第6話

 もしそうだとすれば……。

「大丈夫じゃなさそうね」

 徐に顔を近づけてくるマリ。口を開きかけたレイスに、人差し指で「静かに」と制する。


「正直に答えて。『はい』なら首を縦に。『いいえ』なら首を横に。いい?」

『はい』首を縦に振る。

「奴らに顔を見られちゃまずい?」

『はい』

「追われている?」

『いいえ』今度は横に振った。

「関わるとまずい連中なの?」

『……はい』やや間を空けてから首を縦に。


 しばし黙考した後、マリは左手奥の通路を指さした。

「よし。あなたは先に、通路の奥へ行く。トイレに行くフリをして裏から出るの。ゆっくり落ち着いて、普段通りに歩いて行って」と、言い聞かせるようにゆっくり低い声で指示を出す。


 レイスは席を立ち、言われた通り通路奥へ向かった。

 やがて彼女の姿が見えなくなった頃、坊主頭とニット帽の二人組が席を離れて通路へと向かい出した。残りの面々も離席するが、こちらは入口横のレジに集まって会計を頼んだ。

(変なことになって来たけど、こうなりゃトコトン首を突っ込んでやろうじゃない)

 諦めの末に気持ちを切り替えたマリは、目をそっと瞑って集中。レイスと同じく<窓>の向こう側で手に入れた、ハイダーの力を使った。


 ………



 レイスは細い通路を足早に進んで裏口に向かう。元々狭かった道が、無造作に置かれた物品のせいで、余計に狭まっていた。

 後ろから足音が聞こえて来る。おそらく追手。彼女は焦る気持ちを抑え、たどり着いた裏口のドアを開けた。


「……なぁ。あんた」

 扉が開いた瞬間、目の前には複数人の男達が待ち構えていた。店に居た若者集団ではない。知らせを受け、駆けつけてきた仲間だろう。

「少し付いて来てもらいたいんだ。なに、手荒な真似をするつもりは無い」

 リーダー格の男が口を開く。縮れた長い髪と濃ゆい髭と、ベっこう縁の眼鏡。彼が持つ雰囲気は場末のバンドマンか、社会と距離を置く仙人、といった所であった。


「同士。君の顔を見たというのは、この女性か?」

 リーダーは追いついて来た坊主頭に問う。

「間違いありません。暗い道でしたが、ハッキリこの女だと断言できます」

 レイスは前後を囲む集団を、怯えた目で見回した。

 体が動かないし、声も出ない。ただオロオロする事しかできない有様である。


 その内に坊主頭がレイスの肩を掴んだ。レイスは抵抗を試みようと身じろぎするが、呆気なく取り押さえられてしまう。

「さあ、来て貰……」


 その時である。

 一団の携帯端末が一斉に鳴り出した。そして、彼らが操作していないのにも関わらず、通話が開始された。

〈こちらは都市警察です。事件ですか、事故ですか?〉

 繋がった先は都市警の緊急通報窓口。男達は大慌てで通話を切ろうとする。しかし……。


「何でだ? 何で通話が切れない。押しているのに!」

 液晶画面に表示された『切』のマークを彼らは何度も押している。だが、通話が切れる事はなく、不審げに訊ね続けるオペレーターの声が途切れる事も無い。そればかりかマイクの音量までもが段々大きくなっていくでは無いか。


 そして拘束が緩んだ隙を突き、レイスは包囲網を強引に抜け出す。男達は彼女を捕まえようとするが、次々と起こる端末の誤作動で、思うように動けない。

 そうこうしている内に、レイスは店の裏手から脱出した。


(あ、そうだ。私、姿を変えれるんだった……)

 追手から離れて危機を脱した所で、彼女は自身の特性を思い出した。あまりにもパニックになり過ぎたせいで忘れていたのである。

 レイスは助走を付けて跳躍。地上から離れた靴の爪先から、黒い霧へと変わっていく。

 両脚、胴体、頭……つば広帽子までもが黒霧に変わり、風の中で舞い散った。


 ………


(うわぁ。すっげえの見ちゃった)

 マリはとある場所から、レイスが霧化していく様を覗いていた。

 どこへ行ったか探れるだろうか。ふとした思いつきを試したくて、青緑色に光る海へ手を突っ込む。


 彼女の手は海面を潜った途端に溶け、白い粒子となって海の中に流れていく。

 それを平然と見送っていたマリは、不意に(うーん?)と、声を漏らした。

(レイス・モランは携帯持ってないんだ。こりゃあ、ホネだぞー)

 などと、音響データに変換された独り言を口にしながら手を引き上げた。


 海面より上に出た手首を追うように、海の中から粒子がたちのぼり、手が再生された。

(しまった。アイツらのこと忘れとった)

 マリは追手達の端末へ細工したことを思い出し、そちらに垂らした『糸』を、腰元から生える竜の尻尾で手繰り寄せる。

 やがて糸の先に絡まった、不定形の物体が海面より浮かび上がる。彼女はそれらを手に取り、口から咀嚼した。


(……ふうん。結構ヤンチャしてる連中なのね)

 バリバリと情報を噛み砕いて『理解』しながら、軽くなった体を振って緊張を解した。


 こちら側にいる時、マリは絵本の竜と人間を掛け合わせたような異形へと変身してしまう。

 ヒレのある竜の尾が生え、額にも小さな角が二本、それに耳も先端が尖ってしまっている。

 加えて、服装も変わって古代時代の巫女を連想させる薄絹の衣を纏い、露わになっている白い素肌には、銀の鱗模様が刻まれていた。


(この体は誰の趣味だろうねえ。いい加減、自分好みに変えたいんだけどね)

 マリは半ば諦めたようにため息をつき、電子の海面にアグラを掻いた。


 <窓>と繋がってしまった世界を「現実世界」と呼ぶのであれば、ここは電子の海が広がり、数列の風が吹く、もう一つの世界。

 携帯端末、インターネット、テレビ、電波、そして電気。ここはあらゆる電子媒体から流れ出る「情報」によって形成されている。


 仮想世界、電脳空間、エトセトラ。古くから様々な定義や名前を与えられてきた空間と同一なのかは不明だ。しかし、マリ・シュガールは<窓>の向こうで、もう一つの世界にアクセスする力を手に入れてしまったのである。

 彼女は便宜上「仮想場」などと呼び、仕事やプライベートで、現実世界との間を行ったり来たりしているのであった。


 さて……。

(レイス・モラン。なぁんかイメージと違ったねえ。自分の尻尾にもビビる大型犬って感じ)

 膝の上に頬杖をついて物思いに耽りだす。

(さっきだって、この前みたいに暴れりゃあ良かったのに。手に入れたチカラ使って……)


 マリは言葉の途中で何かに気づいたのか、パタンと竜の尾を叩く。

(そうそう、人前で無闇に出すもんじゃ無いんだよな。あたしもシェイナ姐さんに釘刺されたっけ……あっ!?)

 思い出した。<窓>の向こう側から戻って来たばかりの頃は、自分も状況を把握できていなかった。


 ただ便利な体になったと思って暴れ回った。そのせいで、シェイナのような危ない連中に追いかけ回され、死にかけた事も何度かあった。

 思えばレイスは戻ってきて一年。この前のように暴れて回っているようだが、そもそも彼女は自らの状態を把握できているのか?

 もし「否」だとすれば、昔の自分と同じだ。


 このまま放っておくと、レイスはもっと危ない目に遭う。

(お節介だとは思うんだけどさ。助けたから後は良いよね、バイバーイってのはどうかと思うんだよねぇ)

 電子の海に情報の風が忙しなく吹いてくる。


(とにかく最初の目的。アイツをスプライト社に売りつける。それでお金もらう。うん、それだけをまず考えんしゃい、あたし!)

 決意を固めたマリは電子の海に飛び込んで、深海目指して潜っていった。


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