第2話


 レイスは人気のない裏路地を歩いていた。

 目的地は特に無い。ただ近くに降り立ったので、少し歩き始めた。単なる気まぐれである。


 住んでいる区画はここよりも離れているが、霧になって飛んでしまえば、すぐに着く。ただ、今日は何となくだが、すぐに帰りたくなかった。


 理由など無い。

 少しだけ……ほんの少しだけ、寄り道をしてみたくなったのだ。


 そんな風に細い道をあてもなく彷徨う。

 時刻は分からない。時計なんて、もうずいぶん前からしていないから。

 でも、小さな食堂が灯りを消しているし、道に面した平家のほとんどが、暗く静かであるから、きっと夜も更けているんだろう。

 などとボンヤリ考えながら、レイスは尚も歩き続けた。


 その内に別れ道に出くわす。片方からはひそひそと、複数人分の声が風に運ばれて来ていた。

「午後九時……時計は合わせたな。よし、作戦は十分後に決行だ」

「全部は持っていくな。ソメヤ公園の部隊にもを分けなきゃならん」

「それならついでにコイツも持って行け。大通りは必ず避けろ。保安局が子飼いの傭兵共を待機させてるって噂だ」

 穏やかな話では無さそうだと思っていたら、複数の足音が近づいてきた。


「おい。そんなに急ぐな。そいつは繊細なんだ、気をつけろ」

「わかってる。しかしヤケに軽いが、こんなので……」

 道の奥から男が二人やって来た。

 一人は、革の鞄を肩に掛け、もう片方の手で下部を支え持っている。そしてもう一人は、生気のない濁った目をして、顔には横一文字の古傷がはしっていた。


 そんな彼らはレイスの姿を見るなり、口をつぐみだした。そして彼女と目を合わせないように、足早に通り過ぎていく。

(巻き込まれたくない)

 こちらも目を合わせたらダメだと思い、レイスも目を伏せ、逃げるように別の道へと歩き去った。


 ……それから10分後。同じ道を今度は学生風の若者が一人、小走りに進んでいた。

 パーカーに赤ジャンパー、ジーンズ姿。頭には野球帽を目深に被り、大した速度でも無いのに、息を弾ませて路地裏を通り抜ける。


 すぐ目の前には、大いに殺気立って喚き叫ぶ人々。

 生活苦を嘆きを怒りに変える者。問題改善を主張する者、横暴な公務員の弾劾を叫ぶ者。単に吠え狂って暴れ散らかす者……あらゆる負の感情がない混ぜになり、群衆を形成していた。


『これは人々を正しく導くための闘争だ』

 リーダーはそんな事を言って、俺にこのカバンを託した。


「紐を引き抜いて警官隊に投げる。紐を引き抜いて警官隊に投げる。紐を……」

 ぶつぶつぶつ。教えられた内容を僧侶の如く暗唱し続ける若者。彼はカバンを胸の内に抱えたまま、群衆の中へ潜り込んだ。


 人の波に押されながら、時には肩で押して抜け、前に前に進んでいく。

 やがて彼は群衆の最前列手前、投石と火炎瓶攻撃を繰り返す一帯まで接近した。


「紐を引き抜いて……」

 カバンからはみ出ていた赤い紐を抜く。

「警官隊に向かって……」

 ベルトを掴んで助走をつけようとした……その時である。


「同士諸君。追加分を持ってきたぞお!」

 威勢よく声を張る全裸中年男の集団が、人垣かき分けて後ろから走ってきた。彼らは木箱いっぱいに入れた火炎瓶を運んできたのだ。


 そんな彼らに気付くのが遅れた若者は避けられずに先頭の禿げた全裸中年男と衝突。前のめりに倒れてしまう。

 転倒の際にカバンが地面にぶつかった。

 しまったと絶望する若者。彼の意識はほんの一瞬で途絶えた。


 だがそれは、彼にとって幸いだったかもしれない。

 すぐ目の前で起きた爆発は、彼が痛みを味わう時間を殆ど与えず、肉体を粉々に吹き飛ばしてくれたのだから。


 ………


 群衆の前列付近で突然大爆発が起きた。

 その映像を見ていたラーキンは、血相を変えてバンの車外へと飛び出した。

 交差点の反対側では激しい火の手が上がっている。そんな中、夜空からは衝撃で吹き飛ばされた、大量の破片が、辺り一帯に降り注いできた。


 ラーキンのすぐ近くにも、石くれや熱を帯びたガレキなどが落ちてきた。

 更にはドサリと質量ある物体まで……。


「マジか」

 彼は足元に落ちた物体に絶句した。

 腕だ。肘から先で千切れた挙句、赤黒く焼け焦げてしまった人間の腕。


「ああ……クソ……」

 ラーキンはモヒカン風に刈り上げた頭を抱えて毒づく。

 交差点の向こうからは、人々の悲鳴や絶叫の大合唱までもが聞こえてくる。身につけていた携帯無線機は、混乱する通信の数々を拾い、彼の思考をより掻き乱した。


〈爆発だ。交差点のあちこちに死傷者が……屋上からでは数えきれない、死傷者多数!〉

〈上空のドミノ11からユニフォーム0へ。群衆がパニックを起こして潰走を始めたよ。後方に向かって移動中〉

〈なんだってんだ? どうしたんだ、大勢こっちへ逃げてくるぞ……どうする、みんな捕まえるのか!?〉

〈今の爆発は何だ、何が起きている!  ユニフォーム0、応答しろ、ユニフォーム0!?〉


〈落ち着け。全ユニット、こちら指揮車・ユニフォーム0。群衆側で爆発が発生、過激派による爆弾攻撃の可能性有り。付近の警戒を密し、規制線の外を越えようとする奴らは、全て拘束しろ〉


 ファズは無線を使って全隊員へ指示を出す。

 同時に武警隊でも検挙の命令が出ていた。

 盾と警棒を手にした隊員達が、もくもく立ち込める黒煙の中へ突入。


 ある隊員は逃げ惑う市民の背中を警棒で殴り、またある者は盾で押し倒したり、またある者は盾の底辺で逮捕者の脚を砕き折って身動きを封じていく。

「放水車は水を絶やすな。放水が味方に当たっても構わん! 動きを止めてしまえ!」

「救護班を前進させろ。敵味方問わず負傷者は運び出せ」

「消火班もだ!」


 絶え止まぬ喧騒の中で、ラーキンは急ぎバンに戻ってきた。

「都市警が突っ込みだしたぞ」

 大いに動揺しているせいで、声も裏返りかけていた。

「ああ、しっかり見えてる。消火に救護に検挙まで、一度にやろうしちゃって」

 ファズは画面を見たまま、落ち着いて答える。

「フーバー……」

ラーキンが口にしたのは『めちゃくちゃ』を意味するスラングだった。


「しっかし、路上に残っている炎、規模が尋常じゃあないな。連中が持ってきたナパーム入り火炎瓶にでも引火したかな?」

 冷静に振舞ってはいるが、彼の横顔からはすっかり血の気が引いていた。

「いやそれよりも爆発の威力も見過ごせんな。もしあんなのを投げ込まれたら……」


「ねえ、ファズ。警備部門からは、どれくらいの人員を借りて来たの?」

 徐にシェイナが声を掛けてきた。緊迫した状況だというのに態度に変化は見られない。相変わらず、のほほんでぽややん。


軽く戸惑いながらも、ファズは答える。

「え、はい。ざっと二個小隊ほど。どちらも阻止線が突破された時の予備役で、武警隊の背後と群衆側の背後に、一個小隊ずつ配置しています」

 説明をしながら、ファズは補助ディスプレイに道路地図を表示。図面上には各チームの配置場所も記されていた。


 ブラックドッグズは戦闘集団だが、人員には限りがある。

 今回のような暴動対応のような、より人手が必要である場合、スプライト社は警備部門から部隊を派遣する契約になっていた。故に彼らはブラックドッグズのロゴマークを付けず、代わりにスプライト社の社章である、妖精のワッペンを身につけているのだ。


 さて……。

 シェイナは地図をひと通り見ると、予備のヘッドセットを装着。マイクスイッチを入れた。

「ユニフォーム0から全ユニット、聞こえますか? 武警隊の背後は警備小隊に任せて、手分けして両サイドを固めて頂戴。配置場所はこれから各員の端末に送るわねぇ」

 幼稚園の先生よろしく、間延びした口調で指示を出していく。状況が状況だけに、異様な態度である。

(この人といると調子狂うんだよなぁ)

 準備中のラーキンは浮かぬ面持ちで、金網ケースから散弾銃を引っ張り出した。

「食後の運動時間だぞ、旦那」

 ラーキンは席を立ったファズに、散弾銃を投げ渡す。

「年寄りにはキツい運動だ」

 などとボヤきながら、ファズは受け取った散弾銃を片手でコッキングしてみせた。


「……ま、こうなってしまった以上、何もかも手遅れなんだけどね」

 不意にシェイナが口走る。男達二人は面食らったように動きを止めた。

「どういう事です?」

 不審に思ったラーキンが尋ねる。するとシェイナは困ったような苦笑いを浮かべた。

「あそこまで立派な爆弾を持ち込むような連中よ。退路は確保してあるし、主要メンバーはとっくに逃げている筈」


「それじゃあ、手遅れ?」

「かもしれない。でもね、収穫が無いと分かっていても、やりましたって実績を作らなきゃならないのが組織なの。あーあ、こんなみっともない姿、ウチの子達には見せたく無いわねぇ」

 などと、いつものぽややんとした調子で話すと、混乱冷め止まぬ現場を写したモニタへ顔を向けた。


 その横顔には普段の彼女らしからぬ、冷たい光が表に出てきていた。



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