第3話 “まぬけ”って、なんじゃい

「ご機嫌よう、魔力欠乏症まぬけのお姉さま。お目覚めになられましたのね?」


 小娘は一見お淑やかな微笑みを浮かべておるが、そこに親愛の情は微塵もない。虫けらでも見るような目で、悪意や侮蔑を隠す気もない。


「そのまま身罷みまかっていただければ、我が公爵家は安泰でしたのに」


 エテルナが音もなく、わしの前に立つ。不可視の隠蔽魔法で姿を隠し、身体を壁のように大きく広げておる。何かあればすぐに対処するつもりなんじゃろう。主君を守ろうとする心意気は、まこと天晴じゃがの。


「ぬしが出るほどの相手でもなかろう?」


 わしは念話でエテルナをなだめる。小娘は蔑みと嘲りを剥き出しにしておるが、身にまとう魔力も気迫も脆弱で脅威とはならん。こんなもん、小鬼ゴブリンが騒いどる程度のものじゃ。

 魔王を相手に喧嘩を売るとは。度胸があるというより頭が悪いんじゃろうな。


“こいつ嫌い。へーかに、やなこと言った”


 そう答えるエテルナの声は、珍しく不快げじゃ。

 わしというより、わしの身体であるアリウスに、ということじゃろうな。さては、わしが寝ておる間になにかあったか。

 先ほどの情報のなかに、こんな小娘はおらんかったようじゃがの。


「それでエテルナ、このチンチクリンは何者じゃ」

“ミセリア”


 小娘の名は、ミセリア・プルンブム・アダマス。公爵家次女で、十二歳。アリウスわしの、腹違いの妹だという。

 部屋に入ってもこちらに近寄ろうとせんところに、浅はかな作為が透けて見えよる。


「ミセリア。用はなんじゃ」

「なんですのお姉さま、そのおかしな話し方は。“魔力欠乏症まぬけの能無し令嬢”が、なにか奇妙な妄想に取り憑かれて……」


「用は、なんじゃ」


 わしが声を落とすと、ビクッとして身構えよった。すぐに平静を装うが、怯えを隠すのが下手くそすぎて失笑しか出てこんわ。

 義妹の視線をたどると、その先にはあの妙な布切れが転がっておった。

 なにに怯えておるかと思えば、あのブサイクな呪詛まじないか。あんなもん微塵も効かんというのに。

 ……いや、魔王であるわしにはなんの効果もないが、アリウスにとってみれば話は別かの。しつこく魔力欠乏症まぬけと繰り返すところに、小娘の薄っぺらい悪意が見えよる。


「なるほど」

「……な、なんですの? “公爵家の恥”が、わたくしに言いたいことでも」

「ぬしらの仕業か。の身体から魔力を奪っておったのは」


 ミセリアとやらの顔色が変わりよった。

 しかし、妙じゃの。わしの書き換えた魔法陣はそれなりに手が込んでおった。こやつ程度の魔力で組める代物ではない。魔力を失っとるようには見えんし、呪いを受けた様子もない。ということは、施術を行なった魔導師はこやつではないわけじゃ。


「“魔封じ”の薬剤で魔力の行使を縛り、刺繍した魔法陣で魔力を根こそぎ奪い、できあがった空の器に“降魔”で魔界からの召喚者を宿らせるという魂胆じゃな?」


 わしの言葉に、小娘の顔が強張りよった。こちらが近づくたびに、少しずつ後退り始める。


「なんの、お話か、わかりませんわ! お姉さまは、やはり、悪魔に魅入られて、頭が、お、おかしくなったんですわね!」


魔王わし魅入られた、じゃと? 面白い冗談じゃ」


 わしが笑うと、小娘の顔から血の気が引いてゆく。首筋から汗が噴き出す。下がろうとして背中が壁に当たる。逃げようと振り返りかけた顔の前に、わしはドシンと音高く手をついてやった。


「ひッ!」


 わしの腕に邪魔され、小娘は外に出られん。逃げようとすれば頭を下げ這いつくばるか、わしを倒すかじゃ。

 どちらもできん小娘は、必死に虚勢を張ってわしを睨みつけてきよった。


「わたくしの身になにかあれば、お父様が! そしてエダクス殿下が黙っておりませんわよ!」

「誰じゃ、それは」

「なッ⁉︎」


 エテルナが念話で教えてくれたところによると、エダクスというのは王国の第二王子で、わしの身体アリウスの婚約者だという。

 そやつが、なぜ妹の用心棒になっとるのかはエテルナも知らんそうじゃ。


「そんな“お飾り王子”の話はどうでもええんじゃ」


 わしが言うと、ミセリアは信じられないものを見たような顔で目を見開く。

 なんじゃい。婚約者っちゅうても、王家いえ公爵家いえとの問題じゃろ。どういう経緯でそうなったのかは知らんが、第二王子みこし公爵家長女みこしの乗り合わせに大した意味なぞないわい。

 そんなもん、上級魔族でもよくある話じゃ。


「ぬしらの手下てかに、魔導師がおるじゃろ」

「ええ! ええ、大勢おりますとも! わたくしのお母様の家系は、代々優れた魔導師を輩出してきたプルンブム侯爵家ですもの。お姉さまの母親のような騎士上がりのカリュプス家とは……!」


「やかましい」


 純粋魔力を乗せた威圧を掛けると、ミセリアはピタリと口を閉じて固まった。小娘の顔から虚勢と血の気が失せ、生え際からすさまじい汗が噴き出し始める。

 そうじゃ。恐怖というのは、信じられんほどたやすく、わかりやすく相手を操る。


「わしを、殺そうとした魔導師じゃ。知らんとは言わせんぞ?」

「……そッ、ま……」


 なにを言おうとしたのかは知らん。ブルッと身を震わせると、ミセリアは真っ赤になって顔を上げ、睨みつけてきよった。

 ここまで萎れ、怯えながらも義姉アリウスに気圧されている事実は頑なに認めようとせん。その気概は認めてやるがの。それもしょせん、子犬の意地じゃ。


生きとったら、そやつに伝えよ」


 失神寸前の義妹が、なにかを察して息を呑んだ。目の奥まで見据えて、わしは耳元で囁く。


「身の程を知れ、とな」

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