第5話


 ……一方その頃、スミシマ街。

(はてさて、コレはどうしたものかな?)

 情報屋のマリ・シュガールは首を捻る。

 彼女は雑踏の中を歩く黒衣の女を、建物の屋根からこっそり覗き見ていた。

 あの女を忘れる筈があろうか。

(だってまだ一週間も経ってないし)

 などと心の内で呟きながら、マリは携帯端末のカメラで、女の姿を撮った。


 レイス・モラン。<窓>を潜り、異空間に迷い込んでしまった女。そして運良く生きて帰ってきた異能者『ハイダー』である。


 先日、懇意にしているスプライト社の傭兵連中が彼女の行方を追う事になり、マリも協力した。結果は失敗、予期せぬトラブルが起きて取り逃してしまったのだ。


 見つけたのは偶然だった。偶々スミシマ街で用事を済ませた帰り、何の気なしに屋根を伝って歩いていたら、見覚えのある帽子を見つけたのだ。


(いやあ、迷うなあ)

 自身も危険な目に遭いかけたマリは、レイスに対してあまり良い印象が無い。できることなら距離を置きたい所である。しかし、だからといってこのまま無視を決め込むのもつまらない、などとも考えていた。


 好奇心。

 マリは思いがけない存在に、心を揺さぶられていた。


(好奇心は猫を……なんだっけ、たぶらかす?)

 猫目を細めて聞き齧った程度の知識を思い出そうとするが、上手くいかない。いや、今はそんな瑣末ごとより、レイス・モランだ。


 彼女は何処に行こうとしているのか。一年も行方をくらませていた女は今どうしているのか。

(気になる)

 マリは決断した。尾行しよう。それで傭兵どもに情報を売りつけよう。

 もちろん高値で。


 一度決めると足はすんなり動くものだ。マリは猫のようにしなやかな身のこなしで、屋根から屋根を伝い、地上のレイスを追いかける。

 愛用のフィールドコートは一回り大きなサイズで、ブカブカ気味だというのに、彼女の軽やかな動きを妨げない。


 ……さて、件のレイスはというと、露店の雑踏の隙間を縫うように歩き進んでいた。立ち止まる素振りは無く、歩調も一定だ。

 やがて露店の終わり際に差し掛かる。雑踏の密度はより濃くなり、人が自由に歩ける間隔もより狭くなってきた。

 流石のレイスもここで足が鈍り、その内に人間の波に呑まれていく。


(まずい。見失う?)

 マリはつば広の黒帽子を目で追った。どんなに人が多くても、いやに目立つ帽子だ。それを目印にすれば見失う事も……。


 あれ?


 マリは猫目を大きく開いて下を覗く。

 瞬きはほんの二、三回。ずっと建物2階のベランダに立って、下を見ていたはずだった。

 それなのに、レイスの姿は忽然と消えていた。どんなに探しても黒帽子が見つからない。


 はてな。首を傾げていると「あの」と、隣から囁き声をかけられた。

 怪訝に振り向くと、黒帽子に黒い上着、それに何処かの民族衣装らしい黒い長衣の女が、物憂げに立っていた。


 レイスだ。マリはぎょっとして後ろに飛ぶ。

 どうやってここまで上がってきた?

 気配など感じられなかった。姿が消えてまた別の所に現れた、という具合である。


 まるで……。

 後退りするマリ。一方のレイスは困惑顔で見下ろしてくる。

 二人の身長差は大人と子どもほどあるのだが、それは決してマリが小さいから、という訳では無い。レイスの背丈が平均より上、高身長と表しても良いくらいに高いのだ。


(何頭身だ? ファッションモデルか?)

「あの。ずっと私を追いかけたようですが、何か御用でしょうか?」

 レイスはおずおず尋ねてきた。背中を少し丸めて、マリの顔を伺い見ようとしている。


「い、いやさ……あたしは……」

 マリは肩に提げていたメッセンジャーバッグに手を突っ込む。仕事柄、身分を偽る小道具を幾つか用意してあるのだ。

「そう、写真家。フリーのね。これ名刺」

 マリは冷や汗を背中にかきながら、偽の名刺を渡す。


「ええと……あの、カメラは?」

 しまった。マリは一瞬固まる。一番肝心なものが無い。上手い言い逃れを見つけようと頭を必死に回転させ、同時に吐き出す。

「今の業界はね、携帯端末が有れば何でもコト足りちゃうの。撮影から編集、出稿まで何でもござれ!」

「そ、そうなんですか。すみません、疑ってしまって……」

 勢いに気圧されたレイスが謝ったのを良い事に、マリはダメ押しを試みる。


「いやね、今度雑誌で下町の風景を特集する事になってんのよ。そしたら偶然えらい別嬪さんが下を通りかかったもんだからさ。こりゃあ是非ともシャッターに収めなきゃーとか何とか思ってね。つい追っかけちまったってワケ。気を悪くさせて済まないねえ」

「そんな事は無いです。でもごめんなさい。私、写真とかそういうのは……」

(うん。私も撮る気ない!)

 言いくるめに成功したと確信したマリは、心の中でハッキリ答える。それから、所在なさげに佇むレイスに、マリはこう言った。

「そうかぁ。残念だけど仕方ない、諦めるワ。その代わりなんだけどさ、お茶くらいご馳走させてくんない? 驚かせちゃった分、なんか返しとかないと気が済まない性質でさぁ」


 ここで時間を稼いで、こっそり傭兵どもに連絡しよう。そうすれば、上手い具合に引き渡せるかもしれない。

「で、でも……そんな悪い……」

「近くに良い店知ってんのよ。ちょっとボロいけど美味しい穴場。大丈夫だいじょうぶ、治安ならあたしが保障するし、代金は取材費用で何とかなっちゃうんだから!」

 マリは殆ど強引に話を進めてしまう。戸惑ってばかりのレイスは一言も返せず、ついには手を引っ張られるまま、付いて行く事になってしまった。


 ………


 情報屋のマリは嘘とデタラメであれば八百以上を瞬時に喋り倒せると自負する女であったが、店選びに関しては正直で真摯だった。


 選んだ喫茶店は街区の特徴そのもの。 外観も内装も、まるで歴史の端に引っかかったまま取り残された古ぼけ具合である。

 洗練された美しさは微塵も無いのだが、磨りガラスから差し込む淡い陽光に、すっかり陽に焼けて色褪せた内装が、懐かしさを錯覚させる味を醸し出していた。


「どう?」

 したり顔でマリが訊いてくる。

「素敵なお店だと思います」

 レイスは正直に答えると、目の前に置かれたカップをそっと両手で包んだ。

 温かい。

 体は大きく変わってしまった。でも五感は以前のまま、だからこうして温もりを感じ取る事ができている。


「お姉さん、この辺りに住んでるの?」

 身分を偽ったまま、マリは尋ねた。

「はい。最近この近くの下宿を借りました」

 レイスは上目遣いに答える。店特製のブレンド茶で、それなりにリラックスしているように見える。一方で翡翠色の目には、相変わらずの強張りが残っていた。


「どうにて。初めて見た時はさ、下町の人っぽく無いなぁって思ったんだ。なんか雰囲気に出てるよね育ちの良いお嬢様って感じで」

「そ、そんなこと……ないです」

「まーたそんなゴケンソン。こんな美人が一人下町暮らし。何があったか事情は聞かないけどさ、ここに住むなら、周りには気をつけな。美人さんなんだから、そこらの男どもが黙っちゃいない」

 マリは意地の悪い微笑みを作り、ちらっと後ろを見やる。


 店内には他にも客が数人いた。その内、円卓を囲む四人の男達が、さっきからチラチラと、こちら側を盗み見ていたのだ。二十〜三十代の若者で装いは学生風、茶や軽食を囲んで小声で話し合っている様子だった。

 レイスもマリと同じようにチラリと見やる。 

 若者達の中に坊主頭の男が一人居た。乏しい表情、にごった生気のない目、その下にある古傷。


(あっ)

 レイスは思わず声があがりそうになるのを堪えた。その代償に青白い細面が、ますます青くなっていくのだけは止められなかった。

「どったの?」

 彼女の動揺ぶりにマリは不審感を抱く。

「何でも無いです」

 怪訝な視線を察したレイスは先んじて否定、強張った顔をそっと逸らす。


 人違いで無ければ、坊主頭は昨日すれ違った二人組の片割れだ。あの後、近くの交差点では爆弾事件が起きて、大勢の人々が傷ついた。

 レイスは今朝から嫌な予感を抱えていた。

 あの晩、通りの奥で聞こえた会話。あれは事件に関係しているのではないか。そして会話の主達があの事件を起こした。

 もしそうだとすれば……。

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