第3話



 バーレルセル。

 何世代も休まず稼働を続ける超巨大エネルギー高炉「ギョクヨウ」を中心に、幾層もの地区が存在する多層構造都市だ。

 その広がりは留まる事を知らず、まるで生物の細胞よろしく日々増殖を続けている。


 スミシマ街は止まらぬ再開発の波にも呑まれず、進んでいく時間にも取り残されてしまった地区だ。

 そんな古ぼけた一角を、レイス・モランは薄ぼんやり眺めていた。


 朝日を浴びる小道に沿って、古めかしい家屋やらボロ小屋じみた露店やらが不均等かつ雑多に建ち並ぶ。建て付けの悪い小窓から見える景色に代わり映えはなく、往来で見かける住民達も、いつも通りのんびりしている。


 そんな彼らと通りを一枚隔てた先にあるのが、いつもよく見る、忙しなく賑やかな街並み。

 一つの街で二つの世界が隣り合っている。そんな見え方であった。


(私は帰って来れたのかしら?)

 レイスはそっと目を伏せた。


 <窓>を潜ったのは一年前。戻ってくるまでの間……1年分の記憶が一才ない。潜った途端に意識は絶えて、目を覚ましたら、スミシマ街の外れに倒れていた。

 そしてこちら側に戻ってきてからというもの、レイスは自らの帰還を世間に知らせる事をせず、アテもなく街中を彷徨う日々を送っていた。

 来る日もくる日も、レイスの心を締め付ける、一つの疑問……。

(帰ってきたのは、本当に私なの?)

 非現実的な悲劇。そして手に入れてしまった謎の力。あらゆる出来事がレイスを混乱させ、気持ちを乱す。


 落ち着かない心はまず、やり場のない怒りを産んだ。レイスは感情の赴くまま、自らをめちゃくちゃにした<窓>や、そこから出てくる怪異を、手当たり次第に壊した。

 言ってしまえば八つ当たりだ。最初のうちは少しスッキリした気分になったが、時が経つとまた元通り。

 怒るだけ損だ。物悲しさに襲われていると、今度は根拠のない妄想がふつふつと沸いてきた。


 ここにいる自分は、記憶だけを受け継いだ偽物。

 今ここで、自分だと思っているのは、レイス・モランに化けた異形の存在。

 だとしたは、本物の私は、もう……。


「……帰ってたのかい?」

 不意に後ろから声をかけられた。

 振り返ると、部屋の入り口に中年の女性が一人、立っていた。

 下ぶくれのある丸顔に、ビア樽を思わせる大柄な身体。丸と曲線で構成されたような彼女は、気怠げにレイスを見やる。

「昨日はずいぶん遅かったじゃないか。どこほっつき歩いてやがったんだい」

「すみません……」

 レイスは小さく頭を下げて謝る。

「謝って欲しかったんじゃない。あたいなりにね、心配してんのさね。女一人で夜中に出歩くなってね」

 中年女は腰に手を当て、大きなため息をつく。

「まあ、アンタがふらっと居なくなるのは今に始まった事じゃないし、言っても聞くタマじゃなかったわね。まあ良い、下に降りてきな。朝飯だよ」

「あ、あの。大家さん、私……」

 レイスは躊躇うように口を動かす。

「いつもの『食べたくない』は無し! 飯がダメならスープだけでも飲みな。今日こそは腹に何か入れて貰うよ!」

 中年女がズカズカ部屋に踏み入り、レイスの細い手首を掴む。すると彼女は、はっとしたような顔つきになった。

「何だいこの細っこい腕。まるで枯れ枝じゃあ無いか。飯を食わないから、こんな風に痩せ細っちまうのよ。さあ飯よ、飯!」


 …………


 ……スミシマ街の下宿に身を寄せたのはつい先週のこと。それまでアテもなく都市じゅうを彷徨い続けていたレイスは、大家によって半ば強引に入居させられた。


「飯は各自で用意する決まりなんだけどさ。アンタみたいに飯もロクに食えない住人を放っておく程、薄情でも無いよ」

 大家は日当たりの悪い台所にレイスを連れ込むと、大鍋に火を入れた。

 元々が古い建物であるだけに、台所は壁も床も古ぼけて小汚い。座らされた食卓テーブルには、テープや鍵で補修された跡まであった。

「あの……どうして?」

「あん?」

「どうして、お部屋を貸して下さったんです?」

 そうさねぇ。煮え出した鍋を掻き回しながら、大家は答えた。

「初めて会った日、ウチの軒先で雨宿りしとったでしょう。いかにもワケしか無さそうな、辛気臭い顔して。見ちゃいられなくてさ、ついお節介焼いちまった。そんだけ」

「ここまで親切にして下さるのに、ごめんなさい。お金は今……」

「はんっ。ウチに住んでる奴らで、マトモに家賃払ってるヤツは一人もおらんよ。それが一人増えた程度さね!」

 がははと笑い飛ばす大家に、レイスは面食らう。その内に、下宿人達がドヤドヤと台所に入ってきた。


 男が二人、老人が一人。そして年若い女性が一人……全住人達である。

「あら、お姉さん。朝に見るのは珍しいネ」

 若い女がレイスの隣に座る。香水の甘だるい匂いがレイスの鼻をくすぐった。

「おばちゃん、ごめん! いつもの!」

 若い女は旧式サイバネ義手を合わせて頭を下げる。すると、痛んでうねる桃色の髪が縦に揺れた。


「あいよ」

「俺たちも頼むよ、大家さん。今日給料が入るからさ、後で家賃と一緒に返すからさ」

 男達も苦笑混じりに願い出る。

「返ってくるんなら、しょうがないねぇ」

「母さん。飯はまだかのう?」

 掠れ声で尋ねる老人。

「分かった、わかった、ボケジジイ。もうすぐできるから、大人しくしとけ」

 一気に騒がしくなる台所。面食らったレイスは目を白黒させながら、テーブル端の席へひとまず逃れた。


「ひょっとしてお姉さんも、甘えに来ちゃったクチ?」

 若い女はレイスの隣りに座り、小首を傾げて尋ねた。

「え、えと……」

 答えに迷うレイスは困ったように眉をひそめる。


「なぁに恥ずかしがってんの!? 良いんだよお、あーしもカネ無い時はさ、おばちゃんに飯貰ってっし。大して美味くないけど、腹は膨れるし」

 口を開けて笑う女。よく見ると舌の先は二又に分かれているし、痩せぎすの身体は所々義体に置き換え、ネオンタトゥーまで埋め込んでいた。

「やい、ジェラート。文句あるんなら、今以上に働いて稼いでくるんだよ!」

「嘘ウソ。感謝してますよー、おばちゃん」

 若い女……ジェラートはヘラヘラ笑う。そうこうしている間に、大家はスープを注いだ木椀を、レイスの前に置いた。


 クタクタの葉っぱ、形を失って崩れた根菜、ハムの切れっ端。お世辞にも食欲をかき立てるような料理では無い。

 でも……。


「ほれ。冷めない内に食べた、食べた!」

 大家がニカっと笑う。その笑顔をまじまじと見ていたレイスは、そっと木椀に手を伸ばした。



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