マストダイ 5/25

 カンナさんにズルズルと引きずられた僕は、無理やり体を起こされ、窓際に立たされた。


「ぐう、うぐ、ぐ、い、ってぇ。マジでいてぇ!」

「お前の痛みなんかどうでもいいよ。ねえ。モリオくん」


 ベチン。と、頬に衝撃が走る。

 カンナさんに叩かれるよりマシだが、手の痛みにプラスして、ビンタされているので、僕はすっかり気持ちが萎縮していた。


「姉ちゃんのこと、好きって言ったよね」

「はぁ、はぁ、……言いました」

「好きな人、集団で犯しちゃうの? ん?」


 ベチン、ともう一度叩かれ、さらに追撃でもう一発食らう。

 ビンタには怒りが込められていた。


 そりゃ、もしも僕がそんな事を企んでいたなら、当然の怒りだ。

 満場一致のゲス野郎なので、間違いなく極刑は免れないだろう。


 だが、2人は明らかに勘違いをしている。


「ち、ちが、……ふぅ、ふっ、ちがう」

「何が違うんだよ!」


 怖いので、2人の顔が見れなかった。


「ぼ、僕は、ただ、呼び出されて、ここにきただけで」

「あー、悪いお友達に?」


 カンナさんに胸倉を掴まれた。


「断れなかった?」


 優しい声色なのに、殺意がたっぷり込められている。


「ち、ちぐぁ、……ちが」


 アノンさんは「チッ」と舌打ちをして、後ろの窓を開けた。

 5月なので、冷たい風が背中に当たる。


「オラ」


 胸倉を掴まれたまま、僕は窓の外に突き押された。

 手は胸元から離れ、僕の視界は逆転する。


「アアアアッ!」


 足首が何かに掴まれ、ギリギリと締め付けられた。

 アキレスが圧迫される苦しみに喘ぎ、遠くに見える真っ暗な地面に意識を失いそうになる。


「僕はああ! やってないんだ!」

「くすっ。……姉ちゃん。手、離せばぁ?」

「やめてええええっ! 本当に知らない! マジなんだって! 無理やりシチュはああああああ! 二次元限定がああああああ! 超前提なんだよおおおおおおおっ!」


 声が地面に吸い込まれていく。


「リアルだけは別物だって! だから、そんなクソみたいな光景を見たら! 絶対に通報するよ! マジで! そこだけは、あああっ、そこだけは心に決めてんだよおおおおおおおッ!」


 こいつら、本気だ。

 本気で、僕を落とすつもりだった。


「姉ちゃん。そのままね」


 心臓がバクバクするなんてものじゃない。

 呼吸は乱れっぱなしで、全身は冷たいのに、刺された手だけは熱さと血が傷口に溜まる圧迫感があって、言葉にできない恐怖があった。


 さらに、アノンさんは僕の靴を脱がし始めたのだ。


 何のために?

 死んだら自殺って事にするつもりだろう。


 つまり、本気の証だ。


「姉ちゃんはね。リョウマに別れようって、言われたばっかなんだよ」

「へあ?」

「傷心してるところにさぁ。追い討ち掛けやがって。あいつもグルだろ? タイミングが良すぎるんだよ」


 リョウマ?

 あいつ、別れるって自分で言えんじゃん。

 いや、言っても聞かなかったから、僕らが動いてるんだった。


 だけど、今の口ぶりは、まるで風だ。

 その心変わりの理由が分からず、僕は理解が追い付かなかった。


「なに? ウチらの事、バカにしてんの?」

「し、してないですうう!」

「嘘吐いてんじゃねえよ。笑いものにして、ウチらのこと、痛い者扱いしてんでしょ!」


 足の裏に、冷たく鋭い感触があった。

 シャレにならない。

 手だけじゃなく、足まで刺されたら、日常生活にまで支障をきたす。


 こうしてる間にも、どんどんナイフの先が食い込んでくる。


 何か言うんだ。

 起死回生の一言を。

 突破口を。


 僕は目を閉じて、腹の底から声を搾り出した。


「僕はアアアアアアァァァッ! カンナさんが、好きなんだアアアアアアアアッッ!」


 微塵だって、心にもない声を大にして叫んだ。


「それ、嘘なんでしょ!?」

「嘘じゃない! 僕は! 常にカンナさんに欲情している!」

「どこが好きなんだよ!」

「お尻だ! ムッチリした、大きいお尻! 太もも! 澄ました顔して、エッチな体をしているから、たまらないんだ!」

「みんなで楽しもうとしたくせに!」

「何度も言ってやるよ! 僕はなぁ! リアルでは! いいか!? リアルでは、ちゃんと一対一で愛し合いたいタイプなんだよ! 陰キャは! そういう人種なんだよ! お前らより、数百倍物を考えてるから! ずッッッッと心に決めてんだよ!」

「え? ん? つまり、どういうことだよ!」


 首を捻っているアノンさんへ自棄になって、僕はもう一度叫ぶ。


「カンナさんをに決まってんだろ、メンヘラああああああああっ!」


 チクッ、と足の裏を刺され、「いっでえええ!」と腹の底から叫んだ。


「アノン。それはいいよ」

「ちぇっ。イラつくんだもん、このチビ」


 ナイフの感触が引いて、僕は世界が逆転した状態で、生唾を呑む。


「じゃあさ。これ、……誓える?」


 アノンさんが何かを取り出した。

 目を凝らすと、それはネックレスだった。


 リョウマは『契約書』と呼んでいた。


「選ばせてあげる。ウチらの奴隷になるか。このまま、手離しちゃうか」


 双子を取るか、死か。


 究極の2択だった。


「もし、受け入れるんだったら、はい。ネックレス持って。でも、持った時点で、裏切りっこナシだよ? ネックレスは肌身離さず持つこと。離したら、さようなら」

「その趣味の悪いネックレスを1日中持つの!? 何て、拷問だ!」

「てめえのストラップだって似たようなもんだろ!」

「確かに!」


 痛い所を突かれ、納得してしまった。


「どうすんの? 選びなよ」


 アノンさんは目を見開き、鋭い視線を送ってくる。

 一方で、カンナさんは、なぜか口を尖らせて、そっぽを向いていた。


「はぁ、はぁ……っ、く、くそ」

「離すよ?」

「わ、…………か、った」

「聞こえないんだよ!」

「分かった! 分かりました! 誓います! 僕はカンナさんの彼氏になります!」

「勝手にグレードアップしてんじゃねえよ!」


 指を捻られ、僕は苦痛の声を漏らした。


「奴隷だっつうの! ど、れ、い!」


 この際、どうにでもなれだ。


「オッケええええええええええッ!」


 答えて、ネックレスを受け取る。


 すると、僕の体はズルズルと持ち上げられ、廊下に戻された。

 すぐに足の裏を月明りで確認すると、ちょっとだけ刺されていた。


「ハァ、ハァ、し、信じて、ハァ、くれたんですか?」

「まだお試し期間だから。気に入らなかったら、溺れてもらうよ」


 溺死の予定か。

 ハードだぜ。


「あの、カンナさん」


 隣にいる姉に向き直ると、カンナさんは背中を向けた。

 背中に謝ったって、誠意がないとか咎められるに違いない。

 痛いのを我慢して、僕はカンナさんの前に行く。


「カンナさん!」


 だが、カンナさんは目を合わせようとしなかった。


「僕、マジでやってないっスよ!」

「……あ、そ」

「本気なんです!」

「わかったって」

「どうして、目を見てくれないんですか!」


 両腕を掴んで見上げるが、仰け反って無理やり視線を逸らそうとする。

 後ろにはナイフを持ったアノンさんが見えて、僕は助かりたい一心で、必死にカンナさんを窓際に追い詰め、心にもない声を訴える。


「僕、絶対に幸せにします! 頼りないかもしれないけど、リョウマには気持ちでは負けません!」

「う、うぅ」

「こっち見ろよ!」

「生意気なんだよ!」


 横から蹴られ、僕は床の上を転がる。


「ぐ、あ。ちくしょぉ。何で、こんなことになるんだ!」


 握りこぶしを床に叩きつけ、痛みのあまり手を押さえた。


「これじゃあ、底なし沼じゃねえか!」

「てめ……」


 アノンさんが何か言おうとした途端、廊下にはけたたましい音が鳴り響いた。


「ベル?」


 消防のベルが鳴り響き、我に返る。

 このままじゃ、僕らは補導される。


 振り返った時には、双子の姿はなかった。


 急いで、僕はケンイチを起こす。


「起きろ!」


 朦朧とした様子で起きたケンイチに肩を貸すように頼み、次にヘイタを起こした。

 どうやら、胸を痛めたらしく、息が絶え絶えの様子で、ヘイタはゆっくり起き上がった。


「向かいの棟まで行くぞ。あっちから、裏庭に出る」


 僕は二人をナビして、靴を履いた後、とにかく逃げた。

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