第6話



 学園長室がある事務所は、一階建の小さな家屋であった。煉瓦を組み上げた古風な外観は、落ち着きと厳かな風格を備えていた。


「しっかし、わざわざ校舎から自分の事務所を切り離して、こんなのを建てるとはねぇ」

 ラーキンが腰に手を当て、胡乱な目で建物を見上げてボヤく。ナギーは「拘りがあるんでしょう」などと、相槌を打ちながら、玄関のブザーを鳴らした。

「どちら様でしょうか?」

 スピーカーから、女性の訝しむような声が聞こえてきた。

「保安局の者です。面会を希望していたニコラ・ラーキンと、ナギー・スミス」

 ナギーが携帯端末で電子身分証を見せ、ラーキンが入館IDを掲げる。


「面会……今日はそのような予定は……少しお待ちください」

 声の主は明らかに慌てていた。


 しばし後、玄関ドアが開いて、スーツ姿の若い女性が顔を見せた。ネームプレートには秘書の肩書きと氏名が記載されていた。

「申し訳ございません。おそらく何かの手違いでメールが送られてしまったのだと思います」

「ええ、そんな筈は無いです。我々は学園長先生にお尋ねしたい事があって、こうして来たんですから。なあ、スミス君?」

「その通りっス。ちゃんと正規の手順で面会の希望を出したっス。だからほら、こうしてIDが……ねえ? これ手違いだとしたら、何かこう……システムの不備ってヤツ?」

「それは大変だ。早く直さないと、今後もこのような手違いが出てしまう。お節介かもしれませんが、知り合いの業者を紹介しましょうか。きっとすぐにでも来てくれますが?」


「し、少々お待ちください……」

 秘書の女性が慌てて室内に戻った。ドタドタ聞こえてくる足音に、男二人は意地の悪い笑みを作った。

「先輩も人が悪いっつーか、何つうか。秘書の人が可哀想に思えてきたっス」

「テメエだって乗っかったじゃあねぇか。俺ばっかり悪人にすんな」

 二人が小声で話していると、秘書がまた戻ってきた。

「お待たせしました。学園長がお会いになるそうです。どうぞ中へ」


 ………



 通された応接室も中々の立派な空間であった。

 門外漢のラーキンでさえ、落ち着いた色合いかつ、綺麗に整えられた調度品の数々には目を見張らざるを得なかった。

(見た目は地味だが高級品なんだろうな)

 ラーキンはますます居心地の悪さを覚え、足元の絨毯さえ気掛かりになってしまった。


「ようこそお越し下さりました」

 奥の扉から女性が入ってきた。赤いシャツに黒のロングスカート姿、中肉中背でおそらく初老……などとラーキンは見当を付けた。

「私が当学園の学園長です」

 面長な顔は無表情、というより感情を押し殺して冷たい態度を取っているような気配がある。

 そんな彼女に勧められるまま、ラーキン達は応接ソファに並んで座った。


「お時間を頂きましてありがとうございます」

 ラーキンは丁寧な口調でまず謝意を伝える。

「保安局の方と伺いました。どのような御用件でしょうか?」

 学園長がじっと二人に視線を注ぐ。無表情の仮面を被ったままだが、刺々しい声の雰囲気からして、予期せぬ来訪者を疑っているのは間違い無さそうだ。

「単刀直入にお伝えしますと、我々はレイス・モラン先生の行方不明事件を調査しています」

 ラーキンは正直に打ち明けた。

「あの事件については、警察に全てお話ししたつもりです。今さら何故?」

「……まだ確定では無いのですが、最近起きた別の事件で、彼女らしき人物が目撃されました。だからもう一度、モラン先生の一件を調べ直さなければならなったんです」

 そこまで言うと、彼は携帯端末を開き、画面を学園長に見せた。それを横から覗いていたナギーは、戸惑った。

 何しろラーキンが見せているのは、廃工場で目撃した黒衣の女であったからだ。まだ公表されていない内部資料。迂闊に外部に漏らして良いものではない。

(部長にバレたらコトだぞ、これは……)

 息を呑むナギー。一方で学園長は突き出された画像を凝視していた。

「如何です。この女、モラン先生ですかね?」

 ラーキンが問うと、学園長は静かに頷いた。

「……モラン先生だと思います」

 ほんの一瞬だけ、学園長が眉間にシワが寄る。

「ずいぶん印象が変わっていますが、おそらく彼女でしょう。何処で先生を?」

「すみませんが、捜査中ですのでお答えすることができません」

 ラーキンは携帯端末を引っ込めた。その最中、ふと学園長は小さく呟いていた。

「よかった……」

 心なしか、頑なに固めていた無表情も緩み掛けていた。レイス・モランの生存に安堵しているのだろうか。などとラーキンは思った。

「俺たちが注目しているのは、行方不明になってから目撃されるまでの足取りっス。可能な限りで良いっス。先生が居なくなった日の事、もう一度、お答え頂けないっスか?」

 気を取り直したナギーが言葉を継いだ。

「そうなのですか。ですが先刻申し上げたように、警察の方々には、知っていることは全てお話ししました。あれ以上のことは特に何もありませんよ」

 学園長は即座に答える。二の句に詰まったナギーの代わりに、ラーキンが話題を切り出した。

「気になっていたんですが、最初の通報者は学園長でしたね。家族ではなく、貴女が」

 ここで学園長の無表情が初めて崩れた。迷いを覚えて視線を泳がせている。ラーキンは彼女の言葉を待った。

「モラン先生はこの学園に入学して間もない頃にご両親を亡くされました。幸い当学園は全寮制でございますので、モラン先生は


「あれ? でも流石に後見人はいる筈っスよね。十代の女の子を身寄り無いまま、放置する訳にもいかんでしょうし」

などと口を挟んだのはナギー。

「私がモラン先生の後見人です。進路や行政手続きに必要な場合にのみ、私の名前を使わせました。この学園は、大きな舞台に立つにふさわしい婦女を育てる場。故に彼女達には立派に巣立っていただなくては。だからこそ、可能な限りの助力は惜しまない、それが学園の方針にございます」

学園長の言葉には、ハッキリと重みがあった。本気だ。この女性が発した今の言葉には、彼女の本気が表れていた。


「……すみません。話が逸れてしましたね。私が届けを出したのは、他に彼女の安否を知る者が居なかったから。それだけです」

それだけの事。前後の台詞との感情の乖離に違和感を覚えつつも、ラーキンは質問を重ねる事を優先した。

「いつですか。先生が居なくなったことに気付いたのは?」

「退職届けを受理してから三日後でしょうか。先生は学園内の宿舎で生活していたのですが、そちらの荷物が手付かずのまま。肝心の本人の姿が見えなくて心配になり、それで警察に相談したんです」

 学園長の証言は一年前に聴取した時と変わりない。言い淀みは無く、しっかり話してくる。

「先生の部屋は? もしかしたら手掛かりがまだあるかも?」

 と、ナギーが横から口を挟む。しかし、学園長は首を左右に振った。

「部屋の荷物は処分させて頂きました。後任の先生の部屋を確保しなければならなくて」

 ラーキンは再び端末を操作、当時の捜査資料をガラステーブルの上に共有投影させた。

「彼女が最後に目撃されたのが退職日。学園長のもとを訪れた時でしょうか」

「そうです。最後の挨拶をしに、執務室に来ました。そのあと学園を出たのだと思います。でなければ、学園内の誰かが彼女を見かけていますし」

 学園長の言う通りだ。行方不明といえども、大なり小なり痕跡は残る。

「そうですわね。この資料……監視カメラの映像。確かあの時、裏門のカメラが壊れたまま放置されていた。モラン先生はそこから出て行ったのではと……そのように話した記憶があります」

 この発言も相違ない。捜査資料の通り。

「あの……今さらなんスけど、どうしてモラン先生、退職しちゃったんスか?」

 おずおずと、遠慮がちにナギーが質問をした。

「モラン先生はその、心労といいますか、行方不明になった当時は、大分に気疲れしていたように見えました。元々体も強くなく、何事も考え過ぎるきらいがあったもので、よく寝込んでおりましたので……それがとうとう限界を迎えたのだと、仰ってました」

 ラーキンは学園長の話を聞いている内に、何処か引っ掛かりを覚え始めていた。

 理由はハッキリとは分からない。彼女基本的には表情を崩さず、受け答えもハッキリしている。証言内容は一年前と変わらない。

(気のせいか。それとも、本当に何かあるのか)

 ラーキンは投影された捜査資料に目を落とし、考え込んだ。

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