後藤アノン 5/6

 一言だけ叫んで、すぐに逃げる。

 頭の中でシミュレーションを行い、凶行に出た女子を一括するべく、件のクラスに向かう。


 僕のクラスから、2つ隣の教室。

 誰かいたら嫌だな、と思いつつ、角から顔を出して中を覗く。


「あれ? 誰もいないじゃん」


 そこで僕は思った。

 さしずめ、シャレにならない悪戯をしたら、思いのほか僕が怒って、教室にくる姿が見えたから怯えて逃げたってところだろう。


 無人の教室では、カーテンが風で捲れ上がっていた。

 誰もいないため、中に入って花瓶が置かれていたはずの隅っこを見やる。


 教室の隅には、花瓶を置くテーブルがあって、そこに園芸部の花を添えているはずだった。

 けれど、この教室には花瓶ごとなくなっていて、落ちてきたのは間違いなく、この教室からだと裏付けできた。


「ふん。逃げるくらいなら、初めからや――」

「わあっ!」

「ッッッくりしたぁぁぁ!」


 いきなり背中を押された。

 驚いて振り返ると、そこには校内でも有名な女子が立っていた。


 後藤アノン。

 厄介者揃いの中で、これまた厄介な女子である。


 補導されたって話は、何回も聞いている。

 中学時代には少年院に入っていたらしいし、前科持ちってやつだ。


「あはは。……つか、誰?」


 自分から花瓶を落としておいて、これだ。


 何度も言うが、この学校は女子の見てくれは、とてつもないレベルで高い。


 アノンさんは常に黒いフィットマスクをしていて、顔の半分が隠れているけど、美人なのはマスクの上からでも分かる。


 セミロングの黒い髪をしていて、インナーは青く染めてオシャレ。

 片方の耳を出すような髪型をしていた。


 露わになった耳にはピアス。

 見えている目元には、赤いラインを引いていて、どことなく病み系ながらも艶があるメイクだった。


 ただ、元々はキツい目の形をしているのだろう。

 今は笑ってるから、目尻に皺ができて、小悪魔的に見えるが、怒ったら相当迫力がありそうだ。


 アメリカ人とのハーフって話は、ケンイチの『女子データベース』から聞いている。


 目の彫りが深いため、他の女子より大人びていた。


 だが、中身は幼稚というか、ぶっ飛んでいるし、近寄りたくないのが正直なところだった。


「あらら。黙っちゃった」


 後ろ手を組み、じっと見下ろしてくるアノンさん。

 僕は負けじと、アノンさんの靴を睨みつけ、一言かましてやる。


「あ、あのぉ! あれぇ!」


 教室から、中庭を指す。


「危ないっすよぉ! やめてくださぁい!」


 女子なら勝てると錯覚していた。

 僕は、無意識の内に女の子を見下していた。


 現実を突きつけられた今この瞬間、家に帰りたくなった。


「あれって、なに?」


 小首を傾げて、すっとぼけるのだ。


「か、花瓶、落としたでしょ?」

「え? タメ語? 受けるんだけど」

「ぼ、僕ら、昼飯食べてただけなんで。危ない事、やめてください。お願い、しやす!」


 惨敗だった。

 もう、誰にも僕の姿を見ないでほしかった。


「ふ~ん。だから、……なに?」

「は?」

「花瓶落としたよ。うん。……で?」


 こいつ、ヤバくね?

 口にはしないけど、そう思った。


「どうしてほしいの? 言ってくんないと分からないよ」


 特に何かを求めるわけじゃない。

 やめてほしい、というだけだ。


「謝ってほしいの?」


 顔を覗きこまれ、咄嗟に顔を逸らす。

 ふわり、と甘い香りが漂ってきた。


「まあ、そうっスね」

「んじゃあさ。一緒に謝ろうよ」

「は?」

「ほら、ごめんなさい」


 両腕を掴まれ、体の向きを矯正される。

 腕を上下に振られて、まるで子供をあやすように、謝罪を促されていた。


「え、謝るんスか?」

「悪い事したら、ごめんなさいでしょ?」

「はい……」

「うん。ごめんなさい」


 やれ、と言わんばかりに腕を振られる。


「ごめん、なさい」


 思考が追い付かず、僕はぷにぷにとした女子の手の感触を感じながら、頭を下げた。


「えらい、えらい」


 しかも、頭を撫でられた。


「んー、じゃ、行っていいよ」

「あ、はい」


 食い下がる真似はせず、僕は大人しく教室を出て行く。

 出て行く間際、アノンさんは笑顔で手を振っていた。


 なに、この人。


 自分の常識がまるで通用しない。

 でも、食って掛かったら、何かされそうなので、二人の所に帰る事にした。

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