第3話

 ……その時である。


 不意に、一番後ろに控えていた若い隊員がボソリと口走った。

「……なんか臭わないッスか?」

 彼の発言にラーキンも我に返り、鼻をひくつかせた。

 確かに臭う。冷蔵庫の中に放置され、憐れにも腐ってしまった卵、もしくは玉ねぎにも似た臭い。


「ガス?」

 別の隊員も怪訝そうに言う。ここでようやくラーキンは、壁から伸びる金属配管を目に留めた。女が壁を破った際に引き抜かれたものであった。


 壁配管、工場、加熱室……。


 急いで別の箇所を見回す。

 すぐに見つけた。血だらけの床に転がるガスの元栓。その近くの小穴からは「シュー」という、小さな音が漏れ聞こえていた。

「ガス漏れだ!」

 ラーキンは仲間達に叫んだ。


 ここは放棄された廃工場だ。当然、インフラは全て止まっている筈。それが何故か、建物全体には未だガスが供給されていたのだ。


 理由など後で調べれば良い。今はそれどころでは無い。

「まずい。急いで建物から出ろ!」

 仲間達を走らせた後、彼は<窓>へ向かう女にも叫んだ。

「アンタも来い。ここは危険だ。ガスが出てる。聞こえてるのか、下がれって!」

 だが、ラーキンの呼びかけを無視して、女は一定の歩調で<窓>へと歩き続ける。


「くそったれ……」

 こちらの言葉は彼女には届かない。どれだけ必死に呼ぼうが、決して……。

 彼女を諦めたラーキンは、踵を返して仲間の後を追った。


 ………


〈HQより全ユニットへ。建物地下でガス漏れを確認。爆発の危険性あり。工場建物内より至急退避せよ。繰り返す、至急退避せよ〉


「走れ、走れ。止まるな、走り続けろ!」

 シエラチームの面々は、外を目指して連絡通路を疾走していた。地下に降りる道中で作った骸の山を踏み越え飛び越え、近い出口を目指す。


 やがて一行の前方数十メートル先に、中庭へ通じる非常口がみえてきた。

 だが、先行していた一人が錆び付いた扉を開けようとするも、鍵が掛かって開かない。

「どけ!」

 ラーキンは減速せず、扉め掛けて肩で体当たり。ガラスが粉微塵に砕けて散り、ひしゃげた扉と共に、ラーキンは外へ飛び出した。


「やりやがった。いつものことだけど……」

「マスターキー持ってるんだから。声掛けてくれても良かったのに。いつもの事だけど」

 仲間達はラーキンが拓いた出口を、特に驚きもせずに通過。倒れてうめき声をあげる彼を放置して、さっさと退却していく。


(いつもこんな無茶やるのか、この人?)

 若い傭兵は素っ気ない先輩達の様子に狼狽えながら、ラーキンを抱き起した。

「大丈夫ッスか、先輩?」

「平気。ありがとう新入りルーキー

 ラーキンは傭兵の手から離れて礼を言う。


「ナギー。俺はナギーです、先輩。いい加減名前で呼んで下さい」

「へっ。一丁前に呼ばれきゃ、テメエも男を見せてだな……」

 ラーキンの声は、それ以上に大きな爆音によってかき消された。


 二人の後方にそびえる工場から、オレンジ色の爆炎が巻き起こった。とうとう屋内に充満したガスが引火、大爆発を起こしたのだ。

 内側から膨れ上がる強力な圧によって、廃工場の建物は四散。爆風爆煙爆音の大合奏が朝の街を盛大に震わせた。

 破片が舞い、人間たちは踊るように転げ回り、車両も空を舞う。

「ぬああぁぁぁッ!」

 緊張の糸を緩ませたラーキン達も、爆風によって弾かれ、ささやかな空中散歩を体験したのであった。


 ………


 二時間後

 管理行政特区・保安局 多目的室


『52番地区の廃工場で起きた爆発により、周辺の建造物や道路に被害が出ております。都市警察は会見で、地下に充満したガスが、爆発の原因となったという発表をしており……』


『えー……こちらは52番署前です。今回の事故現場には民間人がおり、爆発に巻き込まれた可能性があるとの情報も入っています』

 壁掛けの大型テレビが映し出すニュース映像が、室内の暗い雰囲気などお構い無しに、騒いでいる。その様子を数人の集団が疲れた表情で見ていた。


 スーツで身だしなみを整えている者もいれば、動き易い私服姿の者たちもいる。中には顔に絆創膏を貼っていたり、腕に包帯を巻いた者さえ居る。

 私服の彼らは、ついさっきまで問題の現場に居た、シエラチームのメンバー達だ。


「よく全員無事で済んだな」

 徐に灰色スーツの男が口を開く。

「きっと日頃の行いが良いからだろう」

 デッキジャケットを着た青年が、皮肉を交えて応えた。頭の両側面を剃り上げ、残りの長い赤髪を頭の後ろで束ねている。


「椅子取りゲーム大好きさん共と違ってさ。なあ、アルバーグ部長?」

 精悍を通り越して凶相の域に入った顔に、不敵ともいえる微笑を作って、灰色スーツの男……保安局治安介入部のアルバーグ部長を見やった。


「君の怒りは重々承知している、ラーキン主任。土壇場で都市警上層部が指揮権譲渡を要求、強行突入まで図った。その結果、君たちの作戦行動に大幅な遅延を招いた。この件は既に然るべきスジへ抗議をしている。だから……」

「だから何だ? その台詞、この前も聞いた気がするンだが、俺の気の所為かね?」

 ラーキンは両腕を組み、不遜な態度でアルバーグを睨みつけた。


「気のせいだろう」

 アルバーグは冷静に答えると、ラウンドタイプのサングラスを指で押し上げた。目もそうだが、彫りの深い顔を常に生真面目に硬くしているせいもあるのか、感情の機微が見え辛い。

 ラーキンは彼と知り合って以降、どうやってこの鉄仮面から本音を引きずり出してやろうかと、つい考えてしまうのだった。

「おい……傭兵。相応の処分を喰らう覚悟があって、舐めた口を利いているんだろうな?」

 そんなラーキンの思惑など知る由もなく、保安局員が怒り顔で凄んできた。恵まれた体格は、スポーツで鍛えたものらしく、立派な厚みがあった。


 しかし、ラーキンの周りに座っていた傭兵グループが即座に殺気に満ちた視線で迎撃。この「本職」らの反撃には、流石の保安局員もぶ厚い体を縮ませて押し黙るほか無かった。一触即発の光景に、ラーキンは気を良くして口の端を綻ばせる。


「テメェら保安局こそ、図に乗ってるんじゃあねぇぞ。自前の戦闘部隊さえ用意できないお役人サマの為に、俺らは『特殊部隊ごっこ』やってるんだ。それが気に食わねえなら、現場仕事も治安維持も、手柄って名前の椅子も、全て都市警に……」

・ラーキン軍曹」

 アルバーグが低い声で遮る。


「貴官の言葉。私は以前どこかで聞いた記憶があるのだが、気のせいだろうか?」

 沈黙。ニッケル……ニコラ・ラーキンは一度天井を仰ぐと、力なく笑った。

「気のせいだな。記憶違いってのはよくある事だろう。悪ぃ……気が立つと、つい馬鹿をやりたくなる性分なもんでさ」

 ラーキンの苦笑混じりの謝罪に、両陣営間にあった重苦しい空気も薄まりだした。


「君の性分ならよく知っている。では、君が現場で民間人を目撃したという報告はどうだ? それも記憶違い?」

「ソイツはマジ。鑑識に出したカメラの映像にも、ばっちり映っている」

 本題に取り組み出した両者は、一連の不和は一先ず横に置き、真剣に言葉を重ねだした。


「死体は見つかったか?」

「まだだ。都市警からは何の報告も無い」

「それにしても何者なんスかね、アイツ?」

 ナギーがおずおず発言する。


の可能性が濃厚だろう」

 と、アルバーグが答えた。


「は、ハイ……」

「<窓>を潜った後、生きて戻れた奴の事だ、ルーキー」

 ラーキンの発言にナギーは目を丸くする。

「でも先輩、世間じゃあ<窓>は異空間と繋がってるから、そこに入ると二度と戻って来れないってハナシですよ。うちの親戚も二人<窓>に呑み込まれて、そのまま行方不明」


「普通はそうだ。だがごく稀に、奇跡的に帰還する者が現れる。そう、ごく僅かに。今は便宜上『ハイダー』と呼んで、当局は可能な限り行方を追っている」

「還ってきた連中に共通しているのは、<窓>を潜った後の記憶の欠如。そして、通常では説明のつかない、変な能力を手にしたって所だな。それ以外は何も分からん」

 アルバーグ、それからラーキンの順で説明をする。だがその内容を信じきれないナギーはロクに返答もできず、唖然とするばかりだ。


「まあ、こんな話、大真面目にして信じられる訳ねえからさ。俺たちは公式な発表はしていない。つまりだ、いま聞いた事はあんまし外に漏らすなよ?」

「り……了解」

 一先ずナギーは頷いてみせた。


「んで、そのハイダーってのが……オレらが会った、あの女っスか?」

「あくまで推測だ、ナギー・スミス君。残念だが情報が不足している今、我々は推測と想像による仮説を組み上げる事しかできない。故に今は情報が揃うまで待つことが寛容だ」

 アルバーグの発言に、意を唱える者は現れなかった。

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