 

「あれは忌むべきなにか、人ならざるなにかです。ミセリアお嬢様。近づいてはいけません。手を出すなど以ての外もってのほかです」

「そう」


 忠告を受けたミセリアは静かに笑う。これは、いつも通りの態度だ。彼女に意見できるのは目上の者、利益をもたらす者だけ。


「あんたはクビよ。すぐに出て行きなさい」

「……」


 こうなったら誰の言葉も聞こうとしない。理解しているマルムは、黙って部屋を出る。警告はした。あとはミセリアの問題だ。


 その晩のうちに、マルムとその家族は王都から逃げ落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る