第4話


 バーレルセルは大都市というにはあまりに規模が大き過ぎた。

 増改築を繰り返し、日々広がり続ける多層構造式の都市の機能は小国に匹敵する。その様子を「都市国家」と喩える声もあるほどだ。

 それだけ大きな街だからこそ、抱える諸問題の数も並大抵の量ではなかった。


 その一つが治安だ。都市辺境に広がる最下層エリアのスラム化、凶悪犯罪の増加。そして異空間<窓>が絡んだ事件事故……。

 これらに対応する筈の都市警察機構、通称「都市警」の能力を超えた深刻な社会問題となっていた。


 事態を重く見た公安運営機関である保安局は、PMC『スプライト・セキュリティ社』に都市の治安維持任務を委託。凶悪事件鎮圧を目的に、特別編成されたコマンド対策部隊『ブラックドッグズ』を投入しているのである。


「……んでアンタは、そんなどうでも良い歴史の授業をしに、あたしに会いに来たってワケなの?」

 若い娘が気怠げに言った。タイトジーンズをはき、上にはひと回りサイズの大きい、カーキ色のフィールドコートを羽織っていた。


「それとも仕事の愚痴? だったらあたし帰るよ。これでも忙しいんだからさ」

 彼女はカウンタに突っ伏し、不機嫌な上目遣いでラーキンを見あげる。


「そう邪険にするな。物事には順序ってのがあんだよ。んで、俺はその前提をだな……」

 黒エールの注がれたグラスを手に、ラーキンは口籠る。

「……えーと。そうだな……クソ、アルバーグの真似はするもんじゃあねぇや。つまりだな、今日の事件はお上の手柄争いのせいで、余計な損害が出たって話。都市警は事件の凶悪化を理由に組織をデカくしたくてな。ここ最近は、俺たちの作戦にも余計な茶々入れて来るんだけど……」


「なんだい。結局は仕事の愚痴じゃないさ」

 指摘されたラーキンは反論せず、代わりに炭酸の抜け始めたエールを口に流し込んだ。

 時刻は午後三時。任務から解放されたラーキンは、根城にしている小さな喫茶店で、遅い朝食にありついていた。


 客は彼と連れの女だけ。

 ひと昔前のロックミュージックが、申し訳程度の音量で流れる店内で、歳の離れた男女が昼下がりの気怠いひと時を過ごしていた。

「もしかして俺の話し、愚痴に聞こえてた?」

「もしかしなくても聞こえてた。情けないぞ、元水兵」

「海兵だ。そのワザと間違えるのは止めろ」

 老齢の店主がカウンタの奥で船を漕ぐ中、客の二人はいつものカウンタ席に座り、いつものように会話を交わしていた。


「つーかね。あたしみたいな外様の下っ端はね、雇い主の更に上がどう揉めようが知った事じゃないの。必要なのはスプライト社から定期的に賃金が払われるか、それだけ」

「そのシンプルな考え、ぜひ参考にしよう」

 ラーキンは同調してみせると、徐に食べかけのフィッシュサンドを脇にずらした。

「……とまあ、世間話はここまでにして。ひと仕事頼まれてくれねぇかな、マリ?」


「仕事?」

 スプライト社の民間協力者、マリ・シュガールは黒目の大きな瞳でラーキンを見上げた。

 猫を思わせるような小さな顔に柔らかな輪郭は、血色の良い紅顔も相まって、どこか幼げに見えてしまう。しかし彼女はバーレルセルの法律上では成人……大人だった。

「保安局が、この写真の女の行方を追う事になった。俺たちも人探しの手伝いをする。んで、お前さんにも協力して欲しい訳だ」

 ラーキンは自身の携帯端末を操作、データをマリの端末へ送った。


 情報を受け取ったマリの端末は、共有式の立体映像を二人の間に浮かび上がらせた。

 画像に映るのは、ラーキンが現場で会った黒衣の女。作戦の最中、ヘルメットに取り付けていたウェアラブルカメラが捉えた光景を、画像化したのである。


「綺麗な女の人ね」

 と、マリは素直な感想を口にする。同性から見ても、黒衣の女の容貌は美人であるらしい。

「保安局の奴ら仕事が早い。ここに来るまでの間に、同じ顔の女を探し当てた」

 彼女の画像には住民情報も紐付けされて開示されていた。

「レイス・モラン。市内在住の27歳。昨年まで聖百合庵女学園に教師として勤務……退職直後に行方不明?」

 顔を上げたマリにラーキンは頷いた。


「届出自体はだいぶ経ってから。勤め先の学園長が警察に捜索願を出している。当時の所轄が調べた限りだと、学園を辞めたその日に消えちまった可能性が高い。んで、俺たちはこの女が<窓>を潜っちまって、ハイダーになってしまった……そう見当を付けている。目の前で変な力を使ってやがったからな、間違いは無いだろう」

 ハイダーという単語が出た途端、マリの表情が曇った。

「そう……それであたしを呼んだ訳ね」

「ああ。ただの人探しじゃあ無いからな。ここは詳しい奴に頼みたい」

 真剣に話すラーキンとは反対に、マリは浮かない顔つきでいる。

「無理にとは言わん。いつもの通り強制じゃない。フリーの契約を結んでいるんだ、お前さんにも選ぶ権利はある」

 マリは「うーん」と腕を組んでしばし唸った後、首を縦に振った。


「……やるよ。選り好みできる身分じゃないってコトくらい、弁えてるし。それにアンタらには世話になってるし」

「助かる」と、彼女からの返答に、ラーキンは口元を綻ばせた。

「でさ、この人を探し出したらどうするの? やっぱり、あたしみたいに協力させる感じ?」

 ハイダーのマリは猫目を細くして尋ねる。

「まだ分からん」

 水を向けられたラーキンは、軽く肩をすくめてみせた。


「何しろ敵か味方か、その判断すらつかないんだ。俺たちの話しに耳を傾けてくれりゃあ良いんだけれど」


 ………



 スプライト社は社員以外にも、多くの現地スタッフも抱えている。彼らは一般市民であり、外部協力者という側面を持っていた。


 彼らは独自ルートによる情報収集、物資調達、果ては表沙汰にできない秘密作戦への後方支援に協力し、報酬を得ている。彼らの存在は公的に認められているものではない。いわば、不正規戦部隊だ。


 そして、マリ・シュガールは、ラーキンが所属する「ブラックドッグズ」が、特に信頼を置く現地スタッフであり、<窓>を潜った異能者、ハイダーでもあった。


(信頼高の報酬安。請け負ったは良いけど、こんなにもしみったれた相場だと泣けてきちゃうね)

 ラーキンと分かれたマリは、ベンチに腰掛け、携帯端末を弄っていた。さっそく雇い主から依頼に対する前金が振り込まれていたのだが、その額は素直に喜べる額面でも無かった。

「……ま、ここは普段の飯代に免じて涙を呑んでやらうでは無いか、ラーキン君」

 などと呟き、何の気無しに顔を上げた。


 建物の隙間から覗く鉛色の空はいつも通りで、変わり映えしない。

 今いる居住エリアの上には、幾層もの街区が存在する。企業ひしめくオフィス区画、工場エリア、学校・研究都市圏、歓楽街……。


 そして、それらの中心となって、何世代もの間稼働し、都市全体の動力を生み出しているのが、超巨大エネルギー高炉「ギョクヨウ」だ。


 蔦のように絡みたく、おびただしい数のパイプ管からは白い蒸気を噴上げ、轟々と唸りながら、休む事なく稼働している。

 そのせいだろうか、都市の中でも高炉周辺だけが、いつも霧に包まれたように朧げに見えてしまうのだ。

 まるで不定形な<窓>みたいに……。


(いつ見ても不気味なんだよなあ、アレ……)

 マリはそう心の内で呟くと、腰を上げて歩き出した。

 向かう先は路地裏。どこかにコンセントは無いか。剥き出しの電線でも良い、とにかく通電しているものを探せ。


 通路と呼ぶには狭すぎる建物の隙間を縫って進む。その内に、目当てのコンセントが見つかった。

「ちょいと借りるぜ」

 などと独り言を言い、コンセントの差し込み口に指を近づけた。



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