フラグ1 5/14

 ケンイチは情報の塊だった。

 特に女の子やスケベな事だったら、持って来いだ。


 忍び込むにしても、準備が必要との事で、僕は言われた通りにメモをしているのだが、一つ疑問があった。


「ストッキング? 何に使うんだよ」

「バカ。ハイレグバニー豊崎の3話でやってたろ」

「忍び込む時に、、ってやつですな」


 盗みに経験があるわけではないから、僕にはサッパリだった。


「大概の奴は、指紋とかが残らないようにって考えるが、それが間違いだ。必ず、ストッキングを履くんだよ」

「靴下でいいだろ」

「バカ。お前、バカこのヤロウ!」


 放課後の教室には僕らしかいないから問題ないが、誰かに聞かれたら確実に変態扱いだ。


「靴下は生地が分厚いし、糸がほつれやすい」

「ふむふむ」

「だから、ストッキングに比べて、んだよ」


 なんで、こいつら詳しいんだろう。


「ストッキングは腰んとこまで履いているから、膝を突いて移動しても、皮膚がくっつかねえ。つまり、痕跡を残さないどころか、万が一にもバレないってわけだ」

「ピッチリ系ってってことですかね?」

「そうそう。豊崎ちゃんはドジっちゃって、二階から飛び降りる時に天文学的数値の確率で、屋根の端っこにレオタードが引っかかったろ。お股にハイレグが食い込んだが、音は鳴らなかった。つまり、そういうことだ」


 ストッキングは、コンビニで用意すればいいか。

 黙って、メモをしていたのだが、ある事に気づいた。


「なあ」

「んだよ」

「どうして、僕が入る事前提になってんだ?」


 二人は顔を見合わせる。


「ヘイタは巨漢。俺は屈んだ瞬間に脱糞する習性がある」

「嘘吐けや!」

「体重が軽くて小回りが利くのは、お前しかいないだろ」


 二人は頷くが、こっちからすれば腹を空かせたライオンの檻に、餌をぶらつかせて侵入する気持ちだ。


「でも、何を撮るんだよ」


 カメラやペンライトは、ケンイチが準備してくれるらしいが、これといって何の証拠を集めればいいのか、分かっていない。


 間抜けだと言われたら、元も子もなかった。


「女の子の秘密だよ。他人に見られたらヤバそうな物を撮れば、いくら双子とはいえ、降参するだろう」

「バックアップは用意しておかないとね」

「マジかよぉ」


 正直、行きたくない。

 でも、行動を起こさないと、本当にリョウマが殺されるだろうし、動いてやらないといけない。


「っと。お前が脱糞とか言うから、小便したくなったわ」

「この後、ヘイタの家で9話を観るんだから。早くしろよ」

「分かってるって」


 変な話になってきたけど、この後ハイレグバニーを観れるのだから、考えるのは後でいいか。


 *


 用を足して、誰もいない男子便所でアヘ顔を披露した後、僕は二人の待つ教室に向かった。


「お、っと。すいません」


 便所から出る間際、誰かにぶつかってしまって、頭を下げる。

 そして、顔を上げて、僕は固まった。


「気をつけろよ」


 カンナさんだった。


「はいぃ」


 僕はヘコヘコ頭を下げて、そそくさとその場を離れる。


「ねえ」


 だが、呼び止められ、ゆっくりと振り返った。


「落としてる」

「あー……、はい。すいません」


 ハイレグバニー豊崎のM字開脚バージョンのストラップだった。

 他人に見られたら、「きっしょ」と言われる類のもので、僕はこれをお守り代わりに尻ポケットにしまっている。


 ヘイタとケンイチはもちろん、リョウマだってそうだ。


 色違いの絵柄がお揃いで、友情の証。

 カンナさんの傍に落ちたストラップを拾い上げ、尻のポケットに戻す。


「それさ。……なに?」

「はい?」

「だから、その気持ち悪いストラップ」


 気持ち悪い言うな。

 これは情熱と欲望と希望の光なんだよ。


 反論なんて口にできず、僕は刺激しないよう、言葉を選んで答える。


「希望、……ですかね」

「そうじゃなくてさ。それ、リョウマの奴も持ってんだけど。何のヤツ?」


 だいたい、ニュアンスで何を言いたいのか分かった僕は、目を合わせないようにして答えた。


「アニメっすね。ふふ。お色気満載のぉ、愛と欲望のぉ、ひか……」

「チッ。何笑ってんだよ」

「……すいません」

「気持ち悪い」

「…………すい、ません。産まれてきたのは、僕のせいじゃなくて、親のせいっていうか。はい。すいません」


 ヤンキーなんて嫌いだ。

 僕がせっかく懇切丁寧こんせつていねいに教えてあげようとしたら、人の厚意こうい無下むげにするんだ。


 そう思いながら、僕はむき出しになったカンナさんの太ももを見つめる。


 そして、思うのだ。


 すっげぇ、脚。


 ムッチリしてるのに、筋肉の溝がちょっと動いただけで深くなる。

 色白で細すぎず、太すぎず、引き締まった脚。


「……綺麗なんだけどなぁ」

「あ?」

「い、いえ、ぶふっ、何でも……」

「なに? 言いたい事あんの?」


 機嫌が悪いのだろう。

 やたらと絡んでくるのだ。


「か、カンナさんの脚。とても、美しゅうございまして」


 もう何を思われてもいい。

 褒められて悪い気がする奴なんていないだろう。


 黙ってしまったカンナさんをとにかく褒めちぎって、この場をやり過ごそう。僕は頭の中にハイレグバニー豊崎のヒロインを思い浮かべ、彼女に言うつもりで、精一杯の言葉を浴びせる。


「た、体育が終わった後のカンナさんは、汗に濡れていて綺麗ですし。普段は歩いてるだけで、脚が目につくといいますか、何と言いますか。引き締まっていて、他の子にはない魅力がありまして。どうしても、僕は男として惹きつけられるものがあるのです」


 呼吸が乱れ、視界は白く濁り、油断したらゲロを吐きそうだった。

 それぐらい緊張しているのだ。


「もういいって」

「ずっとぉ! カンナさんの姿を見かける度にぃ! すっげぇ、良い女だなって、心の底から思ってました!」


 もう、止まらない。

 人は恐怖に陥ると、まともな思考ができなくなるのだ。

 震えを誤魔化すために力むよう、反動が生まれてしまうのである。


「……殺すぞ」

「いえ! 聞いてください! 水泳の授業が終わった後、塩素の臭いに混じって、カンナさんの匂いが漂うだけで、僕はずっと目で追ってました! お尻は大きくて、ムッチリしてるし、脚はやっぱり綺麗だし! 世界で一番、カンナさんが綺麗だなって思います!」

「うるせぇんだよ!」


 ベチン、と強烈な音が鳴り響く。

 気が付けば、僕の体は壁に叩きつけられていて、全身が痙攣していた。


 重量級の平手打ちを超軽量級の僕が受け止めたのだ。

 失神寸前だった。


「お前、……気持ち悪いんだよ」


 夕日に照らされたカンナさんの顔はとても赤かった。

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