アノンさん 5/21

 僕は両手にジュースを持ち、屋上で2人の前に立っていた。

 正確には、少しだけカンナさんに寄って、アノンさんから距離を取ってる。


「チッ。イライラするぅ」


 今日は機嫌がすこぶる悪かった。


「モリオくん。ジュース買ってきた?」

「あ、はい。午前ティーですよね。レモン味」

「ミルクティーって言ったでしょ」


 言ってねえよ。

 お前、レモンティーの方、って言ったじゃねえか!


 恐怖の中に小さな怒りを隠し、僕は全力で謝る。


「はぁ、……もういいよ。使えない」

「う、うぅ」


 マジで、この人情緒不安定だなぁ。

 普段は人懐っこい感じに接してくるのに、急に機嫌が悪くなると、ハリネズミのようになる。


 そっと隣へレモンティーを置き、僕はカンナさんの隣に座った。


「なんで、機嫌悪いんスか?」


 小さな声で聞いてみる。

 少し前なら、声を掛ける事すらできなかった。


 だが、2人とちょっとでも接点を持ったことで、大体どういう人なのか、輪郭が薄っすらと見えてきたので、キレやすいのに一番冷静という矛盾の塊に声を掛けているのだ。


「オッサン紹介してやったのに、売りしてた子がバックレたの」

「へえ」


 どういう意味?

 え、これ、高校生の会話?


 まるで、半グレとかの幹部が部下にキレてるみたいだった。

 忘れかけていたけど、ちゃんと双子は悪い人達だった。


 日常生活を普通に過ごしていたら、まず関わらない。


 カンナさんは何をしているかと言えば、スマホで格闘技の動画を見ていた。キックボクシングの映像を見ていたかと思えば、今度はムエタイ。

 こっちはこっちで、何か怖い。


 怯えながら、カンナさんの肩に頬をくっつけ、一緒に動画を見る僕。


「臭ぇんだよ」

「ひ、ひどい」


 顔を押しのけられ、謝る。

 そんな事をやっていると、屋上の扉が開かれた。

 入り口からは、モヒカン頭の男子がやってきて、煙草を吸いながら、がに股で歩いてくる。


「あ?」


 アノンさんに続いて、カンナさんがメンチを切る。

 血の気が多すぎた。


 モヒカン男子が歩いてくると、アノンさんの前に立つ。

 それを見て、目の据わったカンナさんが立ち上がる。


 緊迫した光景を目の当たりに、「あ、今日は弁当忘れたんだった。買ってこないと」と、言い訳を口にして、僕は立ち去ろうとした。


「後藤」


 声を掛けられ、アノンさんはジロっとした目で見上げる。


「なんですかぁ?」


 舐め腐ったような甘い声だ。


「ID交換しね?」

「え~、やです~っ」


 断るんだ。

 え、それ断るんだ。


「お願い」


 モヒカン男子が頭を下げ、手を合わせた。


「ん~、どうしよっかなぁ」


 チラ、とアノンさんが目をこちらに向ける。

 僕は3m離れた位置へ、すでにいた。


「後でぇ、誰か紹介してくれますぅ? お金持ってそうな人」

「誰でもいいのか?」

「ん~、クスリとかやってないならぁ、まあ、いいかなぁ」


 触れないラインはあるらしい。


「分かった。大学にいる先輩紹介するから」

「ん。じゃ、これ、私のIDで~す」


 スマホを差し出すアノンさん。

 彼女の何が怖いか、って。

 真顔でジロっとした目つきは変わらないのに、声色だけは甘ったるく、猫のような声を出すのだ。


 ナンパに成功したモヒカン男子は、「ありがと!」と、元気よくお礼を言い、手を挙げてアノンさんから離れていく。


 離れ間際、「これでヤラしてもらえるわ」とか言いながら、肩にぶつかってきた。


「どけ、オラァ!」

「ひいいっ!」


 いきなり、怒鳴られたので、僕は二の腕を抱いて、フェンスに寄った。


「はぁ、はぁ。日本は、もうだめだ。腐敗しきってるよ。日本だけ世紀末迎えてるよ」


 肉食獣を檻に入れてほしいくらいだ。


「モリオくん。こっち」

「はいっ!」


 元気よく返事をして、アノンさんに近づいていく。


「肩」

「はい?」

「はぁぁ~……っ。分からない? 揉めよ」

「うす!」


 後ろに回り、アノンさんの肩に触れる。

 手で握った途端、僕は思った。


 ほッッッッそ!


 肩の骨や鎖骨に指先が当たり、男子とは違って、肩の肉が薄かった。

 頭皮からはシャンプーの香りが漂ってくるし、うなじには綺麗な生え際がある。


 僕はムッチリした女の子が好きだけど、対照的なアノンさんは、なぜかスレンダーなのに妙な色気があった。


「スゥゥゥゥゥゥ…………ッッ!」


 良い匂いだった。

 これが、女子なんだなって実感した。


「モリオくんさ」

「なんでしょう」

「姉ちゃんの方、揉みたいんでしょ」

「え、一つ聞いていいですか? 何で、みんな僕がカンナさんを好きだと思っちゃうんです?」


 つい、こんな事を聞いてしまった。


「鼻の下伸びてるし」


 そんなことは、……ないはずだ。

 僕が見ているのは、大きなお尻だけだよ。


 自身を持って、それだけは言えた。


「アノンさんも美しゅうございますよ」

「……あは、きっしょ」

「あー、泣きてえ」


 涙を堪えて、僕は肩を揉み続けた。

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