第6話「どこまでなら書いていいのか?」

 こんにちは。


 このエッセイ、意外と読まれてます。なぜでしょう。


 たぶん、「こういうキャラを出してみたいんだけど、大丈夫かなぁ……」と思っている方がいらっしゃるのかもしれません。もしくは障害を持つ当事者が読んでいるのか。



 今回は障害者を創作で描くにあたって、「どこまでなら書いていいのか」に触れていきたいと思います。



 まず、大前提として。


「その人が普段から使っているもの(ツール等)を馬鹿にしたり、揶揄したり、犯罪に用いるような描写は絶対にしない」ことです。これは障害者に限らず、人と人とが付き合う上でも当然のことですね。


 前にも書きましたが、盲の方にとっては必需品である白杖で人を傷つけたり、盲導犬を人にけしかけるのは完全にアウトです。そこまでしなければいけない理由があったとしても、それは犯罪になるからです。


 犯罪者として書く意図があれば別ですが……「白杖で人を傷つけた」「盲導犬をけしかけた」という一部分だけを切り取って、クレームがつく恐れがあります。作者の意図から外れてそこだけ読まれるというのは、誰でも不本意のはずです。


 とある作品では健常者から補聴器を奪われ、踏みつけられるというようないじめを受ける描写がありました(いじめというか、器物損壊罪ですが)。ただし踏みつけた張本人はのちに裁きを受けます。


 補聴器の修理費(ウン十万円はします)を全額支払い、謝罪するという具合に。




 おそらく多くの書き手が思っていることかもしれませんが……「障害そのものを馬鹿にしてもいいのか?」という点について。


 健常者Aが障害者Bを、「やーいこのつんぼー!」「めくらー!」「かたわー!」なんて馬鹿にしたら……今では放送禁止用語ですから、そういった言葉は使わない方が賢明でしょうね。消されます。



 障害者の中には、馬鹿にされることに慣れてる人がいます。馬鹿にされてもしょうがないって劣等感を抱いてる人もいます。



「聞こえないくせにでしゃばるな」とか、「あ、目が見えないんだよね。ごめんね、映画の話なんかして」とか、「車椅子で劇に出すのはちょっと……」とか、そういった大小問わず色んな形で、差別とか制約とか受けまくりなんですね。


 障害そのものを馬鹿にするということは、その人をも馬鹿にすることです。


 なので、明確な意図がない限りは避けた方がいいです。




「じゃあ、どうすればいいの?」と思ったあなた。


 ずばり言えば、当事者に会う方が早い。


 ネットや本で障害のことを知っても、障害を持つ人のことは知っていますか? 実際に出会い、話をし、経験をし、どんなことで喜び、どんなことで怒るか、好みの異性に出会った時はどうするか……そういったことをヒアリングしてみたことはごく少数でしょう。


 確かに障害を持つがゆえの悩みや制約こそはありますが、自分も含めて、彼らも人間です。バラエティ番組などで笑ったりしますし、ブログやTwitterで発信しますし、結婚もすれば葬式にも参席、果てはローンを組んでマイホーム!



 そういう人に出会ったことがない? まぁ、そうですよね。



 書き手の頭の中で思い描く「障害者」のイメージと、社会で生きて暮らす彼らの実態とでは多少のズレが出てくるのは否めません。単純に障害者を「かわいそうな存在」とみなして書いたら、それは危ないですね。


「めんどくさい存在」というのもまぁ、そこそこ危険ではありますが……書き方次第だと思います。何がどうめんどくさいのか、そういった評価に至るエピソードはあるかという具合に、書きようはあると思います。



 例えば、そうですね……「恋人にするなら(結婚するなら)、同じ耳が聞こえない人がいい」という人は普通にいます。


 そこで「どうして?」という疑問が生じるはずです。過去に痛い経験をしたとか、健常者が嫌いだとか、手話で話し合うことができるからとか、親がそう望んでるからとか、色々考えられます。


 耳の聞こえない夫婦がいたとしましょう。彼らは生まれてくる子が、自分たちと同じく耳が聞こえない方がいいと望んでいる。ただし、耳の聞こえる彼らのご両親は、両家とも「耳の聞こえる孫がいい」と言っている。


 さぁ、どうする。どうします? 書けますか?


 一応添えておくと、自分には無理です。あまりにも身近すぎて。






 どこまでなら書いていいのか……すべて書き手の判断に委ねるというのは、正直いって荷が重いと感じています。


 なので、できれば当事者に聞く方が望ましいです。可能な範囲で。「こういうキャラで、こういう表現にしたいんだけど……大丈夫? あなたはどう思う?」といった具合に話を持っていければいいのですが。


 ただ、差別表現じゃなくても読んでいて不愉快、というのはどこでも同じですよね。障害のない方でも、自分の創作物にいちゃもんつけられたりしますよね。障害者を出そうが出すまいが、結局のところいちゃもんつけたい人はいちゃもんつけたがるんですよね……。



 もう少し書けることがあるかもしれませんが、長くなりそうなので……ひとまず、ここで締めくくります。


 お読み頂き、ありがとうございました。

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