第18話 異世界ダンジョン発生原理と魔女ロウヒ

「では、続けますね」


「頼む」

 

 目の前で魅力的な女性と言い切ったことに今更ながら気付いたジン。


 セッポにはめられたのだ。


「かつて魔術でしか接触できなかった顕界に異変が起きました。それがブレインインターフェイス<アトム>ですね。アトムは古代ギリシャにおける最小単位を示します」


「低侵襲型BMIだな。頭蓋骨を削られ脳をいじられないだけましだが」


 頭皮の下に貼り付けられたシート状のナノマシンである。


 言語通訳機能など向知性とニューロエンハンスメント――認知増強を可能にしている。

 今ではスピリットOSとも連動し、マニューバ・コートの直感的な操作も可能になっていた。


「あれこそが幽世の技術。量子意識に干渉して集合意識世界と接続を可能にしました」


「なんだと……」


「つまりロウヒは結果に過ぎず、黒幕は別にいると思われます。そしてロウヒのような存在が出現するとは黒幕の想定外ではなかったかと。ですが目下の脅威はゲーム概念とフィンランドの伝承が融合してしまったロウヒです」


「ロウヒが結果に過ぎないって……」


「ナノマシン程度なら良かったのです。大型コンピューターやスピリットOS、それに類する兵器。それを触媒に幽世の住人たちが一斉に人間に干渉し始めました。名前がある人工意識や仮想人格は本物の精霊かその眷属の可能性が高いです」


「ノヴゴロド連邦軍も幻想に侵食されたとは聞いた」


「かの地では強大な力を持つ精霊に落とされた神霊。異教とひとくくりにされ現世の記憶から追放された者たちが多いのです。それらの幽世の存在に脳ごとハッキングされてしまったと思われます」


「ノヴゴロド連邦は人民の管理にアトム普及が最も進んだ国家だった。彼らは受信機を脳に

繋げているようなものだったのか」


「アトムの開発意図は社会構造による人間のシステム化。人間が便利になるためにではなく、社会性を維持するために機械を維持する人間が必要という現象。人間疎外でいう人間のアトム化という概念に近いもの。人間を社会の歯車として最適化するシステムです。そしてその社会の頂点に受益者がいます。幽世の存在はそれを狙ったのでしょう。神か悪魔かはわかりませんが」


 ジンは何か気になることがあったようだ。

 いつになく真顔でサラマに尋ねる。


「俺にもアトムは埋め込んである。いつか幻想に侵食されるのか」


「それです。その意図に気付いた者が日本のマニューバ・コート開発者にいたようですね。ジンはマニューバ・コートのスピリットにしか接続されません。おそらく、あなたの所属部隊の人たちも。だからこそロウヒと戦うことができたと思います」


「そうだったのか。開発責任者は立川さんだったな。感謝しないと」


 ジンは遠目でしか見たことがない開発者の顔を思い出そうとしたが、できなかった。


 いかにも学者といった風貌の男だったことを覚えている。


「アトムで人間に干渉する程度では物足りない彼らは次の行動にでました。顕界と幽世の境目を曖昧にして自分たちを顕現させる技術を人間に提供しました。いわゆるパワースポットや霊脈的なものを利用した召喚ですね。顕界にとって幽界の住人は強大な力を持つ存在は不可能です。その存在の大きさゆえに顕現は不可能でした。しかしとるにたらない、影響力が小さな存在は肉体を持つことが可能になりました」


「影響力が小さい、か」


「はい。そこで彼らが利用したものが<コンピューターゲーム>の幻想です。ダンジョンがあり、プレイヤーの敵になるように設計された、日々膨大に狩られているモンスターたちを顕界に受肉させる手段を確立したのです」


「ちょっと待ってくれ。強大な存在は簡単には受肉できないんだろ?」


「モブは強大の存在といえませんよね? 皆さん経験値としか思っていません。ドラゴンとて例外ではありません。彼らはいわば仕様の抜け穴で顕現しました。ロウヒとフィンランドにある鉄の逸話を利用し、鋼の肉体にして」


「ドラゴンも鋼鉄か」


「ここまで説明してようやくロウヒの話になります。一連の流れはロウヒに対してあまりにも都合が良すぎたのです」


「都合が良い?」


「ロウヒ自身も元女神の伝承が多分にあるとはいえ、顕界では叙事詩における悪役でしかありません。しかしこの地においては歴史そのものです。カレリア国にある集落ロウヒとカレヴァラの町。町の名とエンブレムがロウヒモチーフですからカレリア限定で存在力は突出しています。さらにロウヒは最果て――ウルティマ・テューレたるポポヨラの支配者。カレリアの北にはとてつもないパワースポットが二つもあるのです」


「二つか。山か何かかな?」


「九千年前に作られたピラミッド――エジプトのピラミッドよりも古く、存在する謎の建造物にはいくつもの空洞や部屋が確認されています。さらに付近には迷路と名付けられたストーンサークルなど謎に満ちた遺跡。まずこれが一つめ」


「まとめて一つか! もう一つはそれに匹敵するものになるんだな」


「そうです。人類が最も掘削した縦穴の一つ<コラ半島超深度掘削坑>。1970年代から1980年代にソ連で行われた実験施設で地下12キロ以上の縦穴を掘りましたが、地熱によって中止されました。そこで地獄の蓋があった、サタンを見た、人々の悲鳴が聞こえ証拠のテープといわれるものまで残っています」


「証拠のテープまで……」


「今ではただの反響音という分析が一般的な解釈ですね。しかし当時のメディアは面白おかしく取り上げ、地獄から現れた悪魔を恐れて作業員が逃げ出したという風説まで流して今なお信じている人もいます。実際には地熱が180度を超えドリルピットが機能を停止したからなのですが、これも悪魔の仕業にされました」


「まあテレビ番組はそうなるな」


 ジンは歴史の授業を思い出す。1980年代前後のテレビはとくに規制もない。さぞ神秘的なものとして報道したであろう。


「今はもう最長の掘削坑ではありませんしね。それでも当時を覚えている人たちに認識させることは触媒になりえます。地獄の蓋として。謎の部屋が多数ある謎の古代ピラミッド、迷路というストーンサークル、地獄の蓋とされる大穴。ゲームのダンジョンに向いているでしょう?」


「確かに探検したくなるような場所ばかりだ。何かあると思わせるもの。だからロウヒはそのパワースポットと概念、そして何より密接に結びついた土地を触媒にダンジョンとともに顕現しようとした、と」


「そして本来召喚することが不可能だった幻想界。つまり創作物のなかでももっともありふれたモンスターを中心に呼び出しました。フリー素材なみの気軽さで。これは異世界の創作物におけるお約束やテンプレと集合無意識を<アトム>によって強化。ヒーシというフィンランド固有の悪魔ヒーシを媒体に召喚したのです」


「ヒーシ。そういえば再会した時もその呼称を言っていたな」


「ヒーシはゴブリンやトロール、悪鬼としてのオークやオーガの総称だと思ってください。フィンランドではゴブリンはヒーシと表記されます。世界に名だたる、ゲームにも多大な影響を与えた大長編古典ファンタジー小説もフィンランド神話に影響を受けているのですから当然でしょう」


「ロウヒにとって都合が良かった状況が揃ってしまったんだな」


 捕捉するようにセッポが口を挟んだ。


「鉱物資源も豊富だったことが災いした。とくにコラ半島は鉱脈の宝庫。鉄、タングステン、チタン、タンタル――あらゆるレアメタルが手に入る。兵器開発にはうってつけだ。幻想のモンスターはこれらの鉱物を活用しているといっていい」


「さすが資源大国といわれただけはある地域だ……」


「ロウヒが復活するといいましたよね。それもゲーム概念ですよ。MMORPGのレイドボスはリポップするでしょう?」


「それで復活するのか! もう倒せないのでは」


「顕界との接点を徹底的に断つか、もう二度と復活できないと本人に自覚させるほどのダメージを与えるしか無理ですね」


「難しそうだな……」


 神話の存在がそう易々と自分の復活を諦めるとは思えない。


「小規模ですぐ消えるようなダンジョンばかりでしたが、強大なロウヒが生まれた。その理由は条件が揃いすぎたカレリアの地ゆえなのです。そして他の幽世の住人たちもロウヒに倣い、同様の手法を提供してもらいました」


「彼らはどうして顕界に進出したいんだ?」


「存在理由そのものです。行動理念はただ一つ。<私達を忘れるな>です。命を賭けるべきダンジョンでは、そのダンジョンマスターへの憎悪が深まるでしょう? 自分に向けられた憎悪こそ存在力を上昇させるに必要なものなのです。古代の神が悪魔に墜ちる理由には十分ですよね」


「存在か……」


「忘れ去れたら誰も認識も観測もしてくれませんからね。名前さえ忘れ去られた存在は消滅します。逆にメジャーな神ほど、人間を助ける理由があまりないんですよ。確固たる存在力を確立しています。原子や惑星、地名になっている神や今なお宗教施設が残っている神社がある神様たちです」


「そうか。マイナーな神様ほど必死になるわけか。ゲームをチェックする理由も。――すまない。二人とも……」


「そんなところで気を遣うな。逆に気まずくなるわい」


 ジンが言いよどみ、セッポが笑い飛ばす。


「私は神様ではないですよ。精霊ですからね。気軽でいいのですが」


「俺たちの存在はフィンランド独立にも大きな影響を与えている。しかしそれは宗教ではなく、民族の根底にある概念としてだ」


「その二つはどう違うんだ?」


「人間の死生観や人生に関わる概念。現在、そして死後の世界において大きな力で人生を左右するからこそ宗教であり神です。私達はそういう存在ではないということですね。願掛けされることはまずありません。そこは日本の神々との相違点でもあります」


「なるほど。なんとなく理解できるな。日本も考えさせられるところはある。個人によって大きく異なるけどね」


 ジンは自らを省みる。確かに子供の頃から神社に慣れ親しんではいるが死生観においては仏教に近い。


 死んだら三途の川を渡ると思う人間はいるかもしれないが、日本神話にある根の国に行くと思う人間はそれほどいないだろう。


「ロウヒは悪の概念。悪の勢力はロウヒの創り出したゲームとヒーシの概念をあわせた概念を共有しました。戦略的互恵関係を結び、機械に乗り込んだモンスターや鋼鉄の肉体を手に入れたモンスターを使役し始めたのです」


「世界各地にダンジョンができてモンスターが世界各地に現れたが、兵器に乗ったゴブリンやオウガ、ドラゴンはロウヒが開発して、邪悪な存在がそれらを共有し始めた、と」


「私達もこの状況は憂いましたがジンも知っての通り、私が顕現しても知覚できる者はまずいません。日本の神々も同様です。そこで私達は協定を結び、マニューバ・コートとスピリットOSの基幹技術を提供しました」


「フィンランドはAI教育が進んでいたし、日本は二足歩行ロボットに関してはもっとも研究が進んでいる。だから俺たちは制御OS担当。機体は日本の神々担当だ。ただ別方面から提供されたアトムを組み込ませることは想定外だったがね。人間の脳に干渉する技術なんて俺たちは提供していない」


「そうか。マニューバ・コートの開発者たちは各方面から提供された技術を同時採用してしまったんだな」


「どの幽世から提供された技術かだなんて区別なんてつかなかったろうしな。当然ながらマニューバ・コート開発は干渉された。アトムと相性が良かったことで被害も広がった。俺たちとしてはアトム経由の干渉を抑えることが可能なミルスミエスに移行したかったわけだ。モンスターに対抗できる概念の普及が目的だ」


「世界は今やダンジョンだらけです。そして人間にメリットがあることが辛いところです。これはゲーム概念を利用した幻想の次元侵食とさえ言えます。ミルスミエスの普及で加速するかもしれません」


「ミルスミエスはアトム対策も兼ねていたのか。そしてミルスミエスは世界経済に組み込まれ、定着する。これは幻想のモンスターに勝てるという存在を定着させる必要があったということだな」


「ロウヒの生み出したゴブリンは世界の脅威として認識されました。いわばロウヒの目的は達成されたようなものなのです。ミルスミエスが産業の一部になることことが重要です。対抗可能な存在も早期に認識される必要があります。機械の武者なら、その役割には十分でしょう?」


「人工の英雄候補だな。どんな神話にもモンスターを倒す英雄は現れるものだろう」


「英雄候補か。俺たちは十年時間は稼いだ。その間に人類がどれだけミルスミエスとともに成長し対抗できるか、だな……」


「……」


「……」

 

 サラマとセッポが顔を見合わせた。


「ジン。怒らないで聞いてくれ」


「なんだよ」


 改まって座り直すセッポに、嫌な予感がするジンであった。

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