第2話 “おじょーさま”って、なんじゃい

「う〜ん、なんじゃこれは」


 天地もわからん真っ暗闇のなかで、わしは静かに困惑する。

 なんでか五体の感覚が曖昧で、自分の身体でないような違和感。おまけに、魔力を吸われとるような感じがあるんじゃが。

 最強魔王の魔力量は並ではない。少しくらい吸われたところで枯れたりはせんが、誰か知らん相手から搾取を受けるのは業腹じゃの。

 なにがしたいのかわからんが、魔力の流路をつなぎ変えて魔法の術式を書き換え、魔力の吸収を逆転。奪った相手には報いとともに、魔王特製の呪いを返す。


 ふむ。急に身体が楽になって、目の前が明るくなってきよった。


 光が消えてしばらく経つと、周囲が見えるようになってくる。どうも見慣れん光景で、妙な匂いが漂っておるのう。

 ここが異界かと、わしはワクワクしながら起き上がる。


「……ひッ!」


 近くで女が、なにやら素っ頓狂な声を上げよった。


「ま、まだ起き上がってはいけません、お嬢様は、や、病み上がりでいらっしゃるのですから!」


 病んどった覚えはないが、お嬢様というのは、わしのことか? そんな腑抜けた呼び方をされたのは、魔王になる前。実に百数十年ぶりじゃ。

 声のした方に振り返ると、額に乗せられていた布切れが落ちる。先刻から匂っておったのは、これに染み込ませた薬草か。

 匂いからして、苦艾草ニガヨモギ魔忌草マビキソウ宵哭木ヨナギの樹皮に、煎じた冥府闕花メイフケッカ


「この調合は“魔封じ”かのう」


「え」


 目を丸くしてわしを見ておるメイドと思しき女に、わしはその布切れを差し出す。

 魔力が高すぎると、ときに病を進ませることがある。なので病人に“魔封じ”を処方されること自体は、わからんでもないが……。


「使われとる薬種の鮮度が悪いのう。生育環境がまばらで、質も低い。調合も雑な上に、比率まで間違っとる。これでは効果など嫌がらせ程度じゃな。どこのどいつじゃ、こんな半端仕事しかできん薬師くすしは」


 なぜか女は布切れを受け取ろうとせず、わしはそこに施された刺繍に気づく。

 魔蟲マムシの糸で目立たんように紡がれた魔法陣は、わしには見慣れた代物じゃ。


「ほう、“降魔”の呪詛まじないか。ぬしら、この身体を“器”にしようとしたんじゃな?」


 メイドは小さく息を呑み、青褪めた顔で部屋の外へと駆け出していきよった。


「誰か! お嬢様が! お嬢様がッ!」


 やかましいメイドじゃのう。わしはベッドから立ち上がって、思わずよろめく。


「なんじゃ?」


 体が軽い。手足が小さい。そして、ワケのわからんヒラヒラの服を着せられておる。

 部屋の隅に置かれた鏡を見ると、甘っちょろい顔をした幼い少女が映っておった。

 誰じゃ、こいつは。あのアホ魔族ども、わしから元の身体まで奪いよったか。


「まあ、ええわい」


“へーか〜♪”


 足元にヒョコヒョコと現れたのは、おともスライムのエテルナじゃ。


「おお、ぬしらも飛ばされたのかの?」

“そー! ずーっと、いっしょ♪”

「なんでそんなに嬉しそうなんじゃ?」

“へーか、ずーっと眠ってたから〜”


 無事に目覚めたことを喜んでくれとるのか。いやつじゃ。ぷにぷにしてくれるわ。


“ひゃひゃひゃ〜♪”


 うむ、癒されるのう……ひんやりして、やわらかくて、心が落ち着く良い匂いがしよる。

 抱きしめたエテルナから、情報が流れ込んでくる。眠っとった間の報告というわけじゃな。わしが目覚めるまで、周囲に気づかれんよう姿を隠して守ってくれとったようじゃ。

 こやつらは、こう見えて万能じゃからの。

 姿かたちも魔力も気配も自由に変えられる。メイド程度には察知されんし、刺客程度に遅れはとらん。おまけに分裂や変化へんげで数も大きさも変幻自在じゃ。エテルナさえったら、百人の魔族兵より頼りになるわい。


「世話になったのう。大変だったじゃろ」

“ぜんぜん、だいじょぶ〜♪”


 守ってくれとったのは、ありがたいことじゃが……エテルナから得た情報によると、この身体の持ち主は、えらく面倒なことに巻き込まれとるようじゃの。

 エテルナたちがおらんかったら、この身体は死んどった。

 いや。この身体の持ち主が死んだからこそ、転移したわしの魂が宿ったのかもしれん。


「ときに、エテルナよ。ここはどこで、わしの宿ったこやつは何者じゃ?」


 あのとき見た転移魔法陣の術式で、おおまかな行く先はわかっておった。あの魔法陣、作り上げたのは百年前のわしじゃからの。

 魔族の連中は“異界”とか雑にくくっておったが、ここは魔界の外にある人間界じゃろ。問題はそこの、なんという国かじゃ。

 人間の住んでおる国はいくつか訪れたことがあるものの、最近でも数十年前、古くは百年以上も前じゃ。ここがどういう国で、どういう状況か。わかれば対処も変わってきよるわ。


“えっと〜”


 ここはトリニタス王国の、王都にある公爵邸。わしはアリウス・フェルム・アダマスという十四歳の公爵令嬢だそうな。


「む?」


 どこかで聞いた名じゃのう。


「トリニタスという国、かつて魔界に攻め入っとらんかったか?」

“きてた〜。へーかに、ケチョンケチョンにされた〜”

「おお、わしが魔王になる前じゃ。あのとき戦った敵軍の将は、アルデンスとかいったかの。あれは、なかなかの人物じゃった。うむ、懐かしいのう……」


 その後、魔界攻略に失敗した王弟派閥が力を失い、国王派閥が盤石の絶対王政を作り上げたのだとか。

 アダマス公爵はくだんの敵将、王弟アルデンスの末裔。血筋としては王族に近いが、敗戦の責任から貴族社会では風当たりが強いという。


「あれだけの名将を褒め称えずにどうするというんじゃ。敗けたというても百何十年も前じゃろうに。その咎を子々孫々にまで押し付けるか。人間どもは度し難いのう……」

“魔族も、あんまりかわんないかも〜?”


「……ふむ。そこは、ぬしの言う通りじゃな」


 たしかに。度し難いのは、人間だからではないのう。

 能がなければ潰されるが、能があれば叩かれる。種族を問わず、小人しょうじんとはそうしたもんじゃ。


「あら、まだ生きてらしたのね」


 開け放たれたままの戸口から、鼻で笑うような声が聞こえてくる。そこに立っておったのは、偉そうな顔のこまっしゃくれた小娘であった。

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