第10話

 


 話している学園長の体がだんだん萎んでいく。それも物理的に。

 ラーキンにはそのように見えてしまった。


 溜まっていた悪いガスが抜けて、本来の人間にでも戻っていく。そんな児戯ともいえる想像を振り払い、アルバーグに向き直る。


「ここは是非、部長殿のご意見を賜りたいね」と、傭兵は肩を竦めて尋ねた。

「ナギー・モランは旧校舎に居た所に襲撃を受けた。行方不明となった彼女があのような形で姿を見せたという事は、封鎖された旧校舎に<窓>がある可能性がある」

『ハイダー』という秘密の単語は伏せ、冷静に意見を述べるアルバーグ。しかし学園長は彼が発した<窓>の単語に反応し、顔を絶望一色に染めた。

「<窓>……なんですって。学園の中に<窓>が……あ、嗚呼……」

 学園長は頭を抱えて泣き出した。


「レイス……ごめんなさい。私は貴女に酷い事を……学園の看板なんて、ちっぽけな事にこだわってしまった。貴女を守るって約束、守れなくてごめんなさい……」

 とうとう学園長は床に突っ伏し、おうおう大声で泣き出してしまう。豹変ぶりに面食らうラーキンにアルバーグはそっと耳打ちする。


「学園長はレイス・モランの後見人だった。それはお前も聞いたな?」

「ああ」

「人間は得てして、立場の為に自己を捨てなければならない時がある。しかし、彼女はやり過ぎた。押し殺し過ぎた。それが事件の隠蔽を誘発させてしまった。ここでレイス・モランを案じて咽び泣く女こそ彼女の本性だ」


「だがよ、アルバーグ……」

「無論、だからと言ってこの女への情など微塵もない。然るべき報いは受けてもらう」

 アルバーグはラーキンを制して全て言い切った。それから、執務室に入ってきた捜査員を見やる。警備員に殴られて、突破されてしまったらしい、顔にアザが出来ていた。


「学園長含め、ここにいる連中を都市警に引き渡せ。それと来月以降、ブラックドッグズに格闘訓練の講師をして貰うよう手配する。キツくしごいて貰え」

 サングラスと仏頂面でさえ隠しきれない憤りが表に出てきていた。上司の怒りを感じ取った捜査員は顔を真っ青にしながらも、一先ずは任務に取り掛かった。


「あのぅ先輩に部長。質問なんスけどぉ。もしモラン先生が潜った<窓>が旧校舎にあるとして、どうしてこの一年、異変が起きてないんスかねぇ……?」

 そっとナギーが質問してきた。ラーキンはモヒカン風の長髪を掻いて答える。

「<窓>ができたとしても、こちらの世界に影響が出るのに、時間が掛かる場合もあるんだ。今回の場合は異空間と繋がっても、未だ異変が起きず、旧校舎のどこかで開きっ放し……ってパターンらしい」


「或いは少しずつ侵食が始まっている。いずれにせよ、旧校舎の再調査は装備を整えた上で念入りに行った方が良いだろう。ブラックドッグズを投入したいが、主任の意見は?」

 アルバーグが尋ねるや、ラーキンは電子端末を取り出してみせた。

「大賛成。待機中のロメオチームを寄越すし、には俺から言って……」


 彼の話を遮る着信音。相手はマリだった。


「どうした、マリ。今は忙し……」

〈いい、一大事八大事大大事いちだいじおおだいじはちだいじぃ! 旧校舎の電力が復旧しちゃってる。誰かが校舎内の予備電源を入れたんだ!〉

 ラーキンは咄嗟にスピーカーへ切り替える。後半辺りは聞こえたのか、アルバーグとナギーが集まってきた。


〈しかもだよ、今さっき生徒が一人入って行ったんだ。あのアリッサって子〉

「何で先にソレを言わない。クソ!」

 ラーキンは話が終わる前に部屋を飛び出してしまう。


「せ、先輩!?」

 追いかけようとするナギー。だがそれをアルバーグが止める。

「待つんだ、ナギー・スミス。君は司令部を呼び出せ。コード404……ブラックドッグズに出動要請!」


 ………


 ……刑事さん達が開けたのだろうか。

 旧校舎の入口が開いている。取れたドアが投げ捨てられて、玄関前に転がっていた。

 アリッサは夕焼けを浴びる赤い旧校舎を、ぼんやり見上げた。

 今なら入る事ができる。一年前、レイス先生と会う約束をした。いまここに先生は居ない。そんな事わかっている。


「でも……」

 アリッサは両手を固く握りしめた。


 ふとよぎる、モラン先生の顔。

 押しに弱くて、いつも困ったような微笑みばかり浮かべてる。でも、みんなに優しい先生。どんな子にも親身に向き合おうと頑張ってた人。みんなそれをよく知っていたから、先生が好きだった。


 私もその一人……。


 刑事さん言ってた、先生は生きてるって。

 ここには居ない。それは知ってる。

 でも……。


「刑事さん言ってた。下ばっかり見ちゃだめ。顔を上げて、先生の顔を見れるように」

 アリッサは深呼吸をして旧校舎に踏み込んだ。


 先生と補習授業で使っていたのは一番端の教室。他の教室より少し綺麗で、少し清潔。

 後で知ったんだけれど、レイス先生の学級で、その時の担任の先生が、今の学園長だったって。


 先生言ってた。昔は体が弱くて授業休みがちだったって。その時は、学園長が勉強を教えに寮まで来てくれたんだって。


 先生、せんせい……。

 懐かしい旧校舎の廊下を駆け足で進むアリッサ。少女はレイス・モランと過ごしたひと時の記憶を思い浮かべながら、約束の地へと向かっていく。


 やがて少女は、ラーキン達が足止めを食らった防火シャッター前まで来ていた。

 彼女が到達した頃には、シャッターもすっかり開ききって、天井に収まっていた。故に彼女は見てしまったのだ。


 学園長があの日見てしまったのと同じ光景を。


「え?」

 足を止めるアリッサ。彼女は廊下にこびりついた、それを凝視してしまう。

 彼女はすぐに判別できなかったが、まさにソレは血液であった。

 床、それに壁。

 とにかく黒、黒、黒。

 乾いてへばりついた血液があちらこちらに、塊のように散っている。


 かつては血液だったそれらは、赤褐色ではなく、もはや黒い線状となり、暗がりの奥へと続いていた。


 明らかにここで何かが起きた。


 アリッサはそれを直感的に知ってしまい、その場にへたり込んでしまう。

 混乱する頭でどうしたら良いか、最適な方法を探ろうにも「逃げる」しか思いつかない。


 逃げて、逃げて……とにかくこの場から立ち去るほかない。

 でも動かない。自らの四肢がちっとも動かない。どれだけ後ろに下がりたくて、手足をジタバタさせたくても、少したりとも進まない。


 目の前に広がる非日常がアリッサの体を掴んで離さない。むしろ引き込もうとしている。

 そのような表現は、普段であれば詩的に聞こえたであろう。


 だが現実は違う。無数の蔦が闇の奥より這い出て来て彼女を掴んでしまう。

 蛇のような軌道で押し寄せる蔦の数々に対して、非力なアリッサに振り払う力などある筈も無く、あっという間に引きずられてしまう。


 アリッサは悲鳴を上げた。

「助けて! 誰か!」

 助けを求めた。しかし彼女の声を聞く者など、この場にいる筈も無い。それはアリッサがよく知っている。


 故に彼女は、床に立てた爪がはがれて行くに連れ、抵抗を諦めようとする。


 だがその時だ。


 廊下に放り出されたアリッサの電子端末が勝手に起動。眩い閃光を発して、一人の人間を飛び出させた。


「ちょいと待ったあぁ!」

 閃光はアリッサの側に落ち、瞬く間にヒトのカタチへと変わる。

 彼女は己が姿が鮮明になるより早く動き、アリッサの体を掴んだ。


「<窓>を潜らせてなるもんかい。こんな女の子にさあ!」

 マリ・シュガールは、復元したての体に精一杯の力を入れて吠えた。アリッサの端末を介してダイビングを試みた彼女は、間一髪の所でアリッサの危機に馳せ参じたのである。


 しかし、質量ある人体に戻った所でマリ一人では蔦の引く力には対抗できず、二人して引きずられるしか無かった。


「助けて……モラン先生……」

 アリッサはか細い声で、ここにいる筈の無い人物へ助けを呼ぶ。

 すると蔦の力が急速に弱まりだし、アリッサへの拘束も緩み出した。

 この隙にマリは絡まる蔦を引きちぎって脱出。

「何なのさ一体?」

 暗がりへ退く蔦を唖然と見やっていると、ラーキンもようやく駆けつけて来た。


「無事かテメエら!?」

 ブラスタを構えて二人を庇うように前へ出る。

「な、何とかね。蔦がたくさん襲い掛かってきてさ。ヤバかったんだけども、それが勝手に逃げてったんだ」

 説明を聞きながら、ラーキンはアリッサの容態を確かめる。

 外傷は両手の爪が何本か剥がれた程度。本人は気絶しただけで命の別状は無い。


「アンタが来て逃げた?」

「それくらいでビビるタマなら良いが。おい、マリ。この子連れて外に出ろ」

 ラーキンは二の句を告げさせる暇も作らず、また廊下を駆け出した。


「あ、おい。ちょいと! せめて脱出の援護……んもう。勝手に死ぬなよ!?」

 マリは暗闇に吸い込まれるラーキンの背中に声をかけると、アリッサを抱えて脱出を始めた。


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