【3ワード企画】ウィンナーコーヒー

うつりと

武藤りきた

人生で17回目の冬が来た。

僕は都内の高校に通う二年生。

成績は下の下。部活はテニス部に入っているが、テニスもさほど上手くはない。


いつものように部活が終わった後、着替えて帰ろうとした時、一コ下の竹内が僕を呼び止めて言った。

「堰田さん、ちょっとお話が。」

「ん?何?」

「ここじゃなんですので、喫茶店でも行きませんか?」


僕は財布の中身に思いを巡らせる。

財布の中には今日の昼飯代をケチった分の千円札が一枚入っているはずだ。

喫茶店というのは親と一緒の時以外には行ったことがない。

大人というのはわからない。

何故、喫茶店などという、ただ時間を潰すだけの場所に何百円も支払えるのか。

そのお金を貯めていれば他のいろんな事に使えるだろうに。


そう思ったが、下級生が喫茶店に誘っているのに、「お金が勿体ないから行かない」と言うのはなんとなく格好が悪いと思い、動揺を隠しながら僕は答えた。


「ああ、いいよ。」


喫茶ほとりという名前のなんというか大人の雰囲気が漂う喫茶店に入った。


「僕はウィンナーコーヒーにしますけど、堰田さんは何にします?」


「ウィンナーコーヒー」とはなんだろう。ウィンナーが入っているわけではないだろう。しかし、それにしても何故こいつはこうも簡単になんの躊躇もなく喫茶店などという大人の空間に入り、「ウィンナーコーヒー」などという謎の飲み物をさも「いつも飲んでいる」かのように頼めるのか。

ここで「ミルクティーで」と言っていいものだろうか。きゃつは、「ウィンナー」というのはよくわからないが、「コーヒー」と名のつくものを頼むらしい。僕も何かしらコーヒーと呼ばれるものを頼まなければ先輩として舐められるのではないだろうか。

僕はここまでを0.3秒で考えて、絞り出すように、しかしそれをさとられないように言った。


「コーヒーで。」


竹内は少しニヤリと笑ったようにも見えたが、すぐに店主のような人に向かって言った。


「すいません。ホットコーヒーと、ウィンナーコーヒーをお願いします。」


僕は初めて親以外と入った「喫茶店」という場所の雰囲気に気圧されて固まっていた。

すると竹内が続けて言った。


「あ、お金なら大丈夫ですよ。僕がお誘いしましたので、ここは僕に出させてください。」

「あ、ああ。」


僕は後輩に奢られるという恥ずかしさと、安堵の気持ちがごっちゃになった。


すると次の瞬間、僕は驚かされる。


竹内はおもむろに煙草をポケットから取り出して、ライターで火をつけたのだ。


僕は思わず言った。

「おい、お前煙草なんか吸ってるのか?」


「ええ。変ですか?」


「変…ってお前まだ高一だろ?そんなもん吸っていいと思ってんのかよ。」


思い出すと、竹内は部活の時にいつもスタミナ切れが早い。


「まぁまぁ。いいじゃないですか。たまにはこうやって喫茶店で大人になったつもりでゆっくりしましょうよ。他の人たちには内緒ですよ?」


僕は高校一年生が煙草を吸っているということに対する怒りもあったが、それ以上に竹内の大人びた雰囲気に圧倒され、少し羨ましくも感じ始めた。


「え、まぁ内緒にしとくけど…。」


「堰田さんも吸います?」


「いや、俺はいいよ…。」


「そうですか。」


そう言って竹内は口から上空に煙を吐き出した。

暫く沈黙があった。

竹内は気ままな様子で煙草を楽しんでいる。


すると先程の店主らしき年配の男性がコーヒーを持ってきた。

「お待たせしました。」

「有難うございます。」

「有難うございます。」


竹内の前に「ウィンナーコーヒー」なるものが置かれる。

僕は竹内にさとられないように「ウィンナーコーヒー」を見てみたが表面にクリームのようなものが乗っていて、やはりウィンナーは乗っていなかった。

僕はさも「ウィンナーコーヒーなど見慣れている」という振りをした。


竹内が言う。

「ウィンナーコーヒー飲みながら吸う煙草が最高なんですよ。」

僕はもはや観念した。

僕よりも竹内の方が、喫茶店という大人の空間に来慣れている風で、ウィンナーコーヒーなどという大人の飲み物らしきものを飲みながら、しかもそれと一緒に煙草を吸うのが最高だ、などとのたまったのだ。さらに僕よりもお金ももっている。

きゃつの方が大人だ。


僕は自分が注文した「コーヒー」という苦い飲み物に、もし砂糖を入れるときゃつにさらに舐められる気がして、クリームだけ入れて少し飲んだ。

やはり苦い。

しかし一瞬だけ、香ばしい香りを感じ、それが心地よかった。

僕は少しだけ大人になった気がした。


「クリスマスが近いですね。」


「え?ああ。」


「堰田さん、バイトってしたことあります?」


「ないよ。うちの高校バイト禁止じゃん。」


「ですよね。」


「ですよねって、お前やったことあんの?」


「ええ、何回か。」


僕は黙った。

ここでもきゃつの方が大人だ。バイトというのは一度やってみたかったのだが、親や先生が怖くてやったことがなかった。しかしきゃつは何度もやっているという。

僕は今日何度目かの軽い屈辱感を感じているのを隠しながら、また苦いけれど、少し香ばしいコーヒーに口をつけた。


「バイトやってみませんか?」


「え?ああ、えっと…。どうしようかな…。」


「簡単なバイトなんですよ。渋谷で。時給4000円です。」


「4000円?!」


「内容は今は言えないんですけど、悪い話ではないんです。」


4000円なんて僕の一ヶ月分の小遣いだ。それを一時間で稼げるなんて…。


「なんで内容は内緒なんだ?」


「それも行けばわかります。どうしますか?」


僕は少し考えた。

「なんで、俺を誘ったんだ?お前他に誘える同級生とか友達とかいるだろう。」


「堰田さんじゃないと駄目なんですよ。適任なんです。」


「どういう事だよ。説明してくれよ。」


「説明はできないんです。そういう決まりなんです。」


竹内はまた煙草の煙を上空に吐く。

そして、おもむろに立ち上がるとレシートを持って言った。

「その気になったら25日の午前0時…、つまりクリスマス・イブですね。24日の24時に渋谷の交差点に来てください。そこで待ってます。」


「ちょっと待てよ。どういう事か説明しろよ。」


「マスター。お会計お願いします。」

そう言いながら竹内は立ったまま残ったウィンナーコーヒーをぐいと飲み干した。


「ちょ、マジで待てって。」

竹内は無言で会計をして去っていった。


一人残された僕は沈むように椅子に座りなおした。

暫く呆然として、考えを巡らせていた。


…どういう事なんだ。きゃつは全てにおいて僕よりも大人に見えた。

僕にはまだ知らない大人の世界が山程あるのだろうことはわかっている。

しかしあまりにも突然すぎた。

突然だ。

そうか。大人になるというのはいつも突然その瞬間が来るのかもしれない。


ふと見ると、テーブルの上に煙草とライターが置いてある。

きゃつが忘れていったのか、あるいはわざと置いていったのか。


きゃつが明日学校に来るかどうか。

それももはやどうでも良かった。

僕は少し考えた後、コーヒーを飲み、そして。


煙草に火をつけた。

                  了


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